白馬くんと京都に行くことを教えてもらったときも心から楽しみだという彼女の気持ちがよく伝わってきた。その意気込み通り、彼といてつまらないなんて思うわけがなく、実際は彼との旅行を十二分に楽しんだようだ。昼休みにお弁当をぱくぱくと食べながら話す彼女を微笑ましく思いながら相槌を打つ。彼と別行動だったというのは意外だったけれど、元は事件の捜査が目的だったから仕方ないし向こうで友達とも会えたからよかったのだと言う。そのあとも殺人事件が近くで起きたり友達が攫われてしまったりとてんやわんやだったと言い、話が終わったところで、「ふうん…そうだったの」予想と違った終着点に思わずそんな返事をしてしまった。事件に巻き込まれたのもそうだけれど、今日話を聞くのを楽しみにしていた身としては少し物足りない。野暮かと思って二人の様子を魔法の玉で見るのを我慢してたくらいなのに。


「何も進展はなかったの?」


そう、二人で旅行に行ったのだから、何か、いっそ結ばれてしまうくらいのことは覚悟していたのだけど。拍子抜けね、彼、ヘタレではないと思ってたのに。

白馬探はの運命の人である。それは私しか知らないこと。遅かれ早かれ二人は結ばれる運命なのだ。そのきっかけが昨日までの旅行だと思っていたのだけれど、私の予想は外れたらしい。の心はとっくのとうに白馬くんに向いているんだし、告白とまではいかなくとも何かしら進展していてもおかしくはないでしょうに。目の前で首を傾げるこの子がいくらあなたをすきでも、のんびりしていていい理由にはならないわ。


「進展とは?」
「白馬くんと何もなかったの?って意味よ」
「あ、ああー……あ〜〜」
「あら、あったの?」


目を丸くする。なによ、それならそうと早く言いなさいよ、水臭いわね。途端に肩をすくめ頬を染めるにほらほらと催促すると、彼女はどもりながらも一日目の夜にあった出来事を話し始めた。途切れ途切れに、ときには控えめに身振り手振りを加えながら明らかになっていくそれに、気付くと口をぽかんと開けてしまっていた。


「で、おやすみって言って逃げた…」
「………」


ハッとして口を両手で隠し背もたれまで身を引く。さすがに予想外すぎる彼のアクションに声が出なかったのだ。の赤い顔がうつったのか、自分の頬が熱くなっているのがわかる。


「そ、それは…あなた……次の日どうしたの?」
「服部くんが襲われたって連絡が来てバタバタしたから…」
「ああ…」


なんだかんだで流れたのね。気まずいとかにならなくてよかったわね、と言うのは不謹慎かしら。思うだけで飲み込み、胸の動悸を静めることに尽力する。自分の身に起こったわけじゃないのに、想像しただけでどきどきしてしまったのだ。


「やるわね白馬くん…」
「ね〜…もうほんとびっくりして、死ぬかと思ったよ〜」


参ったというように言う彼女には苦笑いをしておく。でも、そこまでしておいてそのあと何もないっていうのは、彼はどういうつもりなのかしら。も、もう脈ありじゃない。告白しちゃえばいいのに。「…あ、でも、この旅行でわかったんだけど、」ふと、声のトーンを落としたに目を向ける。


「わたしきっと、白馬くんにとっての事件には勝てないんだなあ、と…」
「…?」
「いや、ごめん、おまえ何さま?!って感じだよね!」


慌てて目を逸らすで半分腑に落ちる。…ふうん、そういうこと。あなた、事件なんかに嫉妬してるの。だから行動に移せないの。
ちらりと、机に提げられた彼女のスクールバッグに目を落とす。開いた口から見えるのは文庫サイズの本だ。それがシャーロック・ホームズの本であることを私は知っている。少し前から白馬くんの愛読書を借り始めたらしい。仲は順調にしか見えないのに、二人が結ばれるのはどうやらまだ先のことみたいね。「そんな不安になることないのに」もどかしいようなホッとしたような複雑な気持ちで彼女に笑いかける。おそるおそるといったように顔を上げるは、それから眉をハの字にして力なく笑った。


「あっ!紅子ちゃんこそ、黒羽くんとはどう?」


打って変わってピンと背筋を伸ばしたに目をパチパチと瞬かせる。落ちていた気分は復活したらしい。しかし、彼女の期待は申し訳ないけれど、この春休みの間で報告するようなことはなかった。怪盗キッドの予告には一応できる限り立ち会っていたけれど、まさかそれをそのまま話すわけにもいかないし。けれどそれを特に肩身が狭いとは思わない。それでもいいと思っている自分がいる。


「…あの人は、簡単に手に入らないから追いかけたいの」


目を細めて薄く笑う。そう、他の男のように簡単に私の虜にならないからこそ落とし甲斐があるの。諦めてなんてあげないんだから。


「ほお…!わたしだったら、紅子ちゃんに追いかけられたらひと溜まりもないけどなあー」
「そうでしょう?」


目をきらきら輝かせるに気分が良くなりにこにこと笑う。


「…あれ、でも白馬くんも紅子ちゃんバリケードに混ざったことないけど…」
「あの人はいいのよ。のすきな人だもの」
「え、えへ。ありがとう…」


あの人の心はいらない。いい意味で、逃がしたのを惜しいと思ったことは一度もなかった。予鈴のチャイムが鳴る。どちらが言うこともなく机に向き直り、てきぱきとお弁当箱を片付ける。そうしている内に昼休みの間どこかに行っていた白馬くんが戻ってきたらしい。それを目で捉えながら、五限の準備に取り掛かった。
数学の教科書とノートを出し終え、ちらりと振り返る。携帯とにらめっこしている白馬くんは私の視線には気付いていないようだった。


ねえあなた、が嫉妬までしてくれてるの、知っているのかしら。それで今の関係に甘んじてるなんて、贅沢者よね。


は彼の追う事件には勝てないと言う。…じゃあ白馬くんは、誰に嫉妬するのかしら?
ふと湧いた疑問に、私は自然と勝気な笑みを浮かべるのだった。