新学期初日の朝、ホームルーム前の時間を利用して携帯のインターネットニュースを読んでいた。京都では目まぐるしく事件に追われていたため、ろくに新聞を読む時間も取れなかったのだ。画面上部に表示されている時刻を一瞥し、まだ時間には余裕があることを確認する。
バックナンバーを遡り気になる記事だけを選び読んでいくと、ある一つの見出しが目に留まった。ほとんど反射的にそのページを開く。四月四日、怪盗キッドが横浜の深山美術館に侵入し宝石を盗んだというニュースだった。当日の予告だったらしく慌ただしい警戒態勢の中、今回も華麗な手口で警察の目を欺き奪い去ったとの旨が書かれている。四日といえばさんと京都に行っていて留守にしていた日だ。タイミングが悪かったな。思わず苦笑いを零す。立ち会うことができなかったのは悔しいが、京都の出張も自分にとって必要不可欠な出来事だったため少々複雑な気持ちになる。学校が終わったら二課に顔を出して中森警部に話を伺いに行こう。そう考えながら下まで画面をスクロールしていく。


「……?」


無意識に眉間に皺を寄せていた。記事の下部に、何やら不穏なことが書かれていたからだ。「同時刻、深山美術館付近で銃撃戦があった模様。近隣住民の通報により路地裏に空の薬莢が数発分残っていたのを警察が発見。怪盗キッドの件との関連を現在捜査中」……銃撃戦?しかし怪盗キッドは銃は使わないはず。一体どういった根拠でその可能性が浮上したのか、これも調べる必要がありそうだ。最後まで読み終わり、携帯の画面を消す。顔を上げ斜め左の席を見るが、当事者である黒羽快斗は机に伏せながら僕と同じように携帯を見ているだけだった。特に異変は見られない。もしも本当に銃撃戦とキッドが関係していたとしても、彼が負傷したということはなさそうだった。

……まあ、あまり期待はできないが。席を立ち、彼の席に歩み寄る。


「黒羽くん」
「あ?なんだ白馬かよ」
「君、大丈夫だったのかい?」
「…はい?」
「銃撃戦にキッドが巻き込まれたって話じゃないか」
「なんだそりゃ?つーか俺はキッドじゃねーっつってんだろ。しつけーなー」


にこにこと目は笑いながら口元は引きつっている。しつこくしているのは確たる証拠があるからなんだけれどね。まあ、まさか今更芳しい反応が見られるとは思っていないし、本人の心配はないようなのでとりあえずは良しとしよう。


「まあ可愛い。ありがとう
「んーん!」


ふと、前の席の声が耳に入りそちらに顔を向ける。どうやらさんが紅子さんにお土産を渡しているらしい。彼女には縁結びのお守りを買ったと言っていたのを思い出す。目を輝かせながら京都での話をするさんと、それを見守るように目を細めて笑う紅子さんを眺める。
少し前にさんから、紅子さんの親友と言われて心底嬉しかったという話を聞いた。それを裏付けるといっては何だが、普段から彼女の話には頻繁に紅子さんの話題が上がる。それが決まって楽しげに話すものだから、こちらも聞いていて気分は、いい。親しくなってすぐにわかったことだが、さんは紅子さんをとても好いているのだ。そして紅子さんの方もそうだというのも、一目瞭然だった。

少し思考の海に沈んでいたらしい。何かの話の流れで彼女が口にしたフレーズが脳に届いた瞬間、ハッと現実に引き戻された。


「それで通りの名前の唄があってね、丸・竹・夷・二・押・御池、嫁・三・六角…」


…え?

一瞬頭が真っ白になる。彼女の歌う唄は知っている。千賀鈴さんが歌ってみせた、京都の通りを辿る手まり唄だ。そうでなくて、問題はその歌詞だ。「俺の初恋の人は「姉三六角」を「嫁三六角」って歌うてたんや」考え込むように腕を組んだ服部くんが思い出される。そして、玉龍寺での神妙な表情。…まさか、服部くんの初恋の人というのは、本当に……。


さん、」
「うん?」
「その唄、どこで覚えたんですか?」


平静を装い、彼女に問う。イスに座り僕を見上げる彼女と、視界の隅で同じように目を丸くしている紅子さんも捉えられた。急に話に割り込んだことに対して申し訳なく思う余裕は、このときなかった。嫌な感覚が身体中を巡る。しかしそんな僕の内心とは裏腹に、さんは目をぱちぱちと瞬かせ、それから何でもないように、むしろ得意げに背筋を伸ばした。


「京都で和葉ちゃんに教えてもらったの!」
「え?」


思わず間抜けな声が漏れてしまう。それからハッとして、思考を回転させる。和葉さんが手まり唄を知っていた…?しかも服部くんの初恋の人と同じように、本来の唄とは違う歌詞で覚えている。ということは。
そこでようやく、玉龍寺での服部くんの表情に合点がいった。なるほど、そういうことだったのか。どうやら意外な真実があったらしい。これをおととい服部くんは、何らかの過程で知ったのだろう。考えこむ僕を不思議そうに見上げるさんは、それから思い出したようにそういえば、と疑問を口にした。


「和葉ちゃんといえば、結局服部くんの初恋の人って誰だったんだろうね」
「ああ、それは…」


今しがた発覚した事実を話そうとしたところで、ホームルームの鐘が鳴った。すぐに担任が教室に入ってきたためさんにはまたあとでとだけ言い残し、自分の席に戻った。

一番後ろの席に座り、人知れず息を吐く。担任の話は小耳に挟む程度に留めつつ、さきほどの浮いた心臓の感覚を思い出していた。
表には出さなかっただろうが、内心ひどく動揺したのだ。さんが初めて京都に行ったのが中学のときだという情報も、さっきは頭から綺麗に抜け落ちていた。和葉さんの相談を受けたときはあんなことを言っておいて、いざ自分のこととなるとこの体たらくだ。人のことは言えない。自嘲する気にすらなれず、口を手で覆い隠し溜め息をついた。……どうやら僕は、思っていたほど余裕はないらしい。

顔を上げる頃には前を向いていたため気が付かなかった。それまで紅子さんが、不満そうにこちらを見ていたことに。