移動している間に空は白み、夜が明けていた。そうなるだろうなと予測していたため僕自身は特に驚くこともなかったが、後ろを歩くさんは案の定急速に明るくなった空を見上げてぽかんと口を開けていた。他の少年たちもキョロキョロ見回し、突然多くなった人通りを目を丸くしながら見ていた。その光景にふふ、と笑い声を漏らすと頭を元の位置に戻したさんはキョトンとした表情で僕を見上げた。一度瞬きをする。


「…あ、新聞!いつ買えるのかな」
「そろそろじゃないですかね」
「おおー、さすが帰国子女だ」


にこっと笑うさんに笑い返し、足を止める。左手に、煉瓦造りの教会がそびえ立っていた。「…ここ?」「ええ」正確には、教会に隣接する空き地が目的なのだが。
住宅街にこぢんまりと建つセント・マリー教会の真正面を横切る。建造物と同じ煉瓦造りの塀が一部崩れた場所から隣の空き地へ移り、ホームズの捜査資料にあった遺体発見現場で立ち止まる。写真の記憶では遺体はシートが被せられた状態で崩れた塀に沿うように横たわっていた。事件から一ヶ月が経とうとしている現在、さすがにそこは辺りと同じく草木が生い茂っていた。


「何かあった?」
「いえ…」


塀を越えず教会の敷地から声をかける紅子さんへ返しながら踵を返す。
一件目を無視し二件目の事件現場に赴いたのは気になることがあったからだ。ジャケットの内ポケットから一枚の写真を取り出す。ホームズの資料によれば一件目と二件目では目立った違いがあった。二件目のハニー・チャールストンの殺害現場に置いてあった、サイズの違う二つの指輪だ。一つは被害者の指に嵌ったが、もう片方はどの指にも合わなかった。つまり被害者が残したものではなく、犯人の遺留品である可能性が高い。そしてわざとこんなものを残していくということは、何か理由があると考えるのが自然だろう。
しかしここに来てわかることじゃなかったか、とついて来てくれた彼女たちに一言謝りながら、崩れた塀を踏みこえる。僕だけで来ても良かったが、何かあったときに合流できなくなることを考え同行してもらったのだ。


「……ん?」


ふと、セント・マリー教会の入り口脇に貼られたチラシが目に入った。進行方向を変え歩み寄り、内容を目で読む。


教会の親子バザー

 十月も第二土曜日に親子バザーを開催します。
 親と子で作った物を持ち寄って楽しく盛大に
 バザーを開きましょう

            アーサー・E・ミートム


「親子バザー…」
「それがどうかしたの?」
「……」


後ろで腕を組む紅子さんや、「教会でバザーなんてやるんだな」と話す江守くんたちの声が耳から通り抜けていく。ハニー・チャールストンの過去、捨て子のジャック・ザ・リッパー、親子バザー、サイズの違う指輪、第二土曜日。
彼女が殺害されたのは、九月八日、第二土曜だ。


「……!」


バッと右へ首を向ける。ハニー・チャールストンの殺害現場はここから見える。……無関係じゃない。とするとやはり彼女は、


「ちょっと?」
「、え?」
「何かわかったの、って聞いたんだけど?」
「ああ、すみません」


目を伏せ、それから紅子さんを見据える。うっと彼女が顎を引いたのがわかった。


「ジャック・ザ・リッパーの犯行は、ここでの殺人が本命だと思われます」





教会を離れた僕たちは大通りに出、朝刊を入手することにした。またもや目の前にビッグベンがそびえる場所にショートカットしたらしく、巨大な時計台は何食わぬ顔でその盤面を道ゆく人へ示していた。しかし残念ながら、今の時刻がためになるのは僕たちしかいないのだが。


「十七分…」
「他んところはあと十人か…」


テムズ川にかかる橋の階段に腰を下ろして休憩する彼らの声は暗い。脇の壁に寄りかかりながら少年たちの背中を見下ろす。先ほど全員に僕の推理を説明したときもどこか複雑そうな表情をしていた。殺人の背景が背景だけに仕方ないが、この中でいつ誰がリタイアするかわからないため情報は共有しておかなくてはならなかった。最悪の場合、僕がいない状況でゴールに辿り着かないといけなくなるかもしれないのだ。


「またジャック・ザ・リッパーが出たよー!」


その幼い声に壁から背中を離す。大通りへ顔を向けるとまだ小学校低学年くらいだろう小柄な男の子が、新聞を小脇に抱え道ゆく人へ新聞を売っていた。「一部ください」手を挙げ呼び止めると、キャスケットを被った彼は軽快に歩み寄り、はい、とそれを差し出した。ポケットから財布を取り出そうとして、手が止まる。「八十円です」……ああ、助かるな。ははっと苦笑いを浮かべ、言われた通りの金額を支払う。

SundayTimesと書かれた朝刊を受け取り開く。さんたちも集まってきたので邪魔にならないよう壁側に寄ってしゃがむと全員が覗き込むことができた。教授の言った通りであれば、と目を滑らせ、一点で止まる。広告欄。そこには馬車や健康ドリンクなどさまざま自社製品の宣伝が掲載されていた。そして一つ、どう見ても他と馴染まない文面の広告が、あった。


[今宵、オペラ劇場の掃除をされたし。
             MよりJへ]


「MよりJへ…モリアーティからジャック・ザ・リッパーへ、で間違いないでしょう」
「オペラ劇場を掃除って何だ?」
「舞台の役者を殺害しろって意味じゃねーの…」


滝沢くんと秀樹くんのやりとりを小耳に挟みながら何ページか前に戻ると、「…!」見つけた記事に思わず息を飲んだ。そこにはご丁寧に、オペラ劇場という会場に、ある役者が出演する旨が記載されていた。


「アイリーン・アドラー…?」


さんが呟く。ああ、彼女には聞き覚えがあるだろう。冬のスキー教室で、彼女にこの役を頼んだのだ。


「誰だよ。アイリーン・アドラーって」
「オペラ歌手…だっけ、白馬くん」
「ええ……そして唯一シャーロック・ホームズを出し抜いた女性。美しく知的で大胆なキャラクターとしてファンからも愛されていますね。何よりホームズが、感情はどうであれ特別視していた人物です」


うわ、と彼らも苦虫を噛み潰したような表情見せる。そう、教授の目的はわかりやすく徹底されていた。


「さすがですね、この世界のモリアーティ教授も」


怒りや嫌悪より称賛の念が湧いてしまう。新聞を握る手に力が入った。


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