もちろんそういう意味じゃなければ、幼なじみの一彰のことはずっと大好きだ。記憶を遡れるだけ遡っても一緒にいる彼は優しく親切で、困ったときは必ず手を差し伸べてくれる頼り甲斐を備えていた。昔から同い年とは思えないほど落ち着いていて、大人のような佇まいで柔和な笑顔を浮かべる綺麗な男の子だったと思う。一彰の持つ美しさは、日の光で消えてしまうような儚い類のものではなく、抗えないほどの強い存在感として、周囲の人間を惹きつけていた。神さまが名前の華やかさに見合うように一彰を形作ったので、王子くんって本当に王子様みたいね、なんて頬を染める女の子の台詞を何度も耳にした。今はあまり知らないけれど、小学校や中学ではノルマのようにモテ期が到来していたんだそうだ。
 そんな、少し目を離したら高嶺の花になってしまいそうな一彰だけれど、不思議なことに疎遠になったことは一度もなかった。一彰がボーダーに入って忙しくなっても、別々の高校に進学しても、わたしの世界から一彰の存在が霞むことはなく、常にわたしの人生の最重要人物として眼前に君臨し続けていた。おとぎ話の豆の木もびっくりの太くて頑丈な縁というものに対し、これまでさまざまな感情で向き合ってきたものだから、彼のことを洗練された一言で言い表すことは、実は非常に難しい。とにかく、わたしが最高だろうが最悪だろうが、一彰は一彰のままだった。
 一彰への不満がひとつもないと言ったら嘘になるけれど、それは相手も同じだろうけれど、彼はほとんど理想的な幼なじみだった。この先もずっと豆の木は切れないのだと、信じて疑っていなかった。

 だからまさか結婚するなんて、考えてもみなかった。


「はい。誕生日おめでとう、


 一彰の話題を出されるたび平静でいられなくなったのは、わたしの十六歳の誕生日をきっかけとする。その日は我が家での夜ご飯を王子家と一緒に食べ、大人たちの団らんが始まる頃に、一彰と二人で自室に移動した。部屋にはイスが勉強用のそれしかないので、いつも座布団かベッドに腰を下ろすのだけれど、今日は座るより先に、一彰からプレゼントを差し出された。「ありがとう!」プレゼントの贈り合いは毎年のことだけれど、もらえるのはやっぱり楽しみで、嬉しかった。
 お礼を言って受け取り、丁寧にラッピング袋のテープをはがし縦長のふたを持ち上げると、出てきたのはネックレスだった。小ぶりの花のモチーフが真ん中についている、控えめでかわいいデザインは一目で気に入った。一彰にもう二、三度お礼を言い、早速アクセサリーケースに飾ろうと、それが置いてある壁際の本棚へ踵を返した。追うように一彰もついてくるのを気配で察する。当時、高校に入って色気づいたわたしはアクセサリーを集めるのがささやかなブームとなっていて、それを聞いていた一彰は、誕生日プレゼントはネックレスにすると前もって約束してくれていたのだ。
 この頃は、一彰に誘われたボーダーに入隊してまだひと月と経っていなかった。C級の攻撃手として日々研鑽に励むことが楽しくて、実際のところおめかしする機会はさほどなかったのだけれど、箱に並んだアクセサリーを眺めるのは訓練とは違ったわくわくがあり、この日増えた新顔にもとても気分が良かった。にこにこと満面の笑みでケースを閉じるわたしの横で、同じように笑みを浮かべる一彰は、その笑顔のままわたしに向いた。


。ぼくとの約束、覚えてるかい?」
「えっ?」


 唐突な問いかけに目を丸くしてしまう。何を隠そう、質問の内容に心当たりがひとつもなかったのだ。約束……やくそく?慌ててここ数日で一彰とした約束という約束をさらったけれど、これといった未達成のものは思い当たらない。背筋が凍り、どうしよう、と目をうようよ泳がせても結局、正直に謝る以外の手段が見つからなかった。身体を縮こませ、おそるおそる彼をうかがう。


