強豪と言われるサッカー部の選手である不動くんと単なる帰宅部員のわたしの生活リズムの違いは夏休みでますます顕著だった。春休みのように怠惰な生活を繰り返していたわたしとは正反対にサッカー部はお盆くらいしか休みがないらしく、それ以外はほとんど毎日朝から晩まで練習や試合を重ねていた。この四十日間、お隣に住んでいるはずの不動くんとの遭遇回数は両手で数えられるほどだった。ときどきメールをする彼のそっけなさは相変わらずだったけれど、その文面からはどこか疲労が滲み出ていて、たとえ休みの日がわかっても遊ぼうとの誘いを持ちかけることが躊躇われた。
このままだと一度も会えないかもしれない。それが我慢ならなかったわたしは夏休み中何度か早起きを試みて、早朝に家を出る不動くんに挨拶と激励の言葉を投げ掛けたことがある。「おはよう不動くん!頑張れ!」半袖半ズボンのパジャマのまま部屋のベランダから身を乗り出しそう叫ぶと、自転車に跨った彼は振り返って小馬鹿にしたように笑い、おうと返事をしてペダルを漕ぎ出したのだった。わたしはそれだけでだいぶ幸せに満たされ、その日は一日中にこにこしていた。

そんな具合で夏休みを過ごし、やっと九月になった。久しぶりに会った友達は休暇前より気持ち焼けたようだ。中には部活動で真っ黒になったという男の子も見え、真夏の日差しの恐ろしさを物語っているようだった。今年は焼けるようなことをしなかったわたしは丁度いい比較対象らしく、昼休み、外部活の友達と腕を並べて盛り上がっていた。


「二人とも白いー」
「違う、あんたが黒いんだよ」
「うわ傷ついた」
「あはは」


集まっている友達の中で日焼けがすごいのは陸上部の美佐ちゃんだ。もう一人は屋内部活の吹奏楽部なので焼けなかったらしい。三人で和気あいあいと腕を見せ合いながら話していると、「俺も俺も」と後ろから声がした。振り向いてみると、そこには野球部だろうか、坊主頭の男の子が立っていた。絶賛日差しの恐ろしさを物語っている人だ。美佐ちゃんがぎゃっと声を上げる。


「黒い!」
「すげーだろ」
「腕やばいね」
「ね、さんさん」


長袖のワイシャツをまくり、腕時計を見せるみたいに腕を曲げる男の子。その意味にハッと気付いたわたしは急いで同じように袖をまくって腕を彼に寄せた。今度は吹奏楽部の友達が、うわっと気味悪そうに声を漏らした。


「オセロじゃん」
「なんか自分がものすごく白く見える…」
「これの間に美佐入ればグラデーションになるよ」
「確かに!」
「ね、写真撮ってこれ!」


野球部の男の子の頼みで美佐ちゃんが携帯を構えた。他人との距離が近い人なのか、男の子はとても自然にわたしの腕に自分のをくっつけた。慣れないことなので少し緊張してしまう。その証拠に、美佐ちゃんの「はい笑って笑ってー」との掛け声で視線を上げてやっと、自分の顔が被写範囲に入っていることに気が付いた。いえーいと反対の手でピースを作っている男の子に合わせて自分もしようと手を上げた。


!」


突然呼ばれた名前にビクッとする。続いてパシャリと音がした。「あ、」早まった、と美佐ちゃんが漏らす。それには目もくれず、真っ先に聞こえた方へ振り返る。教室の入り口に、不動くんがいた。


「ごめんちゃんブレちゃった」
「マジか〜もっかい、」
「ご、ごめん!ちょっと、」


うまい言い訳が思い浮かばず言葉を濁してその場から離れた。不動くんが呼んでいるのだ、行かないわけがない。「えっちゃん?」後ろで彼女が驚きの声を上げているみたいだったけど、後ろ髪は引かれなかった。不動くんの表情はどこか険しい、ように見える。気のせいだろうか。
入り口まで行くと不動くんは足を引き廊下に下がった。それを追い掛けるようにわたしも教室を出て、壁と並ぶように不動くんと対面した。近くまで来てもやっぱり怒っているように見える。どうしたんだろう。


