「おい探くん。待ってるだけかよ」


姿を隠すためにと、隣店との間の路地へ移動したのち、秀樹くんがそう問うた。ガス灯の明かりが届かないここでは表情をはっきりとうかがうことはできないが、僕の案にあまり納得がいっていないのはわかった。


「ええ。危険を犯さず目的の人物に会えるかもしれません」
「………」


即答するも、彼の顔は不満げにしかめられるばかりで解決には向かないようだった。彼に何か策でもあるのだろうか?現状、待ち伏せる以上の近道はないと思うのだが。


「ほんとにその、モリアーティ教授って人が来る、んだよね…」
「おそらく。モラン大佐以上の上客は彼ぐらいしか考えられませんし…少なくとも、あの空席の主が来るまであの場はお開きになりません。待つ価値は十分にありますよ」


たとえ教授でない場合でも、モラン大佐から情報を聞き出すのはそのあとで構わない。教授だとしたら接触の機会を逃すわけにはいかない。裏で操っているのが彼だとしたら、ジャック・ザ・リッパー自身の情報を持っていないはずがないのだ。


「ちょっと諸星くん?!」


思考していたところを焦った様子の菊川くんの声で引き戻される。顔を上げ暗がりのほうに向くと、後ろを向いて手を伸ばす菊川くんの姿が見えた。さらにその先には、どこかへ駆け出していく秀樹くんと滝沢くんの後ろ姿が。


「どこへ…」
「あ、諸星くんが、店の様子見て来るって…」
「…!」


「皆さんはここで待機していてください!」それだけ言い残し駆け出す。何を考えているんだ。まさか正面から堂々と行くはずない、裏口か…?方向的にもそれが一番可能性が高い。思い、彼らの後を追う。
僕が角を曲がったときには思った通り裏口のドアへと手を掛けており、「秀樹くん!」呼び止めるも彼はこちらを見て鼻で笑うだけで、あっさりと木製のそれを開けてしまう。


「秀樹くん、」
「シッ。中の奴らに聞こえるぜ」


聞く耳持たずの彼は煽るように人差し指を口元の前に立て、静かに店内へ入って行く。いたずらっ子のように楽しげな彼らに顔をしかめてしまう。ここで僕が口うるさく戻れと言って騒ぎになるのは避けたい。仕方ない、彼らの気が済むまで潜入させることにしよう。はあ、と溜め息をつく。自分自身こういった突飛な行動をする発想がないからか、他の人間に躊躇いなく起こされるとどうにもついていけないのだ。結果好転することはあったが、しかし今回ばかりはその兆しは見えない。

裏口から侵入すると丁度よく身を隠すスペースがあった。店内から死角になる壁と仕切り壁。それぞれに隠れ様子をうかがうと、先ほど窓から覗いた風景と真逆の視点で店内を確認できた。モラン大佐と思わしき人物は一番近くに席を置き、依然向かいの男とポーカーに興じているようだ。男の後ろにある仕切り壁の上には、誰かのペットだろうか、リスザルが赤と黒の変わった実を頬張っている。「チッ…また負けた」男が悔しそうに手札をテーブルに投げる。どうやら現在、大佐の勝ちが続いているらしい。「……」やりとりを聞きながら一帯の様子を眺め、内心呆れる。…まあ、正々堂々という方がおかしいか。


「モランってポーカー強えんだな」
「いえ、あれはイカサマですよ」
「え?わかんの」


二人の視線に声を潜めて答える。「相手の男性の後ろに猿がいるでしょう。あれが大佐に男性の手札を教えているんです。ハートとスペードなら右手、ダイヤとクラブなら左手で、その色の実を数に応じて食べるよう調教されてます」また始まったゲームの様子と合わせて説明すれば秀樹くんたちの理解も早かった。「ちっ…汚い奴だな」顔をしかめ唾棄するように大佐を非難する秀樹くん。それを横目に、店内から視線を外す。一旦思考に耽りたかったのだ。陰になっている壁に寄りかかり俯く。

先ほどからずっと考えていることだ。今後、このストーリーはどのように展開して行くのだろう。犯人がわかっているサスペンス調のこのシナリオは、どうなるべきと考えられるか。モラン大佐のようにジャック・ザ・リッパーの根城を突き止め乗り込むのか?それとも彼が犯行を起こすのを先回りして待ち伏せるのか?それにしては史実の場合、第五の事件は十一月だ。それまで待つはずがない。いやしかし、すでにモリアーティ教授というイレギュラーが干渉している。だとしたら現状行方の掴めないジャック・ザ・リッパーと接触することも不可能ではないのか。そもそもモリアーティ教授と接触を図ろうとすること自体、工藤先生のストーリー通りなのだろうか。外れているのだとしたら早急に軌道修正しなければならない。お助けキャラのホームズがいない今、ストーリーに沿っているという確固たる自信が持てていないのが本音だった。


「イカサマだ!」


はっ?
声のしたほうへ顔を向ける。真横にさっきまでいた秀樹くんたちがいない。心臓が浮く感覚。身体を向け仕切り壁の向こうへ視線をやる。


「モランって奴はイカサマ野郎だ」


完全に姿を見せた状態で大佐へ指差し言い放つ秀樹くん。滝沢くんも含め挑戦的な彼らの横顔を見て、情けないことに頭が一瞬真っ白になった。


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