バスの中は暖房が効いているからまだマシだった。乗り物酔い常習犯のわたしは窓側の座席に座り、ひたすら二袋目のプリッツを食しながら外の景色を眺めていた。
 今日はクリスマスイブだ。学校自体はおととい終業式を終えていたけれど、江古田高校はよい子の二年生にスキー教室なるものをプレゼントしてくれたらしい。しかし残念ながら、それを喜ぶのはスキーの上手い一部の生徒と冬でも元気な人たちだけである。スキーは初心者で寒いのもあまりすきじゃないわたしにとって、そのプレゼントはあんまりありがたくない。
 はあ、と溜め息をつくと隣の紅子ちゃんが仕方なさそうに苦笑いする。「そんなに暗い顔しないでも、スキーなんて簡単に滑れるわよ」そう言った彼女は経験者らしい。バスの席順を決めるホームルームでこの日の憂鬱さを語ったことをぼんやりと思い出す。わたしに窓側の座席を譲ってくれた紅子ちゃんのおかげで、バスに長時間乗っていても気分が悪くなる感じはしなかった。


ちゃん紅子ちゃん、食べる?」


 その声に目を向けると、前の席から恵子ちゃんがひょこっと顔を覗かせていた。手に持った赤と白のアポロの箱を差し出していて、意味に気付いたわたしは真っ先にうんと頷いた。遠足のこういうところは大好きだ。両手をお椀の形にして腕を伸ばす。彼女が箱を振るとそこからごろごろとアポロが手の中に転がった。二人で分けてねと言って多めにくれた恵子ちゃんにありがとうとお礼をし、紅子ちゃんに半分渡してから自分の分を広げておいたお菓子の袋の上に置いた。それからプリッツを取り、今度はわたしが前の席を覗く。恵子ちゃんと、隣の青子ちゃんにあげようと思ったのだ。


「プリッツあげるー」
「わーありがとう!」
「三本くらい取っちゃって!……青子ちゃんどうかした?」


 わたしを見上げた青子ちゃんが浮かない顔をしていた。声をかけると彼女はううんと首を振ったけれど、どう見ても何か訳ありの様子だ。目をぱちくりさせていると隣の恵子ちゃんはさっきの紅子ちゃんと同じように苦笑いして、何があったのか代わりに教えてくれた。


「青子、スキー滑れないから憂鬱なんだって」
「え!ほんと?!わたしも!」
ちゃんも?!」


 仲間だ!わっと二人で盛り上がったため一番前に座っていた先生に「こらさん!バスが走ってる最中に立たないの!」と怒られてしまった。すみませんっと謝って座る振りで背もたれの陰に隠れ、それからすぐにまた顔を出す。先生によって一瞬注目を浴びた感はあったけれど、車内はすぐにいつものクラス風景に戻ったみたいだ。恥ずかしいので今は確認しないけど。青子ちゃんも申し訳なさそうに謝ってくれたので、気にしないでと言って話を再開した。


「青子ちゃんも初心者?」
「うん…。絶対みんなみたくうまく滑れないよ〜」
「ね、なんか初心者教室みたいのないのかなあ…」
「でも青子はホラ、いざとなったら個人コーチ頼めばいいじゃない」
「コーチ?」
「快斗くん」


 ぎょっとしてしまった。黒羽くんが青子ちゃんの個人コーチだなんて、そんなの見過ごせないぞ。そういえば随分前にそんな話を三人でした気がする。あのときも今も青子ちゃんは必死にそれはないと否定しているけれど、やっぱり普段の二人の様子を見るに今日のスキー教室でも仲良く滑る光景が容易に想像できてしまう。……いやいや!黒羽くんは紅子ちゃんとスキー楽しんでほしい!ぶるぶるとかぶりを振って、隣の席に座っている紅子ちゃんを頼りなさげに見る。こういうとき何てフォローすればいいのかわからないから自分は使えない。
 しかし目の合った紅子ちゃんは、わたしの懸念などまるで怖くないとでもいうかのようにふふんと自信ありげに笑ったのだった。それに呆気に取られている間に、彼女も立ち上がり前の席に顔を出す。


「黒羽くんにコーチ、頼めるといいわね、中森さん?」
「だ、だから違うって〜」


 たじたじの青子ちゃんと、きょとんとしている恵子ちゃんと、勝ち気な紅子ちゃん。一見不思議なガールズトークから視線を外し、話題の中心となっている黒羽くんへと振り返った。彼は一番後ろの五人席の真ん中に堂々と座っていて、何やら隣の男子としゃべったあとにやにや笑っていた。……君、気付いてないんだろうなあ。
 ふと、黒羽くんの一列前の席に目が行った。窓枠に頬杖をついている白馬くんだ。立ち上がったここからだとバス全体が見渡せるし、彼の茶髪はよく目立っていた。彼にしては珍しくぼーっと外を眺めているようだ。白馬くんも乗り物酔いするのかな、とさっきの自分と重ねて思う。白馬くんもスキーは人並みにはできるって言ってたけど、それほど楽しみにしてる感じでもなかったな。それはイメージ通りで、スキーではしゃぐ彼は想像できなかった。
 じっと見ていたから、白馬くんが視線に気付いてしまった。こちらに顔を向け、小さく笑い、頬杖をついていたほうの手を振った。それが嬉しくてわたしも手を振り返す。もちろん、他の人たちにバレないようにだ。白馬くんの隣の男子は居眠りしてるみたいだけれど、立ち上がってるわたしは後ろの人たちから丸見えだろうから。それがなんだか二人だけの秘密のようでむず痒い。


 どうやら一時停戦の形で決着がついたらしい紅子ちゃんと同時に座ると、今度は男子による総攻撃が始まった。総攻撃というより猛烈アタックとでもいうべきか。とにかく紅子ちゃんを中心に通路を男子たちが埋め彼女に乞うように、スキーを一緒に滑ってほしいとの懇願をしだしたのだ。もちろん今に始まったことではない。この日が近づくにつれて彼らはたびたび同じようなお願いを彼女にしているのだ。今日がクリスマスイブというのが相まっているのだろう、彼らはなかなかに真剣だ。
 しかし今日の目的はスキーを一緒に滑ることだけじゃない。すぐに先生にどやされて席に戻っていく男子たちの何人かとアイコンタクトを取る。グッと親指を立てた彼らに同じサインを返した。


1│top