現実味のない体験をした次の日、いつものように登校すると教室に入るなり白馬くんの姿が目に入った。そりゃー彼の席は後ろの入り口から見えやすいから、そんなに不思議なことじゃない。それでも見つけた瞬間昨日のデパートでの彼が思い出され、少し心臓がどきっとしたのは多分気のせいじゃないだろう。とにかく気を取り直し、意気揚々と白馬くんに駆け寄った。


「おはよう白馬くん!」
「おや、さん。おはようございます」


 読んでいた本から顔を上げた白馬くんは愛想のいい笑顔で挨拶を返してくれた。昨日、事件が解決したあと追い掛けてきてくれた彼と同じで、柔らかい物腰の白馬くんはやはり噂に違わず紳士だ。今までは特別関わろうとは思ってなかったけれど、昨日の一件を経て白馬くんのことをもっと知りたいと思うようになったのだ。あんなことがあったのも何かの縁なんじゃないかなあ。


「昨日はありがとう!……何の本読んでるの?」
「シャーロック・ホームズです。ご存知ですか?」
「名前なら……。探偵なんだよね。あ、そっか白馬くんも探偵さんだし、ホームズすきなんだあ」
「ふふ、そうですね」

?」


 その声にパッと振り向くと、カバンを両手で持ってこちらを見ている紅子ちゃんがいた。ちょうど来たところなのだろう、笑顔で挨拶する。「おはよう紅子ちゃん!」「おはよう。……あら白馬くん」「おはようございます。小泉紅子さん、でしたよね」そう言って二人が挨拶を交わしているのを眺めていると、紅子ちゃんの横顔が一瞬、寂しそうにかげった気がした。指摘する前にそれは消え、紅子ちゃんはいつもの彼女らしい上品な笑顔でにこりと笑っていた。


「仲がいいのね。何かあったのかしら?」
「あ、うん!昨日ね、」


 紅子ちゃんに昨日の話をすると、まあと驚きの声をあげ、それから大変だったのねと労わるようにわたしに言った。それには首を振って、「白馬くんがいたから全然平気だったよ」と答える。実際、もしあのとき白馬くんがいなかったらものすごく心細かっただろうし、解決にも時間がかかって、それはますますひどくなっていたと思う。ほんとに、白馬くんの存在はありがたかったなあ。
 そう、と目を細めて笑う紅子ちゃんを見る視界の隅で、白馬くんも小さく笑っている気がした。



◇◇



 眠気がピークの五限が始まって二十分経った頃、突然白馬くんが早退した。そのときわたしはあまりに眠くて、頬杖をついて起きてるふりもそろそろ限界だったのでいっそ伏せて寝てしまおうとの境地に達したところだった。両腕を机の上に置き、さあ突っ伏そう、と思った瞬間、「すみません」透き通った綺麗な声が聞こえてきたのだった。
 白馬くんだ。脳がそう判断した瞬間目は覚めて、バッと振り返った。他の生徒もほとんどが彼を見ていただろう。白馬くんは先生に早退する旨を告げるとサッと荷物をまとめ、足早に教室を出て行ってしまった。何という早業。教室内が主に女の子によってざわめき立つが、それを制す先生の声ですぐに静まった。そんな中わたしはというと、振り返った先の、席のイスがきちんとしまわれているのを見つけ、心臓をきゅうと痛ませていたのだった。……白馬くん、どうしたんだろう。

 授業が終わったあとも何となく気がかりで、紅子ちゃんにさよならの挨拶をしてから帰り道を歩きながらも頭の中は彼のことでいっぱいだった。具合悪いのかな、大丈夫かな。心配だけど、わたし白馬くんの連絡先知らないしなあ。
 ……ていうか、なんかすごく一方的に興味津々なの気持ち悪いかな?!白馬くんからしたらわたしなんてただの一クラスメイトだし、昨日のだって大したことじゃないのかもしれない。もう少し慎みを持とう自分、そうだ、紅子ちゃんみたいに上品な淑女になるのだ、それで……。


 ふと、視界に黄色がちらついた。顔を上げて見てみる。


「……はくばくん…?」


 まん丸に目を見開く。なんと白馬くんがいたのだ。しかも黄色の正体はよくテレビドラマで見る立ち入り禁止のテープだった。それは建物と建物の間の狭い路地の入り口に貼られていて、白馬くんはその向こう側にいた。今まで気付かなかったけれど、昨日も見たような警察の人たちが数人そこを出入りしている。こんな小道で何かあったのだろうか。昨日の今日だからか、今度は部外者であることに幾分かほっとしている自分がいた。見るからに騒ぎが一通り終わったあとのそこには警察以外特に野次馬もいなかった。事情はわからないけど、もう解決したのかな?暗がりにいる白馬くんをじっと見てみるも、ちょうど反対側を向いていて気付きそうになかった。
 どうしようと思いながら顔を上げたのと同じタイミングで、外からやってきた警察の人が二人、わたしの横を通り抜けた。「やっぱり白馬警視総監の息子さんはすごいなあ」「あんな少ない手がかりで犯人捕まえちゃうんだもんな」そんな会話が聞こえてきて、目で追うように振り返った。黄色いテープを剥がしている様子からして聞き間違いじゃなさそうだ。白馬くんが、事件を解決したんだ。
 そうか!ここでやっとピンときた。白馬くんが早退したのは、事件の報せを聞いたからなんじゃないか。それで白馬くん、理由も何も言わないで出てったんだ。なるほどそれなら納得だ。
 自分の推理にしっくりきたわたしはうんうんと二度頷き、それから、向かいの道路に構えているお店にあることを思いつき駆け出したのだった。





