高校二年生二日目の四限は数学だった。とは言っても内容は一年生の復習で終わったので、とりあえず置いてけぼりになることはなくてよかった。明日から新しい単元に入りますと宣告を受けたときは思わずごくりと固唾を飲んだけれども。
真新しい教科書は一限の古典、現代文、英語に続き四冊目だった。こうやって科目ごとに初回の授業で配られていくらしい。C組の先生が化学の教科担任だったので、化学だけはすでに配られていた。

終了のチャイムが鳴り、数学の先生が教室を出て行く。黒板にしきつめるように書かれた問題と答えたちをそのままに昼休みの始まりだ。数学は去年に引き続き水色のノートにした。B5サイズのそれと一回り小さい教科書と問題集を束ねて机でトントンと端を揃える。机にしまい、その手で脇にかけられたスクールバッグからランチバッグを取り出す。くるっと振り返る。


「ん?」


中途半端に出た声は誰の反応も得ることはなかった。振り返った先、一番後ろの列に座る不動くんを探したのだ。けれど彼は同じ列に席がある鬼道くんに何やら声をかけられたあと、お弁当が入っているであろう小さい手提げと携帯だけを持って席を立ったのだ。


「………」


目で追っても不動くんも鬼道くんもわたしに気付く様子もなく教室を出て行ってしまった。すぐ戻ってくる感じでもなかった。ぽかんと口を開けていた。ちょっと考えてなかった展開だ。……あれー…一緒にお昼、食べない、のかな…?当然のように不動くんと食べるつもりでいたので呆気にとられてしまう。不動くん、わたしに声かけたり、わたしのこと待とうとする気配すらなかったよ。


ちゃんお弁当だよね?一緒に食べよー」


隣の美佐ちゃんが声をかけてくれてようやく自分が固まっていたことに気付いた。あ、う、うん、とどもりながらイスに横向きに座り直す。一年のときも美佐ちゃんたちとこうして集まってお昼ご飯を食べていた。でも今年は、不動くんがいるのに。
当然のようにやってきたすーちゃん(さん付けするなと笑われてしまった)は美佐ちゃんの前の席が空いていたのでそこに座ってお弁当箱を広げた。彼女は見た目通りの明るい性格で、結構サバサバしている子だった。美佐ちゃんとは陸上の種目が違うからそこまで仲良しじゃないよね、と二人して遠慮なく言っていた。C組には陸部の女子がお互いしかいないから自然とこうなったんだと。美佐ちゃんもすーちゃんもノリが心地よいので今年一年よろしくできることを幸運に思う。すーちゃん、昨日あんまりいい態度取らなかったの、申し訳なかったな。
美佐ちゃんはお弁当一段目の白米を、器用に大量にお箸ですくい口へと運んだ。豪快な食べっぷりは去年散々友達と指摘して、その度美佐ちゃん含めみんなで笑った。反対にすーちゃんは小さい口で綺麗に食べていくので、似た空気の二人でも対照的だなあと密かに思った。
ふと、後ろでガタンと音がした。反射的に振り返る。

「……」


二つ後ろの席に男の子が座っただけだった。さっきから目立つ音がするたび振り返ってしまう。でも不動くんの席は依然空っぽのままで、もちろん本人の姿は一向に見えない。やっぱりどこかでご飯を食べてるんだ。去年は源田くんと教室で食べてたって言ってたのに、今年はなんで外行くんだよう。教室で食べようよ、わたしと食べようよ。


ちゃんどうしたの?」
「あ、ううん…不動くんどこ行ったんだろうと思って」
「あー、いないね?」
「うん…」


美佐ちゃんとすーちゃんが人の間を縫うように彼の席を覗くも、もちろん彼女たちだけに不動くんが見えるはずがなかった。「部活のミーティングじゃない?」すーちゃんの発言に「そうかもね」と返す美佐ちゃん。なんでも部活のミーティングはだいたいお昼休みに開かれるんだそうだ。そんな部活あるあるで盛り上がりかけた場は、わたしの腑に落ちない顔に気付いた美佐ちゃんによって低空を維持した。


ちゃん、もしかしてフドークンと食べようとしてた?」
「うん」


自分でもわかる。むすっとしてる。ミーティングならミーティングって言ってくれれば、わたしもわかったって言って引き下がる。不動くん、わたしが君とお昼ご飯食べたいって思うって、考えなかったのかね。ちょっと薄情じゃないか。もうちょっとわたしに気遣ってもよくないか。
「ほんと大好きだね!」あはっと大口開けて笑う美佐ちゃんにこれ見よがしに口を尖らせる。こうなったら、不動くん戻ってきたら絶対問い詰めてやるぞ!


「…ねえ、念のため聞きたいんだけど、ちゃんって不動と付き合ってるとかじゃないんだよね?」
「? うん」
「だよね…」


うかがうように問うたすーちゃんの質問に即答すると、神妙そうに呟かれた。その意図がわからず首を傾げてしまう。昨日のすーちゃん曰く、不動くんと親しげな女の子がいるという噂を聞いたことがあったらしく、それがわたしだったんだろうと言っていた。不動くんとのことを話したのは美佐ちゃん含め仲良しグループの子たちだけなはずなのに、いつの間にか他のクラスにまで広まっていたんだそうだ。
特に驚くことでもない。中学もそんな感じだったしね。


「親友だもんねー」
「うん!」
「親友?」


目をまん丸に見開いたすーちゃんを見てわたしも目を丸くしてしまう。そんなに意外な返事だっただろうか。でもそういえば、去年も秋ごろにこの話をしたら驚かれた気がする。中学では気付く頃にはほとんどの人がわたしと不動くんの仲を知っていて「ああまたと不動か」って空気があったけど、高校じゃあまだそうはいかないみたいだ。


ちゃんの友達やるにはフドークンへの理解が必要だよ」
「どういうこと?」
ちゃんは何でもフドークンが優先されるからねー」
「うん!」
「へ、へえ…」


何度も頷く。そうそこは全人類にわかってもらいたいところだ。だからお昼ご飯は一緒に食べたいしクラスも一緒になりたいし帰れる日は一緒に帰りたい。誰にも邪魔されたくない。

ふと、気付いて箸を止める。中学のときも不動くんと一緒にお昼食べないこと、普通にあったなあ。あのときは特別理由があったわけでもなく、不動くんに了解を得ることもなく、女の子の友達とご飯を食べていた。だとしたら今日バラバラで食べることもそんなに気にすることじゃないのかもしれない。少なくとも中学のわたしは、こんな風にもやもやすることはなかった。

親友っていいことばかりじゃないのかもしれない。もやもやしたり独占したくて破裂しそうになることは、心が疲れるから楽しいこととは言い難い。でもやめたくないから、この心とうまく付き合っていくしかないのだろう。得意げな顔の美佐ちゃんと引きつった顔のすーちゃんをぼんやり視界に入れながらわたしは、そんなことを考えていた。

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