「ご、ごめん……何だっけ」
「やっぱり忘れてるんだね」


 一彰が肩をすくめる。苦笑いで、仕方ないなといった風に眉を下げる表情に、猛烈に申し訳なくなって目を逸らしてしまう。
 本人に確認したことはないけれど、一彰は約束事に関して人一倍律儀だ。一度した約束を必ず守ろうとするし、事実、反故にしたことは記憶の中では一度もない。そんな相手と交わした約束を忘れていることに、わたしはこのときとてつもない罪悪感を覚えていた。
 こちらの肩身の狭さを知ってか知らずか、一彰は落胆や憤りの様相を見せることはなく、普段通りの温和な面持ちでわたしを見つめていた。大した約束じゃないのかもしれない、そんな淡い期待が芽生える。一彰が、ふわっと笑顔を浮かべる。


「大人になったら結婚しようって、約束しただろう」


 三秒間の思考停止ののち、「えっ?」素っ頓狂な声を上げる。さっきの比じゃない、しゃっくりと一緒に出たんじゃないかと思うほどの声だった。
 いま、かずあき、結婚って言った?まず聞き間違いかと思って、でも聞き返す勇気はなく、口角を上げて笑みを深める一彰に合わせて下手くそな笑顔を作ってみたけれど、動揺はちっともおさまらない。


「え、と……い、いつの話?」
「六歳のときだったかな」
「ろくさい……?!」


 小一、いやもしかしたら幼稚園児がそんな約束をしたのか!あどけない自分たちの軽率さはもちろん、十年前の約束までをも覚えている一彰に慄いてしまう。
 しかも、そう言われると身に覚えがないこともないのが怖い。昔、一彰と「結婚しよう」みたいな話をしたような気がしてくる。もちろん、今日言われるまで思い出したこともなかった。
 なんだか途方もない気持ちになってしまい、立ち尽くしたまま斜め下を見下ろす。ふと、視界にアクセサリーケースが入った。ついさっきもらったお花のネックレスが一番に飛び込んでくる。誕生日プレゼントはネックレスにするよって、約束。実現してくれた。
 一彰は、本当に約束を大事にする人なんだなあ……。今までの認識はまだまだ足りていなかった、改める必要があるだろう。


「……」


 一彰の律儀ぶりを再認識して、ようやく、事の重大さに思い至る。悪事が明るみに出たみたいに足元がふわふわ浮いてしまう。一度ぎゅっと口を噤み、怖々と開く。


「け、結婚……」
「うん。まだ先になるけど。改めて確認しておこうと思ってね」


 依然混乱する思考の中、わたしはこのとき、一彰は必ず実現させるだろうと確信していた。彼の意志の強さと実行力はそばで見てきて痛感していたし、なによりわたしも、強く異を唱える気は起きなかったのだ。
 わたし、すきな人いなくてよかったなあ……。今どころか、生きてきて一度もそういう人ができたことがなかったから、そろそろ自分を不安に思っていたのだけれど、もしいたら一彰に申し訳が立たなくなっていたに違いない。一彰のこと、そういう対象に見たことはなかったけれど、いい人だし、幼なじみとしてはもう大好きだ。きっといつかは一彰の気持ちに応えることができるだろう。そう難しいことじゃない。……一彰の気持ち?


「えっ、あの、一彰」
「ん?」
「一彰は、わたしのこと、その、すきなの?」
「すきだよ」


 臆面もなく告げられた好意に、心臓はいともたやすく跳ねる。どきどきと強く脈打ちだす。一瞬にして熱の集まった頬が赤くなっていくのを感じながら、「そ、そうなんだ、あはは……」と誤魔化すように目線を下へ逸らす。一彰は昔から、柔らかい物腰のわりに、はっきりと明言する人だった。そっか、一彰、わたしのことすきだったのか、全然、知らなかった。気持ちは素直に嬉しいので、だらしなくにやけてしまうのを堪えるのが大変だった。一彰はそんなわたしを見下ろし、上品に上がった口角のまま続ける。


「だから約束は守ってね」


 身体中が熱い。一彰の視線を一身に浴びながら、火照った頬の熱も冷めないまま、彼に倣うようにはっきりと頷く。いよいよ顔は見られない。見られない程度には照れていた。

 わたしも間違いなく、一彰と結婚するのだと思った。

「そうだ。前から約束していた個人戦、明日はどう?」ふわふわとどこかへ飛んでいってしまいそうな夢心地のまま、いいよと答える。一彰は、先ほどからまったく変わらない笑みのまま、よかったと返した。


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