「あっ!」


 指を動かしたときには遅かった。市街地D、大型施設の最上階で、チーム最後の隊員が脱落した。


 ランク戦の反省会を終え、それぞれ訓練や個人戦ブースに向かうチームメイトを見送る。全員が出て行き作戦室が自分一人になると、風船のように身体を膨らませていた空気が抜けて、はあ、とテーブルに頬をくっつけてしまう。わたしにだけ重力が何倍ものしかかっているような錯覚に、身体がぺしゃんこに潰れそうだ。溜め息をついたそばから大きく吸うのに、また吐き出してしまうから、ちっとも膨らまない。
 オペレーターになって早二年、今日が一番下手くそだったと断言できる。新米の頃より酷かった。タグは付け間違えるわ言われなきゃ視覚支援しないわ、弾道解析も気が利かないしぐだぐだにもほどがある。挙げ句の果てにレーダー情報でまったく違うポイントを指示してしまった。チームメイトがフォローしてくれたから何とかなったけど、何あれ、何考えたらあんなオペレートになるの……?


「あー……」


 テーブルに伏せたまま頭を抱える。原因は明白だ。この間の、一彰との事故が頭から離れない。どんなに集中していても脳裏に蘇ってしまう。その度思考がガシャンとリセットされるから、直前まで何を考えていたのかわからなくなってしまう。もう一週間は経ってる、気にするほどのことじゃない、わかってるのに、一瞬でも密着した身体とか、鼻が頭にぶつかったとか、口が耳に、くっついた、とか、思い出したら他のことが考えられなくなってしまう。せめてあのとき、すぐに言い訳して、彼の耳を袖で拭ってしまえばよかった。ちょっとコミカルな空気にしてしまえばよかったのに、完全にタイミングを逸したせいで、一彰もまじめに取り合わなきゃいけなくなってしまった。まじめに、耳に口がくっついたことと、向き合わなきゃいけなくなってしまった。


「……外に出よう」


 こんな調子で明日のシフトをこなせる自信がない。気分はまさしく憂鬱だったけれど、室内にこもっているといよいよキノコが生えてきそう。ちょうど外はいい天気だし、歩いて帰るのはいい気分転換になるだろう。思い、のっそりと起き上がる。
 今日はランク戦のためだけに来たので、来てそのままハンガー掛けにカバンを引っ掛けただけで、荷物も広げていない。席を立って換装を解いたのち、カバンを持って作戦室を出る。ぎりぎりで来たから携帯も見てなかったな。カバンを片手で漁りながら、通路へ足を踏み出す。


「あ、ちょうど良かった」


 直後、聞こえた声に、どっと心臓が跳ねる。反射的に、入り口のすぐそばに立つ人物へ顔を上げてしまう。ああ馬鹿、今は顔を合わせづらい、一彰だってわかってるのに。
 作戦室のセンサー部分に手を伸ばしていた一彰は、明らかにわたしを訪ねてきた雰囲気だった。換装体の白手袋に目が行く。その瞬間、気まずさでいっぱいだった頭が真っ白になる。――約束してたっけ?!
 背中に大量の冷や汗が滲む錯覚に襲われる。探り当てた携帯の画面を急いで確認するも、新着のメッセージはない。記憶を洗っても一彰と会う約束は特にしていなかった。と、いうことは、一彰がただ会いに来ただけだ。
 ほっと息をつく。よかった、忘れてたんじゃない。破ってない。一彰が、わたしへの用があって来ただけだ。改めて見上げると、水色のアクセントが入った黒い隊服姿の彼が、わたしを見て首を傾げていた。


「何か変なところある?」
「な、ないよ……!」


 携帯を持った手を振って否定すると、一彰は、そう?と口角を上げ、頭を元の角度に戻した。ひくっと苦笑いを浮かべるわたしは未だこの状況が飲み込めず、じわじわとぶり返す、一彰と対面することの気まずさに意識を割かずにはいられなかった。
 この一週間、疎遠だったわけでもなく、ボーダーで偶然顔を合わせたり軽く話すことくらいはあった。けれどあの衝撃的な出来事が薄れることはなく、未だ彼と会うには緊張で身体が強張ってしまう。それも今回はたまたまじゃなく、向こうから会いに来るなんて――。

 はたと気付く。一彰は、いったい、何の用で会いに来たんだ?


「ランク戦、調子悪かったね」


 瞬間、ひゅっと背筋が凍る。じっと見つめる強い眼差しからとっさに逸らす。カバンを胸の前に持ってきて、持ち手を握る。防御しているように見えるかもしれない。でもそのくらい、触れられたくないことを的確に突かれた。
 一彰、試合見てたんだ。オペレートが駄目だったって、そりゃあ、あの内容ならわかるよなあ……。


「か、考え事をしてて……」
「考え事?」


 わざわざ聞きに来たってことは、あのときのことで頭がいっぱいになってるって気付いてる。だとしたら、もう一度、謝ったほうがいいんじゃないか。そのほうがすっきりする。いや自分がすっきりしたいがために謝るのってどうなんだ、一彰はあれをどう思ったのか聞くべきか。一彰は優しいから、気分が悪いとは言わないだろうけど、でも、この人はわたしを的確に傷つけるから……。


「それはが悪いね」


 ぐっと、喉が詰まる。止めた息が、心臓をどんどんと圧迫していく。傷口は見事だ、でも、思ったのと違う角度でつけられた。


「オペレートを疎かにしていい理由にはならないよ。何かあったのかもしれないけど、試合中は切り替えないと」
「……え」


 あ、ちがう、一彰、理由に気付いてるんじゃない。単に、ランク戦がぼろぼろだったわたしをたしなめてるんだ。理解した途端、さっきとは違う、何かで縛られるような痛みが全身に走る。窮屈だ。身動きが取れない。
 一彰がわたしを非難している。気分が悪いとかそういう問題じゃなくて、そもそも先週のことは何とも思ってない。わたしとは全然違う。彼との圧倒的な乖離に頭を掻き回され、ぐちゃぐちゃになりそうだった。

 一彰、一彰ならきっと他のことで何かが起きても、仕事となれば簡単に切り替えられるんでしょう。思考を隅から隅まで埋め尽くす重大事件がその身に起きたとしても、次の瞬間にはすべきことに集中できるんだ。でも、あなたができるからってみんなができるわけじゃない。わたしには到底できない。わたしは一彰みたいになれない。
 言い返さないわたしに何を思ったのか、一彰は一歩、最後の距離を詰めた。影が近づいたことは俯いた視界でも捉えられたけれど、不意に伸ばされ、肩に置かれた手が、氷のような冷たさを錯覚させ、びくっと跳ねた。


「考え事って、何があったの?相談に乗るよ」


 覗き込むようにして屈む、彼と目が合う寸前、頭の中でバチッと火花が爆ぜた。次の瞬間には口をついていた。


「かずあきこわい……」


 情けなく掠れた声。表情のない一彰が、わたしを見つめていた。




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