「ねえねえ、ちゃんってすきな人いる?」


 席で五限の数学で指されそうな宿題と格闘していると突然、ノートに影がかかった。その声に顔を上げる。青子ちゃんと恵子ちゃんが机の前に立っていたのだ。ぱちくりと瞬きをし、それから二人の質問に答えるための脳を働かせる。0から9の数字は一旦宇宙の彼方へポイと飛ばし、代わりに全然違う引き出しを開けるのだ。しかし、残念ながら中は空っぽである。


「いないよー。なんで?」
「さっき女子で話題になったんだよね、ほら十二月にスキー行くじゃない?自由時間に誰と滑るかって話になって、まあ青子は快斗くんで、」
「だからなんでそうなるのよ!青子と快斗はべつにそんな約束してないんだから!」
「くろばくん……」


 青子ちゃんと黒羽くんは幼なじみで、時間場所構わず喧嘩してはクラスメイトに夫婦と茶化されるのは日常茶飯事だ。しかし、それはわたしにとってあまり好ましくないものだった。素直にそうなんだと乗れない。
 だってわたしの大事な親友の紅子ちゃんが、黒羽くんのことをすきなのだ。紅子ちゃんは彼を絶対虜にしたいとよく言ってるし、いくら他の男の子に言い寄られても応える気がないところからも彼への本気がうかがえる。わたしは断然紅子ちゃんの応援をしているので、もし黒羽くんと青子ちゃんが付き合いでもしたら本当に困るのだ。
 浮かない顔をしていたのか、黙ってしまったわたしを不思議に思った恵子ちゃんが「えっ」と声を上げた。


「まさかちゃん、快斗くんのこと…?」
「え?!」
「え、ち、違うよ?!」


 思いっきりブンブンと手を振る。なにやら変な誤解をさせてしまったみたいだ。一緒に驚いたあと「そ、そうだよね、びっくりしたー」と苦笑いする青子ちゃんよりもわたしのほうがびっくりしたと思う。黒羽くんをすきになるなんて、そんなこと絶対にない。それは誓える。


「でもちゃん、バレンタインで男子には快斗くんしかあげてなかったよね?」
「それは黒羽くんにちょうだいって言われたからだよ…」
「ふーん、そっかあ」


 わたしにとってバレンタインは確実に、紅子ちゃんにアタックするための行事でしかなかったよ。そう、あの日、転校してきたばかりの紅子ちゃんとどうしても仲良くなりたかったわたしはホームルーム前、教室の中心に座る紅子ちゃんにチョコレートを渡すため、彼女を囲う男子たちのバリケードに突撃したのだ。我先にと紅子ちゃんにたかる彼らに負けじとかき分けなんとか中心に辿り着くと、ちょっと驚いた様子の紅子ちゃんに勢いよくチョコレートを差し出したのだった。
 それまで高嶺の花と思っていた紅子ちゃんが、おずおずと、ありがとうと言って受け取ってくれたのは、なんというかもう、わたしの歴史に残る大ハッピーなことだった。気分が高まってそのあと「友達になってください!」と叫んだのはわたしの歴史に残る赤っ恥だったけれど、あれを機に紅子ちゃんとぐっと仲良くなれたので結果オーライだろう。


「あ、紅子ちゃーん」


 ふと顔を上げた青子ちゃんがそう言って手を振る。振り向くとそれまでどこかに行っていた紅子ちゃんが戻ってきていて、彼女はわたしたちに気付くときょとんと目を丸くした。わたしが何と言おうか迷っている間に、恵子ちゃんが先に今の話題を説明してしまった。


ちゃんのすきな人の話してたの。快斗くん有力説」
「えー!!紅子ちゃん!違うからね、わたし黒羽くんのことなんて全然、」
「ええ。大丈夫、わかってるわよ」


 え?今度はわたしがきょとんとしてしまう。信じてくれるのはとても嬉しい、けど、なんだろう、違う意味にも聞こえた。呆気にとられた気分で「わたし今、すきな人いない、よー…」力なく言うと、紅子ちゃんは目を細めて小さく笑ったのだった。……紅子ちゃん?


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