「白馬くん!」


 ちょうどお店を出たところで白馬くんも向かいの路地から出てきていた。警察の人と別れた彼を大声で呼ぶと、すぐにこちらに気付いたその人はわたしに向けて手を振ってくれた。信号が青になったところで、買ったものに気をつけながら横断歩道を渡り、白馬くんの元へ駆け寄った。


「事件だったんだよね、お疲れさま白馬くん」
「ああ、ご存知でしたか。さんは今帰りですか?」
「うん。たまたま通りかかったら黄色のテープ貼られててびっくりしたけど、もう解決したんだって?」
「ええ」


 すごいなあ、と感嘆を漏らし、すぐにハッとする。「じゃなく、ないけど、白馬くんシュークリーム食べない?!」「え?」きょとんとした白馬くんにさっきの洋菓子店で買ったそれを見せる。「昨日のお礼と、お近づきの印に!一緒に食べましょう!」何としてもという気迫が伝わったのか、そんなわたしを見て白馬くんはクスッと笑った。


「はい、是非」





 すぐ近くの公園に行き、空いているベンチに並んで座る。お互い脇にカバン、間にシュークリームの箱を置いてもゆとりはあったけれど、並んで座るのはなんだか緊張した。カスタードのシュークリームを包み紙と一緒に渡すと白馬くんはお礼を言って受け取った。そして二人揃っていただきますと言い、ぱくりとシュークリームにかぶりついた。うむ、おいしい!


「おいしいですね」
「ね!やっぱり疲れた脳には甘いものが一番だよね。……あ、でも白馬くんはそんな疲れてない、のかな」
「ふふ、そうでもないですよ。ありがとうございます」


 そう笑ってから、また一口ぱくりと食べる白馬くんを横目に、わたしもそれをかじる。外の皮がパイシューになっていてカリカリのこれはあのお店の看板商品だ。たまにお母さんが買って来てくれるのを喜んで食べてる。しかし、わかってたけれど、脇からカスタードが零れないよう気をつけながら食べるのはなかなか大変だ。しまったチョイス失敗したかも、とちらっとまた白馬くんを見てみるも彼はぱくぱくと上手に食べ進めていたので、そんなところもすごいと感嘆するばかりであった。
 もちろん労う意味もあったけど、何よりお話する時間が欲しくて口実に使ったのだ。白馬くんのことをもっと知りたい。その気持ちから、さっきの事件について聞いてみた。もちろん話せる範囲でいいからと言うと彼は快く頷いて、事件の概要をかいつまんで話してくれたのだった。どうやら犯人はアリバイ工作をしていたらしく、そのため容疑者から外れていたのを白馬くんが暴いたのだとか。なかなか耳にしない単語たちに首を傾げるわたしに対し丁寧に説明してくれる白馬くんは本当に優しいと思う。
 犯人を追い詰めた証拠まで話し終えた白馬くんは心なしか爛々としていた。昨日からわかってたけど、高校生探偵は伊達じゃないなあ。ふうと一息ついた彼にありがとうとお礼を言う。実際は物騒な事件だったけれど、白馬くんの話し方がとても上手で恐怖よりわくわくの方が上回っていた。いえ、と短く返した白馬くんはそのあと、わたしの目をじっと見て問い掛けた。


さん、こういうのに興味あるんですか?」
「え!いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「というと?」
「え、あの……白馬くんと仲良くなりたいなあって思って、ちょっとでも白馬くんのこと知れたらなあと思ってて……」
「……、」
「と、友達になって、くれませんかね…?」
「ええ、もちろんですよ」


 そう嬉しそうに答える白馬くんの笑顔を見て、心臓がどきんと跳ねた。パッと目を逸らし、手の中のシュークリームに視線を落とす。すごいな白馬くん、本当にすごい。意味不明なことを頭の中で念じながら、口がにやけてしまうのをなんとか堪える。けれどそうしている間も、じんわりと、心臓から体中へと熱が広がっていくのを感じていた。……ああ、あったかいなあ。気持ちいいなあこの感覚。

 ようやくはっきりする。わたしは、白馬くんのことがすきになったらしい。


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