あんなこと言ったから、ちゃんはおれと距離を置いちゃうかもしれないな。ふと湧いた懸念は、しかし今後の身の振り方に影響を及ぼすことはなかった。そうなったところで、彼女の信頼を取り戻すのはおそらく簡単だ。言葉を尽くせば彼女は安心して、今まで通りおれと友達をやってくれるだろう。大した装備もせず防御を固めているつもりの彼女を見て、時折湧き上がるむず痒い感情の正体は嗜虐心で間違いなかった。それもとびきり健全な。 先ほど終えたB級ランク戦は今月末で結果が決まる。残りの試合を鑑みるに、余程のことがない限りうちが一位になるだろう。影浦隊に噛みつかれることはあれど、ほとんど危なげなかったな。今日の試合も生存点をプラスして上々の成果を出した。さすがに五月の件からすぐにA級に戻れるとは思っていないけれど、確固たる結果は今の二宮隊に必須のはずだ。慢心は元より、手を抜くつもりもなかった。 二人にあいさつし、作戦室をあとにする。少し個人戦をしてから帰るつもりだった。二宮さんと辻ちゃんは用があるためもうすぐ帰るらしい。ひゃみちゃんはオペレーターの友達とパンケーキを食べに行くと言って、おれより先に出て行った。パンケーキといえば、こないだちゃんも加賀美ちゃんたちと食べに行くって、ホームルームが終わるなり教室を飛び出していってたっけ。翌日聞いたら王子もいたとか言ってたな。 「――あれ」 「やあ、スミくん」 ぼんやり歩いていたら通路で王子とばったり出くわした。噂をすれば影。噂はしてなかったけど。聞けば王子も個人戦をしようとしていたらしく、ちょうど中距離の射手と戦いたかったのだと言い対戦を申し込んできた。相手は特に決めていなかったため迷わず了承すると、王子はありがとうと品のいい笑顔を浮かべた。そのまま、二人並んでブースへ向かう。 「スミくん、立ち回りお見事だったね。してやられたよ」賞賛を述べる王子に礼を言う。先ほどの昼の試合の話だ。今回は開始早々自然と中心部に全員が集結したため混戦を極め、一秒一秒の状況把握と判断が求められた。射程がなく切り込まなくてはならない攻撃手に対し、射手や銃手は距離を取りながら盤面を動かす役割だ。途中まで的にならないよう上手く動いていた王子も、最終的には集中砲火を受けて落とされた。そのきっかけ作りに貢献したのがおれなので、王子の台詞はもっともだった。 とはいえ、試合は試合、と分けて考えられる王子は、おれに嫌味を言うこともなく、自身の研鑽のため模擬戦を挑んできたわけだ。こういう切り替えの早さは彼のいいところだと思う。 「そういえばおれ、王子と同じことちゃんに言っちゃった」 連想するように思い出したことを口にすると、王子は何のこと?と首を傾げた。脈絡はないから当然の反応だ。この前のランク戦でぼろぼろだったらしいちゃんに言った台詞の話をすれば、あっさり得心したらしく、ああ、と納得の声を上げた。 「結局ちゃんが何のせいでオペレートだめだめだったのか教えてもらえなかったんだけど、王子聞いた?」 「いや、ぼくもだよ。のあんなオペレートは初めてだったから、具合が悪いのかと思って様子を見に行ったんだけど。見当もつかないからアドバイスのしようがなかったな」 「……それ本気で言ってる?」 「え?」目を丸くした王子にわざとらしく苦笑いを浮かべる。どうやら本気らしい。 ちゃんは恋に恋する女の子だ。彼女の話を聞いていれば面白いほどよくわかる。夢見がちというほど夢想家ではないし、どちらかといえばまじめで地に足のついた子なのに、恋愛の話になると急に地面が消えたみたいに浮ついてしまう。だから悩み事っていうのもそっち方面の何かしらに違いない――ってことくらいおれでも予想できるのに、ほんと王子ってちゃんのこと知らないんだな。 「もしかして、スミくんはわかったのかい?」 「当てはあるよ」 「ふうん……」 「教えてほしい?」 「いいや」 「なんだ」即答され、つい肩をすくめる。 そのタイミングで到着した個人戦ブースは、訓練生や正隊員で大いに賑わっていた。夏休みの日中であればこんなものだろう。隣同士じゃなくてもいいから、近い空室を二つ探そうと個室を見渡す。 「スミくんに教えてもらうのは悔しいからね」 不意に聞こえた声に顔を向ける。隣では、王子も同じように個室の並びをなぞっているようではあった。その横顔が、こちらを向く。普段通りの涼やかな面持ちのまま、嫉妬や僻みなんて醜悪な感情は微塵もうかがえない。そんな顔で、「ぼくは君がうらやましいから」なんて、まるで説得力がない。 「仲がいいから?」 「一緒にいられる時間が長いから。おのずと知ることも増えてくるだろう」 「そうかな」 顔を正面に戻した王子に問う。「じゃあ、王子にとっておれって手強いライバル?」好奇心だった。ちゃんに聞かれてたらどうしよう。心配しないでもその気はないよ、と言ったところで、残念がってもくれないだろうけど。 「……? いや?」 「あれ」 「スミくんがをすきになろうがなるまいが、ぼくらには関係ないからね」 きっぱりと言い切った彼に強がりの姿勢は見えない。まるでこの世の常識と言わんばかりの物言いで、王子はほとんど目線の変わらないおれをまっすぐ見つめ返す。 「だってぼくのほうが早かったから」 「ええ、こういうのは早い者勝ちって話じゃないでしょ」 「早い者勝ちだよ」 今度はにこりと微笑む。有無を言わせない、強引な男だと思われても仕方ない発言だ。違和感は拭えない。ただ、自分が気圧されているという気分にはならなかった。 ちょうど正面の個室から二人の訓練生が出てきた。駆け足でブースを立ち去る彼らを横目に、空いたねと言ってそれぞれ個室へ入る。背後でシャッターが閉まり、暗い室内で煌々と光るデスク上のパネルの前で立ち止まる。 『スミくんは、が結婚の約束を忘れてたって話は聞いたかい?』 「なんとなくは」 内部通話でやりとりを続けながら、パネルで隣の部屋番号を探す。すぐに見つかったけれど、試合はまだ始まらなさそうなので、戯れに今個室に入っている高ポイント保持者を探し誰かを推測しながらスクロールしていく。『忘れられちゃったから、二度と忘れない子にしたんだ』へえ、と気のない相槌を打つ。それがどういう意味なのか、なんとなく想像がついた。だから早い者勝ちとか言ってるのか。言い切れるのもすごいし、その期待をちゃんが未だに裏切ってないのもすごいな。 「でもちゃん、王子のこと怖がってるよ」 ぽろっとこぼれた一言だった。特別腹が立ったとか、傷つけてやろうとしたわけでは、たぶん、なかった。けれど結果として、王子の調子を乱したらしかった。 『知ってるよ』 それにしても平静を装うのが引くほどうまい。 |