ゆっくりと、それはそれは緩慢な動作で目を開く。何か夢を見ていた気がするけれど、映像の残り滓も自分が置かれた状況を思い出した瞬間消え去った。真っ暗だったカプセルが機械音と共に目の前で開くと明るいホールの照明に照らされ、眼前には自分が入ったのとまったく同じ形をしたコクーンが几帳面に並んでいた。まごうことなき現実の光景だった。


「……やった!」


ゲームクリアしたんだ!その事実を理解したわたしは頭につけていたヘッドギアを外し、一目散にカプセルから出た。同じことをしている子供の参加者は何人かいて、観客席にいた大人の保護者も安堵と喜びの表情を見せながら自分の子供へ駆け寄ってきていた。よかった、みんな無事だ。白馬くんがノアズ・アークとのゲームに勝ったから、みんな助かったんだ。歓喜の空気にむくむくと実感が湧いてくる。


…!」
「あっ紅子ちゃん!」


左隣のコクーンに入っていた紅子ちゃんもカプセルから出て駆け寄ってきた。すぐさま劇場で起こった出来事を思い出し、紅子ちゃんの両手を取り握り締める。「紅子ちゃんごめんね…ほんとごめんね…!」謝ったって済む話じゃないけれど、謝罪するしか言葉が出てこなかった。あんな、紅子ちゃんに庇わせるなんてとんでもないことをしてしまった。ジャック・ザ・リッパーはいないからって油断してたのだ。本当に悔やまれる。


なら最後まで諦めないって信じてたわ…助けてくれてありがとう」


肩をすくめて微笑む紅子ちゃんに涙が出そうになる。わたしずっと役立たずだったのに、そんな風に思ってくれてたなんてなんて優しいんだろう!ぶるぶると首を横に振る。「紅子ちゃんも、助けてくれてありがとうね…!」


「でもわたし、途中でゲームオーバーになっちゃったんだよ!」
「あら、そうだったの?じゃあ…」
「うん、きっと白馬くんが最後まで…」


話しながら振り返る。白馬くんはわたしの右隣のコクーンに入った。彼のカプセルもすでに開いていたけれど、まだ起きてはいないみたいだった。静かに目を瞑る彼を見て一瞬不安がよぎったものの、次の瞬間にはゆっくりと開かれたのでホッと肩の力が抜けた。


「白馬くん!よかったあ〜」


二人で駆け寄ると、白馬くんは照明が眩しいみたいに目を細めたまま、こちらに顔を向けた。「さん、紅子さん…」緩慢な動作で背もたれから上体を起こし、ヘッドギアを外す。バーチャル世界で体験したことへの疲労が残っているような動きだった。でも、とりあえずみんな無事でよかった!


「白馬くん、ありがとうね!」


まだどこかぼんやりしてる白馬くんに両手を伸ばす。手のひらを見せるように突き出すと、白馬くんは何度か目を瞬いてから意図に気付いたらしく、ああ、と同じように両手を伸ばして手のひら同士をくっ付けた。ハイタッチのつもりだったけど、どちらも勢いがなかったのでただ手を合わせただけになってしまった。ちょっと照れるなと思っていると、合わせていた手がおもむろにずれて、わたしの指と指の間に白馬くんのそれがするっと入り込んだ。えっ?!びっくりして固まるわたしをよそに絡んだ指をぎゅうと握り込む白馬くん。痛くはなかったけれど、俯いた彼の表情がうかがえなくてなんとなく不安になる。


「は、白馬くん…?」
さん…ゲームの世界とはいえ、あんなこと……二度としようと思わないでください」


声に怒りの色が混じっているのがわかって身体が強張る。一瞬何のことかわからなくて、でも考えると何となく、あれだと思った。あんなことっていうのは、きっと列車から飛び降りたことだ。思わずわたしも俯いてしまう。白馬くん、怒ってる。


「ご、ごめん……」


さっきまで忘れていたのがじわじわと思い起こされる。列車でジャック・ザ・リッパーの正体を突き止めてからはずっと目まぐるしくて、少しも落ち着く暇がなかった。煙幕の中でジャック・ザ・リッパーに捕まった。手足をロープで縛られた。諸星くんは蹴飛ばされて、白馬くんなんて手を踏みつけられて首まで絞められた。思い出すだけで背筋が凍る。あと十分で終着駅に突っ込むなんてタイムリミットも拍車をかけていた。
白馬くんの指がわたしの手のひらを撫でるように離れる。腕はそれから、座る太ももに力なく落ちた。わたしの両手は白馬くんからもらった感触でむず痒いのに、心はそれを許さず冷えたままだった。


「怖かったでしょう」
「うん……」


怖かった。白馬くんがゲームオーバーになることもジャック・ザ・リッパーを道づれに落ちることも恐ろしかった。飛び込む寸前と落下中の恐怖。思い出すと放心してしまう。ゲームの世界だけど、尋常じゃないくらい怖かった。でも、あそこは行動しなきゃ嘘だったとも思う。


「白馬くんがいなくなったら絶対勝てなかったから……あれ以外方法が、思いつかなかったよ…」
「そうですね…僕の知る限り、さんの無鉄砲な行動のおかげで事態は辛くも好転することばかりでしたから、僕も今まで強くは言いませんでしたが」


白馬くんはわたしの目を見ない。言い淀む姿はまだ珍しいと思わせた。彼の本音はなんだかよくないことの気がして、でもどうすればいいのかわからない。また白馬くんの手を掴めばいいのだろうか。それにしてはもう届かない気がした。


「この先いつ取り返しのつかないことが起こるかと気が気じゃありません…お願いですから無茶はしないでください」


白馬くんはうな垂れるように首を前に倒した体勢のまま、片手で目を覆い隠した。相当参っているようだった。ゲームにクリアしたという達成感や高揚感は微塵もうかがえない。一番頑張った白馬くんにそうさせてるのが自分だという事実に罪悪感がこみ上げてくる。


「……すみません、助けていただいたのに責めるようなことを言って」
「ううん…」


ようやく上げられた白馬くんの表情は遣る瀬なさそうで、不甲斐なくて、情けないと言ってるみたいだった。きっと白馬くんもわかってる。あのときわたしのとった行動は無茶だとしても、白馬くんを生き残らせるためにはやむを得なかったって。そうわかってるから白馬くん、こんな風にぎこちない笑みを浮かべるしかできないんだ。


「わたしも白馬くんに全部任せちゃってごめん…」
「いえ、それはいいんです。あれは僕が残って正解でした。…ありがとうございます」


祈るように目を閉じた白馬くんに半分安堵して、半分疑問が湧く。残って正解って、何があったんだろう?思って聞こうとしたタイミングで、ピピピと電子音が耳に入った。それは鳴り止むことなく会場全体に響き渡り、反響すらしているような錯覚を覚える。またもや起こった変事に思わず身を縮こませる。


「な、なんだろ…」
「ノアズ・アークが自ら消えようとしているんでしょう」


白馬くんはそう言いながらコクーンから降り床に足をつけた。壁の上の方を見上げる目はどこか遠くを見ているようで、まるでノアズ・アークへ思いを馳せているようだった。人工頭脳が自分で消えるということがどういうことなのか、どうして消えるのか理解はできなかったけれど、言及することが躊躇われたわたしは、静かに電子音に耳を澄ませるのだった。


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