ちゃんの作戦室を訪ねたものの、チームメイトの女の子からあっさりと不在を告げられてしまった。今日のランク戦が終わったあとすぐに帰らないことは、きのう本人から聞いている。だから本部にいることは間違いないはずなんだけど。定期試験に向けてまたラウンジで勉強してるのかな、と当たりをつけつつ行き先を問えば、「王子隊の作戦室です」との答えが返ってくる。


「そっか。ありがとー」


 苦く歪みそうになる衝動を抑え、お礼を言って踵を返す。行って、お取り込み中だったらどうしよう。なんて下世話な想像は頭の中だけに留め、今しがた変更になった目的地へ重くも軽くもない足取りで向かう。急ぎじゃない、大した用でもない。ちゃんが別の人に会いに行っていたのなら、明後日でいいかと帰ったに違いない。
 ちゃんの目的は間違いなく王子だろう。おれと違って真っ当な用件があって足を運んだのか、ただ遊びに行っただけなのかは定かじゃない。何はともあれ、自分の意思で向かったことには違いない。幼なじみの婚約者に会いに行くことは、ちゃんの中ではさして特別なことじゃないらしいから。

 まどろっこしいな。

 無機質な通路で湧いた感想に、悪意は少しもなかった。そう思うのは至極当然のこととすら思えた。
 婚約の話を振ると必ずと言っていいほど浮かない反応をするちゃん曰く、王子は彼女のことをすきではないらしい。たしかに、ちゃんといる王子から、恋愛真っ只中みたいな、初々しい、甘酸っぱい空気を感じ取れるかと聞かれたら、首を捻ってしまう。婚約の話を知るまではおれも、ちゃんが王子に片想いしてるんだと思っていたほどだ。
 それは彼女が、王子の話を振るたび目に見えてぎこちなくなるからだ。弱々しくなったり、はたまた簡素な返事をするものだから、わかりやすいなと面白半分に、隙あらば王子の名前を出していた。実際のところ彼女の挙動不審の原因は、単に婚約を意識していたからであって、王子一彰に対する秘めたる想いのせいではなかった。

 ちゃんは王子をすきじゃないどころか、怖がっている。普段は特別仲がいいのに、王子を怖いと言う彼女が嘘や虚勢を張っているわけではないのが不思議だった。興味本位で探るたび本人には嫌な顔をされてきたけれど、おかげでだんだん予想がつくようになった。ただ、不安を抱えてまで王子との約束を守ろうとする姿勢は理解できないけれど。





「やっほー」


 到着した作戦室のシャッターを開けてもらうと、まず入り口で出迎えた王子と顔を合わせる。「やあ。どうかした?」「うん」頷き、視線を室内へ移すと、一番近くのイスに座っていた私服姿のちゃんがこちらを振り返った。目が合うと同時に、彼女越しにテーブルに置かれたチェス盤が目に入り、現状を察したおれは遠慮なくお邪魔することを決めた。ある意味お取り込み中だったらしい。


「どっち勝ってる?」
「一彰」
「やっぱり」


 予想通りの戦況にわざとらしく肩をすくめる。連戦連敗を喫しているちゃんだって実力差は自覚しているだろうに、他人に軽んじられるのは気に食わないらしく、むっと口を尖らせた。今は空席の彼女の正面に、黒色の駒がいくつも並べられていることを確認する。対するちゃんの手元にはひとつもない。


「スミくん?」
「ごめんごめん。ちゃんに聞きたいことがあってさ。これ終わったら借りてっていい?」
「うん。暇つぶしに付き合ってもらってるだけだから」


 二つ返事で答えた王子と目を合わせる。すぐに向こうから逸らし、「、動かした?」と席へ戻っていく。その様子をつぶさに観察してみるも、特に気になる点は見つからない。


「スミくん、もうすぐ終わるから座って待っていなよ」
「ありがと」


 ご厚意に甘えてちゃんの左隣のイスを引く。それですら、ちらっと王子を見てみたけれど、次の一手を考えているようで、気にされた様子もなかった。

 決着までの時間は王子の言った通り、そうかからなかった。素人のおれから見ても劣勢に立たされていたちゃんは足掻くだけ足掻いたあと、チェックメイトを宣言した王子に、脱力したように降参した。悔しいというより、自分に呆れてるのかな。思いながら、飛び込み観戦していた唯一の人間として二人へ労いの賛辞を送る。記念すべき何度目かのちゃんの惨敗だ。


「王子強いねえ」
「今度スミくんもやろうよ」
「いいけど手加減してね」
「うーん、善処はする」


 あんまりしてくれなさそうな口ぶりだな。思わず苦笑いを浮かべる。王子はそれから、やっぱり練習しようと自嘲しながら駒を片付け始めたちゃんへ向いた。


。やっておくから、行っていいよ」
「え?」
「付き合ってくれてありがとう。またやろうね」


 王子からのお礼に、ちゃんは駒から手を離し、一時停止した。それから、「うん。どういたしまして」気を取り直して肩をすぼめる。これだけ見ると仲睦まじい光景に見えないこともない。なのに、彼女の複雑そうな笑みと、対照的に柔和な王子の笑顔に不気味な空気を感じ取ってしまい、リセットすべくイスを引いた。


「行ける?」
「うん。テストの話だよね」
「そうそう」


 ちゃんも席を立ち、王子へ別れのあいさつをしてから踵を返す。手には何も持っていない。身ひとつで来たらしい、本当にただの暇つぶしで呼ばれたんだな。
 シャッターをくぐって作戦室の外に出る彼女に続いて退室する、その前に、振り返ってみた。王子はイスに座ったままだった。


「じゃあね」
「うん。また」


 口角は上がったまま、目線はじっとおれを見つめている。シャッターが閉じる瞬間まで、それが逸らされることはなかった。
 ぞくぞくと、背筋を何かが這い上がってくる感覚。まさか畏怖ではない。「ラウンジ?」行き先を問うちゃんに頷き、真横に並んで歩いていく。
 純粋な好奇心で得た情景が、ひとつの答えをかたどっていく。やっぱりそうだ。そうだろうと思っていた。誰にも見えないように、しかし誰かに見せつけるような笑みは、さぞ得意げだっただろう。なんたって、感情を読み取らせようとしなかった王子の眼差しが、今日会った誰より感情的だったのだ。




8│top