「不動くん、おはよう」
「もう昼だけどな」
「あ、そうだね」


確かに今は昼休みだ。おはようはちょっと変だったかもしれないな。じゃあ、と思い今度はこんにちはと言い直すと、不動くんは目を逸らし、はっと自嘲気味に息を吐いた。普段から挨拶をしても大体そっけないのが不動くんだ。けれど今のはどうにも彼らしくなくて、首を傾げてしまう。そもそも不動くん、わたしに何か用なのだろうか。会うのは五日前の朝、わたしが二階のベランダから不動くんに挨拶をした日以来だ。あれから何かあったのかもしれない。


「どうかしたの?」
「あ?…べつに」
「え、じゃあ…あ、佐久間くんに用、」
「だったら佐久間呼ぶに決まってんだろ」
「そう、だよね…」


いよいよわからない。不動くんが用もないのにわたしを呼ぶなんてこと、今まであっただろうか。記憶を掘り返しても思い当たらない。なんだろう。
わたしなら、何度もあるけど。用がなくても、というか用は何でもいいから無理やり作って話し掛けに行く。不動くんはわたしがどうでもいい質問をすると呆れたように返してくれて、そのあとわたしは居座ってしまう。追い返されたことは、本当の友達になってから多分一度もない。
……もしかして、不動くんもわたしと同じことをしてるのだろうか。そうだとしたら嬉しいことこの上ない。パアッと表情を明るくしたわたしに気が付いた不動くんは少し気まずそうにこちらを向いた。そういえば、不動くんはサッカー部なのに日焼けをしてる様子がないなあ。去年は塾に通ってばっかりだったから気付かなかったけど、もしかしたら日焼けとは無縁の肌なのかもしれない。


「おまえ、」
「不動くん日焼けしないんだね!」
「…は?」
「だって外部活なのに、あ、さっきね、」


そこでタイミングよく鳴った携帯を見ると美佐ちゃんからのメールだった。開くとさっき撮った写真が添付されていて、ばっちり笑顔が決まっている男の子と随分間抜けな表情のわたしが写っていた。ピースしようとした左手がブレてるなあと思いながら、ほらこの男の子、と見せると不動くんはぎゅっと顔をしかめた、と思ったら、携帯を奪い取られた。


「え?!」
「……」


わたしのそれを操作しているらしい不動くんにポカンとしているとそれはすぐに返された。びっくりしたあ。受け取って画面を見てみる。なんとメールが消えてるではないか。


「え?!不動くん?!」
「きめーんだよ。目が腐る」
「え、え、…ごめん…?」


いまいち不動くんの怒る理由がわからなくて、そんな誠意のない謝罪しか出てこなかった。もちろんそんなので不動くんの機嫌が治るわけもない。そんなに見苦しい写真だっただろうか。真意をうかがおうと不動くんを見上げると、今度は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。それから、はあ、と溜め息をついた彼はわたしを見下ろし、気を紛らわすかのように首を傾げて、つーか、と零した。


「おまえ背縮んだ?」
「え、不動くんが伸びたんだよ…」
「……おお」


…あれ、機嫌直った?
夏休みにまともに対面することがなかったからわからなかったけれど、不動くんはこの四十日間でだいぶ背が伸びた。成長期というやつだろう。これからきっと、わたしと不動くんとの身長差はどんどん開いていくのだ。髪の毛も伸びて、不動くんは初めて出会ったときとは随分変わった容姿になっていく。……ああやっぱり、なんだか不安だなあ。わたしは変わらないのに、不動くんは徐々に変わっていく。そんな君を独占したいのに、できないのだ。
少しだけ目を伏せたわたしとは対照的にさっきとは打って変わってどこか満足気な不動くんは、五限の予鈴が鳴るとじゃーなと言って教室に戻ってしまった。結局何だったんだろう。本当にわたしに会いに来てくれただけだったのだろうか。そう思うと気分は急上昇して、不安なんてどこかに吹き飛んでいくのだった。

教室に戻ると佐久間くんと目が合った。ひらひら手を振るとものすごく呆れたように苦笑いされたのは何だったんだろう。身近な友人のことでさえわからないことが多いのも相変わらずだった。

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