「あんたと仲良しなんだろ?そこのサル」


立ち上がって対峙するモラン大佐に対し、恐怖心など微塵も見せない秀樹くんが仕切り壁の上に座るリスザルに視線をやる。周囲の男たちが行動を起こさないのをいいことに秀樹くんと滝沢くんは依然不遜な笑みのまま大佐のイカサマな手口を述べていく。それはつい先ほど僕が彼らに説明したことと寸分違わなかった。壁の陰に隠れながら思わず顔をしかめる。迂闊だった、秀樹くんがここまで正義感の強い子だとは思っていなかった。いや、それとも……「モラン!汚ねえぞ!」「フッ。引っかかるテメェが悪いんだよ」テーブルを叩きつけ抗議する男に悪びれる様子もなく鼻で笑う大佐。そこまで見ても僕は、秀樹くんたちをここから穏便に去らせる方法を思いついていなかった。


「おっと。そっちの揉め事はあとにしてもらおうか」


カチャ、と金属同士の当たる音が聞こえる。秀樹くんが真正面に構えた手には、シルバーの拳銃が握られていた。
リボルバー。あんなものどこで。驚きに目を見開き、そしてすぐに思い当たる。ホームズの部屋から出る間際、秀樹くんは机を漁っていた。あのとき…ということは、あの拳銃はホームズのものか。
キッと無意識に睨んでいた。軽率だ、何もかも。


「モリアーティ教授はどこにいる」
「?!……小僧、あのお方の名前をどこで!」


やはり目的は教授か。秀樹くんたちがこんな大胆な行動を起こしたのは、そもそも僕が店の外での待機を指示したためだ。だからと言って、事態は悪化の一途を辿るだけじゃないか。
教授の名が出たことに激昂したモラン大佐は銃口を向けられているにもかかわらず秀樹くんたちに詰め寄った。二人もまさか向かってくるとは思わなかったのだろう、うろたえ、引き金に指を掛けた。撃つ気か。咄嗟に二人に駆け寄る。


「とまれっ!」


その声は秀樹くんのものだったが。

ワンテンポ遅れ銃声が響く。ダブルトリガーの構造に手間取ったのだろうことは想像がつく。しかし発砲したのは事実だ。弾丸は大佐の肩を掠めた。視界の隅で、一番窓際に座っていた髭を生やした男が、空席のワインボトルを大事そうに抱きかかえたのが見えた。


「ガキどもを捕まえろ!」


発砲を皮切りに状況が一変する。モラン大佐の声でさっきまで酒盛りをしていた男たちが一斉に集まってくる。反動で後ろに倒れこんでいた秀樹くんたちも状況をすぐに察し襲いかかる男たちから逃げ出した。僕もここにいるわけにはいかず、仕切り壁から店内に出た。「まだいたぞ!とっ捕まえろ!」誰かの声を耳に、隙間をすり抜けるようにバーカウンターの方へ駆け出す。
その際、床に転がっていたリボルバーを拾い上げた。秀樹くんが落としていったものだ。シルバーのボディに黒いグリップのそれを一瞥し、左手に握ったまま辺りを見回す。店内はもはやテーブルやイスの元の位置がわからなくなるほど荒らされていた。男たちは暴漢と評するのが正しそうに、大人数で秀樹くんや滝沢くんをターゲットに追いかけ、酒瓶やイスで暴力を振るおうとしていた。二人はそれを避けては逃げ惑っているが、おそらく時間の問題だ。「っ!」背後に迫っていた男の拳を間一髪で交わし移動する。僕も例外じゃない。僕たちでこの男たちを制圧するのは不可能だ。


「外に逃げるんだ!」


三人がゲームオーバーになるわけにはいかない。とにかくこの乱闘から逃げることが先決だった。
二人は返事こそなかったものの一目散に正面の入り口を目指して駆け出した。自分も入り乱れる男どもを警戒しながら移動する。


「っ!」


しかしドアの前には男が一人、待ち構えていた。逃すまいと腕を広げるその男を視界に捉え、咄嗟に、拳銃を握っていた手に力を込めた。

射撃の経験はあった。ダブルトリガーの構造も理解している。秀樹くんたちが入り口の男に足を止めてしまったら他の人間に捕まってしまう。行動を封じなければ。立ち止まり、男へ銃口を向ける。気付いた男がビクッと身体を硬直させる。
どけ、と命令する前に、男の背後でドアが外側に開いた。


「…ううっ!」
「ぐえっ!」


と思ったら、間髪入れず男が前に倒れた。その理由はすぐにわかった。男の上に覆い被さるように、さんが倒れ込んだのだ。男の背中に手をつきすぐさま起き上がる。


「早く!!」


悲痛ですらある叫び声。動揺を見せた秀樹くんたちはしかしその声に弾かれたように駆け、外へ出て行った。さんも紅子さんに引っ張り上げられ、引きずられるように外へ出ようとする。


「待って、白馬くんが、」


さんと一瞬目が合う。頭の奥がカッと熱くなる。羞恥とも怒りとも判別つかない感情に支配される。が、すぐに駄目だと思い直した。目を逸らし、一つ息をつく。周囲の暴漢たちは僕が拳銃を構えていることを警戒してか迂闊に近寄っては来ていなかった。彼らの手にしている武器は先ほどと変わらず殴るための鈍器のみ。拳銃を持つ僕がこの場で一番有利だった。


「逃げられると思うなよ。誰の手先か吐くまでは絶対に逃がさん」


怒りで血走った目で僕を睨め付ける大佐を一瞥する。さすがにこのまままっすぐ入り口へ行けるとは思っていない。僕が無事に外へ逃げおおせるためには、先ほどから気になっていたあるものを手段として使う必要があった。
素早く辺りを見回し目的の人物を見つける。僕たちを狙うこともなく、まるで揉め事に巻き込まれまいと店内の隅で影を薄くし隠れていた人物。帽子をかぶり、髭を蓄えたその男は僕と目が合うとさらに窓際に寄った。


「あのワインはモリアーティ教授のために用意したものですか?」
「?!……なんのことだ?」
「特別に装飾が施されたイス、そこへ座る人物のために用意したワインとグラス……あなたがそこまでしようとする人物といえば、彼しかいないでしょう」


大佐が息を飲む。僕の推理は正しかったようだ。彼を見据えながら、ワインボトルを持つ男を逃がさず視界に捉えておく。僕ら以外、動こうとする者はいなかった。


「…残念だが、その推理は外れだな!」
「……そうですか」


素直に肯定するとは思っていなかったが。身体の向きを変え、入り口に向けていた拳銃を構え直す。銃口をワインボトルへ向けると、「なっ…貴様……!」大佐の動揺が見て取れた。質として効いたのならよかった。よほど大切なワインなのだろう。
セカンドトリガーを中指で引きリボルバーを回す。もちろん実際に撃つつもりはなかった。逸れれば人に当たってしまう。たとえバーチャル世界だからといって人道に反することはしたくない。さっきや、以前清水麗子に向けたように、演技や威嚇以外で人に銃口を向けたことはなかった。
だから早く、僕らを諦めてくれ。眉間に力が入る。トリガーに掛けた二本の指先が震える。密やかに呼吸する。どれほどの間睨み合っていただろうか。


「モリアーティ様が、皆さまにお会いしたいと申しております」


沈黙を破るように、老人の声が店内に響いた。


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