白馬くんが拳銃を構えるところを見るのは二度目だった。トランプクラブのときも今も、ほとんど真正面から銃口を向けられてるにも関わらず、不思議なことに恐怖心は一切湧かなかった。パーティ会場のトイレで佐藤刑事と紅子ちゃんを撃った風戸先生をわたしは知っているけれど、それは脳裏のほんの隅っこをかすめるだけで、明らかにためらいのある表情の白馬くんとは少しも重ならないのだ。


「撃たないのか?構えるだけでは俺を倒せないぞ!」


わたしのすぐ近くで拳銃の照準になっているはずのジャック・ザ・リッパーは白馬くんを煽り高らかに笑っていた。白馬くんが引き金を引けばひとたまりもないはずなのに、まるで撃たないのをわかっているような自信だった。足元に転がされてるわたしの方が焦ってると思う。足首と両腕をそれぞれ縛られてうつ伏せに横たわった体勢で、列車の屋根に押し付けられた心臓がどくどくと脈打ってるのがわかる。


「あと十分で終着駅だ。運転手のいないこの列車はどうなるかな?」


ジャック・ザ・リッパーの台詞をすぐに飲み込めなかった。運転手がいない?そんな列車あるわけない。でも、もし本当なら、どうしよう。それってつまり、このまま止まらないってこと?
すがるように顔を上げ白馬くんを見る。何をでたらめを、って白馬くんが否定してくれたらどんなに安心できたことか。けれどそんな期待もむなしく、白馬くんの表情は一層苦しげに歪んだだけだった。言外に肯定された気分になる。全身の血の気が引いていく。

ふと、白馬くんの背後、列車の進行方向の景色が目に入った。


「白馬くん後ろ!!」


咄嗟に叫んでいた。白馬くんと諸星くんが振り返る。後ろにトンネルが迫っていた。

トンネルに入り視界が奪われると同時にゴオッと風がコンクリートを切る音が響く。入る間際、白馬くんたちは間一髪で伏せたから無事なはず。思っても全身は緊張して生きた心地がしなかった。何も見えないせいだ。視界が再び開けるまで五秒もなかったと思うのに、体感にして十倍くらいの時間、身体を一ミリも動かせなかった。

トンネルを抜け夜空が広がる外へ出る。列車はスピードを落とすことなく、むしろ上がっているように感じた。そばの気配が動く。しゃがんでいたジャック・ザ・リッパーが立ち上がり、白馬くん目がけて駆け出したのだ。トンネルを避けるため伏せていた白馬くんはすぐに反応することができず、ジャック・ザ・リッパーによって拳銃を掴んでいた左手を踏まれてしまう。


「ぐ…っ」
「白馬くん!」
「…っ! 探くんを離せ!」


諸星くんがジャック・ザ・リッパーに掴みかかろうとするも軽々と足蹴にされ払いのけられてしまった。勢いよくわたしの方へ飛ばされ、下へ落ちそうになるも間一髪で列車の突起にしがみつきそれを防いだ。「諸星くん大丈夫?!」「…ははっ、なんとか」さすがの諸星くんもわたしに対して偉そうにしてる余裕はないようで、そう返答するだけだった。
この状況は、まずい。白馬くんも諸星くんも身動きを封じられてしまった。さっきから手首や足首のロープを解こうと動かしてるけれどびくともしない。腕と胴体に巻き付いたロープはジャック・ザ・リッパーと繋がっているけれど、長さは十分にあって彼の動きを制限することはできなかった。いよいよ絶体絶命の事態に心臓が気味悪く脈打つ。このままじゃ、全滅だ。

うつ伏せに寝転がったまま白馬くんへ顔を向ける。白馬くんはお腹を蹴飛ばされ、仰向けにされたと思ったらジャック・ザ・リッパーに首根っこを掴まれた。首を絞められてるようにも見える。拳銃から手を離しジャック・ザ・リッパーの両手を振りほどこうともがくも相手も全体重をかけて押し付けているようで振り払うことは難しそうだった。なんとかして白馬くんからジャック・ザ・リッパーを引き離さないと。とにかくあいつをどうにかしないと、白馬くんがゲームオーバーになったら絶対に列車は止められない………。


「………」


歯を食いしばっていた力が抜ける。吐き出した息が震えた。わたしは目の前の光景を、なるべく冷静に、見るよう努めた。わたしに背を向けたジャック・ザ・リッパー。その腰から伸びる、わたしと繋がったロープ。

頭の中で、ある作戦が閃いた。

それはとても、名案だった。もっと早く思いつくべきだったとすら思う。わたしはまず仰向けになり、曲げた足で勢いをつけて上体を起こした。それから膝を使ってギリギリまで列車の端に寄り、線路の下を見下ろす。眼下は街などではなく一帯が谷だった。真っ暗で地面が見えない。どうやら線路はかなり高い崖の上に造られているようだった。猛スピードで走り抜けていく景色に気味の悪い動悸がする。息もうまくできなかった。

ここから落ちる。ジャック・ザ・リッパーを道づれに落ちるのだ。落ちたら、痛そうだ。どのくらい高さがあるかわからない。痛いってもんじゃないかも。手足動かせないから受身も取れない。現実だったら絶対死んじゃう。これはゲームだけど、縛られてる触覚とか痛覚はあるから、死なないとしたって、いや死なないにしても、どうなるんだろう。

怖い。


「さあ…どこから切り刻んでやろうか」


半ば放心状態からハッと我に返り白馬くんを見ると、ジャック・ザ・リッパーが反対の手に持ったナイフを掲げていた。ひゅっと息を吸い込む。


「ジャック・ザ・リッパー!!」


わたしの声で彼が振り返る。目が合う。無我夢中で、頭から飛び降りた。
ぎゅっと目を瞑る。風圧で身体が千切れそうだ。迫りくる衝撃に極度の恐怖を抱きながら、上の方で彼の叫び声が聞こえる。それに何か思う前に、わたしの意識は途切れた。


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