ハドソン婦人に通されたのはホームズとワトソン博士の部屋らしかった。薄暗く感じるのは夜のせいか現実の照明に慣れてるからか、それも相まって見たことのない世界に来たことを改めて感じさせた。部屋にある家具は赤茶色の木製で、見るからにアンティークといったデザインになっている。中央にある一人掛けソファ二脚と丸テーブルに自然と目が行ったあと、暖炉や脇のテーブルに移すと細々とした小物の存在を確認できた。机には大きさの異なる本、黒インク、羽ペン、小型望遠鏡。隅にあるテーブルには理科室で見るようなビーカーや試験管など実験器具が所狭しと並んでいる。そういえば小説のワンシーンに、ホームズたちが実験器具を使った描写があった気がする。イスに立てかけられているバイオリンに至るまで、この部屋はすべてシャーロック・ホームズとワトソン博士の部屋として忠実に再現されてるんだろう。いいや再現っていうか、リアリティありすぎて、まるで本当にホームズが住んでるみたいだ。


「それじゃ、お茶が入るまでくつろいでらっしゃないな」
「ありがとうございます」


白馬くんを始め紅子ちゃんとわたしも会釈して応える。騙してるみたいで心苦しいけどわたしたちも遠慮してられないのだ。ぐっと身体の横で拳を作り気を引き締め直す。……が。


「白馬くん、これからどうする…?」


結局指針は白馬くんで、白馬くん以外にいないのだった。こんな非常事態、もし白馬くんがいなかったらどうなってたことだろう。にわかに想像して震える。
暖炉の上に置かれた写真立てを見ていたらしい彼が振り返る。ホームズがいないとわかったときとは比べ物にならないくらい、落ち着いた表情だった。


「ここにヒントが何もないことはないと思うので、手分けしてジャック・ザ・リッパーに関する情報を探しましょう」
「了解!」


ビシッと敬礼する。白馬くんの迷いのない判断がどれほど心強いか。同じことを思ってるのか、興味深そうに実験器具を物色していた紅子ちゃんも何も言わずに手近な本棚へ手を伸ばしていた。よし役に立てるように頑張るぞ!目的を与えられたわたしは元気だった。意気込んで暖炉横にそびえる本棚へ手を伸ば、そうとした。のだけど。


「え、英語…」


目にした背表紙たちに一気に気後れする。そうだここイギリスだった…。人の言語は日本語になっても本は英語のままだ。ズラリと並ぶ容赦ないアルファベットにうっと顔を背けてしまう。背けた先の白馬くんは机の上の小さめの本を読み込んでる風でさすが帰国子女と言わずにいられない。最初にジャック・ザ・リッパーの犯行を目撃したあとの民衆の声にだって白馬くんだけが動揺を見せなかったし、きっと公用語が英語であることに抵抗がないんだろう。本当にハイスペックな人だ。…それに比べてわたしは、この難しそうな本のタイトル一つ読め……


、読めるわよ」
「えっ?」


少し離れたところにいる紅子ちゃんの声だ。振り向くと彼女は厚手の本をパラパラめくり、目ぼしいものじゃないとわかったからかパタンと閉じていた。目を丸くしてその様子を眺める。


「プレイヤーは英語が読めるようになってるみたい」
「ほんと?!」


慌てて本棚に向き直る。じっと本の背表紙を見つめると、「……ほんとだ!」頭の中に日本語が入ってくるのだ。目に映るのは英語なのに、おそらく英訳がわかるのだ。これが英語読める人の感覚かあ、すごいぞ!これで仕事が捗る!
背表紙を目でなぞりながら、それらしいタイトルがないか探す。ここの棚は全部手書きの文字が並んでるので、おそらくホームズの手記だと思う。けれどタイトルから連想できる内容はどれも小難しいものばかりで、ジャック・ザ・リッパーっぽいものはなさそうだった。仕方なくその場を離れ、入り口脇の本棚へ移動する。よく見なくても、この部屋、本だらけだ。本棚だけでなくテーブルにも散乱してるし、全部を調べるのは骨だなあ。


「…あ、諸星くんそっちどうだった?」


本棚の前に立ち本をめくっている諸星くんに声をかける。他の三人がソファに座って寛いでる傍で律儀に情報収集に励む彼にこれまでの悪ガキのイメージを払拭すべきかと思う。やっぱり白馬くんの言うことには従うんだなあ。「…べつに」相手を露骨に選ぶところはいけすかないけども!


「向こうなさそうだからこっち手伝っていい?」
「ハッ。あんたが調べただけじゃ信用できねーよ。あとで俺そっち見るわ」
「な、なんだとこのやろう〜〜!!」


憎まれ口ばっかり叩く諸星くんにわっと掴み掛かり頭をぐしゃぐしゃにしてやる。こいつめ、息をするようにバカにしてくる!「うっわやめろ!」逃れるように身をよじる諸星くんの肘が本棚にぶつかった。


「ってえ…」
「わあ大丈夫…?!」
「大丈夫じゃ、」
「いっ?!」
「?!」


痛がってる諸星くんを労ったら今度は自分の脳天に衝撃が。バインと頭で何かが跳ね、床に転がる。い、痛い…。頭を押さえながら涙目でそれを追うと、焦げ茶色のボールが目に入った。一瞬バスケットボールを彷彿とさせたそれの正体は不明だ。


「なに…?」
「本棚の上から落ちてきた。きったねえボールだな」


その球体はころころと転がり、やがて滝沢くんたちが座るソファまで辿り着いた。暇を持て余してたのだろう、足元に転がってきたそれを何となしに拾い上げた滝沢くん。すると彼の横顔が、次第に熱を帯びていくのがわかった。


「これ……おい江守、これ100年前のサッカーボールだぞ!」


えっ。「ほー、これが!」わっと盛り上がる彼らに呆気にとられる。すごいなあ滝沢くん、よく知ってたな!そういえばこの子たち、パーティ中にもミニゲームしてるくらいサッカーすきだったなあ。サッカーのことなら興味津々なんだ。



「………」
「白馬くん、……。ねえ」
「…あ、はい。どうかしましたか?」
「…じっと見つめちゃって。相手は小学生よ?あなた意外と余裕がないのね」
「え、いえそういうわけではなく…」


そう言いながら、意味深な視線をわたしたちに向ける白馬くんには気付かなかった。


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