「それはちゃんが悪い」


 カップアイスの蓋を外しながら、聞きたくない台詞をほんの悪意もなく言ってのける犬飼に、自分の顔が歪むのがわかる。


 夏休みに入って初めてスケジュールが合ったわたしたちは、ようやくといったように混雑するお昼のラウンジに集合していた。目的は言わずもがな、中間試験でしていた勝負の清算だ。結果はすでに出揃っており、合計点も発表済みだ。今回は悔しいことに僅差で犬飼に軍配が上がったため、わたしがアイスを奢ることになっていた。
 ボーダー内の購買に並ぶそれらを吟味し、これにする、と差し出されたチョコ味のアイスを受け取り、自分の分と、それからすっかりスルーしてしまった誕生日の分としてスナック菓子を選んで会計を済ませる。先にラウンジの二人席で待っていた犬飼に差し出すと、ちょっと意表を突かれたような、愉快げな笑顔でお礼を言われた。
ちゃんって義理堅いよね」その台詞が、遅れた誕生日祝いのことだけでなく、勝負の清算の話をしていると察するのに時間がかかった。まさか自分が負けてたらしらばっくれる気だったのか。戦慄しながら「犬飼は違うの?」と問えば、「おれはどっちでもよかったよ」と軽い答えが返ってくる。奢っても奢られなくてもよかったらしい。犬飼のスタンスを初めて知ったわたしは、急に背中を叩かれたみたいに居た堪れなくなり、思わず、えっ、と声を上げてしまった。なんだ、勝負を真に受けてたのわたしだけだったのか、恥ずかしい。決まりが悪く、肩をすぼめて小さくなっていると、「でもちゃんと話したかったからよかったよ。ありがとね」とフォローするように再度、お礼を言われた。

 学校では毎日のように顔を合わせるけれど、長期休暇に入ったらわざわざ約束を取りつけない限りこうして駄弁ることもない。犬飼とはそういう間柄だ。だとしても気が楽なのは間違いないので、アイスを奢るついでに近況報告をし合うことを、犬飼の言葉通り、わたしも楽しみにしていた。犬飼は聞き上手だからつい話しすぎてしまう。先日の出来事だって、大元の出来事をぼやかしこそすれ、一彰に対して感じた恐れや不信をこぼしてしまう。
 おかげで誰にも言えなかったことを吐き出せて心のもやもやが少し晴れた気がする。代わりに、犬飼からは一彰と同じ苦言を呈されてしまったのだけれど。


「王子の意見は正しいでしょ。図星突かれたって話だよね」
「そう言われたらおしまいなんだけど……」
ちゃんにも事情があったんだろうとは思うよ。どうせ王子関係でしょ?」
「違う」


 反射で否定してしまう。違ったらいいけど、本当はそれも図星だ。
 そう図星だ、何もかも、わたしは一彰に痛いところを突かれて一人でずきずきと傷ついてるだけだ。のっぴきならなくもない事情でまんまとパフォーマンスを崩したオペレーターを咎めた一彰へ、言い返す言葉にどれほどのもっともらしさを飾り立てられるというのだろう。未だに彼への反論が思いつかない。その通りと言うしかない。でも昨日は、口が裂けても認めたくなかった。
 カップとアイスの境目にプラスチックのスプーンを差し込む。溶け始めて柔らかくなった部分を掬い、口に含む。犬飼と同じチョコ味にした。久しぶりに食べたけれど安価のわりにおいしい、お気に入りのアイスのひとつだった。夏休みの明るい時間に、涼しいラウンジで友達と一緒にアイスを食す、なかなか贅沢な過ごし方であるはずなのに、わたしの心はどこまでも浮かない。


「犬飼は、わたしのことべつにすきじゃないじゃん」
「友達としてはすきだよ」
「……だから、友達の犬飼と同じことを言う一彰も、わたしが特別ではないんだと、思ってしまう」


 言葉を選んで発言しているようで、自意識は明らかに過剰だ。重々承知しているけれど、ほかに適切な言葉が見つからなくて、結局むきだしな表現になってしまう。
 一彰はわたしをすきだと言う。まるで幼なじみ以上に想っているような文脈で口にするけれど、しかし彼の分け隔てない接し方や昔から変わらない優しさに特別を感じることはなく、まして昨日みたいなことを言われると、実は嫌われているんじゃないかとまで思ってしまう。


ちゃん、いつでも一番に自分のことを考えててほしいタイプだよね。意外とお姫様思考」


 自分のチョコアイスから視線を上げる。にやっと口角を上げ、至極愉快そうに言い放った犬飼と目が合う。瞠目したまま、口を開く。


「ち、ちがう」
「あはは。ごめん、いじわる言った。べつに駄目じゃないと思うよ。ただ、それを王子がわかってないのがまずいんだよね」


「王子様なのに」スプーンをアイスに差して掬う。気付けば視線から逃げるように彼の所作を見ていた。「一彰が悪いんじゃない……」カップの側面に浮いてきた結露が指を湿らせる。そんなことが気に障る。ろくに思考することなく、思い浮かんだままの言葉を返すしかできない。


「あとちゃんってさ、なんか、がばがばっていうか、隙多いよね」
「隙……?」
「紙装甲のまま必死に守りに入ってるの見てると、ついいじわる言いたくなるんだよね」


「でも王子は違うよね、たぶん」顔を上げる。うっすら細めた犬飼の目と合って、すぐに逸らす。テーブルに置かれたチョコアイスは外側からどんどん溶けている。早く食べなきゃいけないのに、手が動かない。
 一彰の名前が出てきたのに、犬飼の言わんとしていることがわからない。ラウンジは適度な室温を保っているのに、身体の内側はずっと冷たい気流が渦巻いているようだ。


「おれ、ちゃんのことすきだけど、そうやってすぐ傷ついてうじうじ悩んでるの、めんどくさいなって思うよ」
「?!」
「って、言わないと気付かないでしょ?」
「ご、ごめん……」
「嫌いじゃないからね」


 聞こえたという最低限の応答として、肩をすくめて俯く。膝に置いた手がずっと冷たい。……今日誘ったのは、よくなかったんじゃないか。犬飼がそんなことを思っていたなんて、少しも気付かなかった。


「だから、王子が何考えてるかなんて、ちゃんにわかりっこないんだって」


 今何の話をしていたんだっけ。犬飼の言ったことは、つまり、どういう意味だろう。わたしが下を向いたまま目を泳がせていることに気付いたのか、犬飼は言葉を切って、イスの背もたれに寄りかかった。手にしたアイスを一口ずつ味わっているところから、わたしに考える時間を与えているようではあった。
 犬飼の考えてることすら気付かないわたしに、一彰の頭の中だろうとわかるはずがない。一理ある。犬飼はたぶん、正しいことを言っている。

 でも一彰はわたしのことをすきじゃない。これには自信がある。

「でも」言おうと顔を上げると、犬飼は遮るように口を開いた。「ていうかさ」


「一番に考えてほしいって、考えてるのはちゃんのほうだよね」


 耳を塞ぎたくなるような台詞に、きっと悪意はほんのひと匙くらい混ざっている。思えば犬飼は、この手の話になると意地が悪かった。なのに悪い気持ちがひとつもないなんて、よくもまあ、のん気に信じていたものだ。




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