約束の十分前に家を出ると、隣の家のドアもちょうど開いたところだったらしく、気付いた一彰と目が合った。敷地と敷地の境界に立つ白い柵にはツル性の植物が巻きついていて、六月の日差しに負けじと眩しい黄色い花がいくつも開いている。可憐な情景に劣るどころか見事に馴染んだ微笑みを浮かべる一彰に、形だけ同じように返す。花にはさほど興味がないはずなのに、心が通じ合ってるみたいによく似合う。美しさは何も拒まないのだと、一彰を見ていると思う。


「おはよう、
「おはよ」


 家の前の歩道に出てきた二人があいさつを交わす。一彰を前にすると改めてこのシチュエーションの気恥ずかしさが身に沁みるよ。誤魔化すように前髪をいじるわたしとは対照的に、柔く口角を上げて佇む一彰。学校の制服やボーダーの隊服とは印象のまったく異なる、涼やかな色のシャツとチノパンを着こなす幼なじみに気後れしながら、「行こうか」と進行方向へ足を動かしたのに頷き、隣に並んで歩き出す。
 一彰と二人で遊ぶのなんて昔からよくあることだ。外に出かけるようになったのは、中学生になってからだっけ。ボーダーに入る前は登下校も一緒だったから、二人きりは特別なことではなかった。周りの目が気になろうが、一彰といるのは慣れたもので、基本的に誰よりも一番落ち着く存在であることは間違いなかった。
 今日の夜はわたしも一彰もランク戦があるので、三時頃にはボーダーに行って作戦会議をする予定だ。それまでの時間を一緒に過ごそうと、誘われたのは昨日のことだった。

 お昼ご飯は駅から少し離れたレストランに決めた。通りにいくつも構える飲食店の中から、ショーウインドウに陳列されたオムライスやスパゲティの食品サンプルに異議を述べることなく入店する。一彰が洋食好きなので、わたしに希望がなければ大抵どこかしらの洋食店になる。優柔不断で一人じゃなかなか決められないからありがたい。
 昼のピークには少し早いようで、開店したばかりの店内は空いていた。日が強く差し込まない真ん中あたりの四人席に案内され、しばらくメニューと睨み合った末、スパゲティとグラタンをそれぞれ注文した。待っている間はランク戦の話題で盛り上がっては、上位チームの熾烈な戦いに舌を巻いていた。
 下位をうろうろしている身として勝ち上がるためのアドバイスを求めると、視覚支援を素早くとか、レーダー情報を適宜伝えるといいとか、いくつか具体的な回答をもらえた。一彰は戦術や計画をよく練る人なので、話しているととても勉強になる。こういう、思慮深いところも尊敬できる点のひとつだ。
 自分のチームの試合を思い出すように顎に手を当て、うん、と一人頷く一彰は、それから目線だけをわたしに向けた。


「羽矢さんはそういうの的確かな」
「なるほど。やってみる」


 早速今日の試合から意識してみよう。オペレーターとして、少しでもチームのみんなの役に立ちたい。
「……うん」ぐっと拳を握って意気込むわたしを眺める一彰は、うっすら目を細めて笑っていた。




◇◇




 ご飯とデザートをのんびり平らげ会話に花を咲かせていたら、あっという間にちょうどいい時間になった。「そろそろ出ようか」腕時計に目を落とした一彰に応じ、最寄りの連絡通路までの道順を確認してから会計を済ませ、店を出る。
 梅雨の時期にもかかわらずここ数日は快晴続きで、おかげで午後の直射日光は特に攻撃的だった。なるべく日陰を選んで歩くけれど、あっという間に汗ばんでしまう。じっとりとした不快感に無意識に眉根を寄せ、まぶたの汗を指で払う。通用口はまだ先か、と考えて、目的地までのルートがわからなくなっていることに気がついた。
 隣を見上げると、さすがの一彰も暑さを感じているらしく、真ん中で分けた前髪が少し額に張りついていた。けれどそれが駄目だなんてことはまるでなくて、逆に艶っぽさを醸し出して見えるからすごい。凝視してはいけないものな気がして、すぐに視線を正面に戻す。……一彰は、本当にかっこいい人だ。身近な男の人の中で断トツにかっこいい。

 そんな人といつかは結婚するんだと思うと居た堪れなくなってしまうのも無理ないでしょう。口をぎゅうと噤み、堪えるように目の下に力を入れる。横に流した前髪を梳く。


「こっちだよ」


 突然、二の腕を掴まれた。びくっと身体が硬直する。とっさにそちらを向くと、車道側を歩いていた一彰が、反対の歩道に渡るための横断歩道の前で立ち止まっていた。


「連絡通路」
「……あ、ごめん」


 謝れば我に返ったと思われたのか、腕はあっさり解放された。方向転換し、再度隣に並ぶ。こっちだったのか、ぜんぜん、わからなかったな……。俯き、何か別のことを考えようと頭を巡らせる。気を抜くと、二の腕に残る強い感触に、意識を持ってかれそうだった。
 一彰の挙動に特別な意味合いはない。彼がわたしに触るのは、たぶん、面倒を見ている感覚なんだと思う。これは昔からわたしが手のかかる幼なじみだったのが災いしているようで、彼は事あるごとにわたしの存在を確かめるように、手を引いたり背中に触れたりしていた。昔からそういう距離感なものだから、高校生になった今でもこんな調子なのだ。ふとしたときにそれをむず痒く思ったり、申し訳なさに後ろめたくなったりすることがあるのに、結局何をすることもなくされるがままにしている。
 今に限らず、節々で疑問に思うことはある。一彰しかいないから基準がわからないのだけれど、幼なじみってこんなに距離が近いものなんだろうか。ひとえに彼の親切に助けられてきた身としては、それを嫌だと思う隙間はなく、しみじみと、彼が幼なじみで良かったと思うばかりだ。もし変わってしまったら、とても悲しい。

 きっと一彰に、嫌われてはいないんだろう。結婚なんていう約束を律儀に守ろうとしてくれるくらいには、彼の義理や優しさがカバーできる範疇にわたしはいる。「すきだよ」は、きっと、幼なじみとして長年連れ添った答えだった。そうであるならば、わたしは心から信じることができる。


「今日暑いね」


 燦々と照りつける太陽の下、カラフルな車の行き交う車道を見つめながら一彰はこぼす。もう一度横顔を見上げると、こちらを見遣る流し目と合う。
 艶やかな眼差し、笑みをたたえた口元、汗ばむ首筋。わたしの幼なじみは、夏のドラマのワンシーンのように美しかった。




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