ふと思い立って立ち寄ったランク戦のブースは白い戦闘服を身にまとった訓練生で賑わっていた。総じて若く見える彼らはきっとほとんどが年下なんだろう、と高校最高学年のわたしは思う。自分も昔はあんな感じだったんだよなあ。
 懐かしい気分に耽りながら観戦用のソファに腰掛けると色々なことが思い出せた。訓練生になりたての頃は特に頑張ってた。入隊試験に受かったのは嬉しかったし、換装するといつもと違う自分になれたみたいで楽しかった。訓練は欠かさず出て、いい成績を出してポイントが増えていくのを嬉々としていろんな人に報告していた。B級のチームを組んだ今ももちろん楽しいけど、あの頃も毎日楽しかった。

 でも同時に苦い思い出でもある。


「ここにいたんだ」


 すぐそばで立ち止まった誰かを気配取ると同時に声をかけられた。頭上に降ってきた声の主は振り返らずともわかる。わかるけれど、前もって決まっていたことのように、左斜め後ろへ顔を向ける。


「かずあき」


「うん」首を傾け、静かに目を細めて笑った彼は、それからわたしの首と背中の境界あたりに手を伸ばしてそっと触れた。触れるだけで、何の意味もない。強いていうなら、いることを認めるみたい、と思う。もう慣れたことだ。手のひらはすぐに離れ、一彰は前を通って右隣に腰掛けた。柔らかくないソファなので、座っても少ししか沈まない。
 わたしは何も言わず、すらっと綺麗な足が組まれるのを見ていた。それから、一彰がわたしを見下ろしたのを視界の外でなんとなく察知し、目線を上げる。


「今日シフト入ってるの?」
「うん。は?」
「入ってないよ」
「そっか。だからこんなところにいたんだね」


 その台詞には苦笑いしてしまう。暗に、おまえには縁のないところだって言われているみたい。たしかに一彰の言う通り、オペレーターの制服はわたし以外見当たらないから、言い返すこともできない。でもなんだか、トゲのある言い方だ。顎を引く。


「一彰こそ、なんでこんなとこに」
「スミくんとラウンジで会ったら、もボーダーにいるって聞いたから。作戦室に行ってもいなかったから、あとはここかなって」
「なるほど」


 たまたま会った犬飼にわたしの行方をわざわざ聞いたんだろうか。それとも犬飼のことだから、自発的に伝えたのかもしれない。同じクラスの彼はこの件に関して若干楽しんでいる節があるから。べつに、一彰と喧嘩してるわけじゃあないけれど。
 一彰が背もたれに寄りかかる。見上げる視線の先では訓練生同士の模擬戦の様子がいくつもモニターに流れているけれど、それを見たいわけではなさそうだった。


「なんだか、のことを一番詳しいのがスミくんみたいで悔しいな」
「……あはは」


 わたしの乾いた笑いに、顔を向けた一彰がにこりと笑う。そんな笑顔も美しいと思わせる。一彰は顔が綺麗だから本当に得をしてると思う。こんな簡単なことでわたしを照れさせるのだ。狙ったところなのかは、一彰のみぞ知ることだけれど。


「でも、ここにいるってわかるのは、一彰くらいじゃないかなあ」


 苦し紛れに出てきた台詞だった。口にしてから恥ずかしくなって、首辺りがカッと熱くなる。自意識が過剰だったかもしれない。調子に乗ってしまった。わたしの羞恥には気付いていないのか、一彰は何てことないように「そうだったらいいな」と笑顔で返した、と思う。顔が見られない。前髪を梳くふりをして俯く。


「照れてるの?」
「べつに……」
「あはは。照れてるもかわいいね」


 そう言って一彰は、わたしの顔の横に垂れる髪に指を通し、耳にかけた。次第にどっどっと心臓がうるさくなる。露出させられた右耳は真っ赤だろう。顔も熱い。カラカラと笑う一彰の声が恨めしいはずなのに、心地よいと感じてしまう。長年一緒にいた慣れのせいだろうか。いちいち一彰の行動に照れては心臓が疲れるだけだと十分学習しているのに、わたしは今もこうして墓穴を掘っては一彰を喜ばせる。


「あれ王子隊長じゃね?」


 唐突に耳に入ってきた名前に、小さく反応したのはわたしだけだった。「あ、ほんとだ」一彰の話?瞬時に頭は冷え、耳に神経を集中させる。
 一彰はB級上位のチームだから、ボーダー内ではそれなりに顔が知れ渡っている。有名な隊長と無名の女が仲良くしているのがよく思われてないのかも。その手の嫉妬やからかいは経験があるので容易に想像がついた。自分に向けられているであろう視線が怖くて、俯いたまま顔を動かせない。気付いたときには、一彰の手はわたしから離れていた。


「王子って。最初聞いたとき冗談だろって思ったわ」
「絶対ネタだよな」


(……あ)違う。会話の内容を察してすぐさま顔を上げる。一彰の姿を確認する。彼が、よくない気分になっているんじゃないかと思ったのだ。
 けれどそんな心配もよそに、一彰は、後ろを振り返り声の聞こえた方向を眺めていた。横顔を注視するも不快感や憎悪の色はなく、単に、声の主を自分の目で捉える行為をしているだけに見える。少なくとも、わたしの目にはそうとしか映らなかった。
 視線を追うように振り返る。思った通り、少し離れたところで立ち話をしていたらしい訓練生の男の子二人と目が合った。相手も今気付いたのか、ぎょっと肩を跳ねさせた。それに対して一彰は、まるで知り合いに向けるみたいに、口角を上げてひらひらと手を振ったのだった。
 明らかに気まずそうにぺこぺこと頭を下げてブースを出て行く二人から早々に目を離し、おそるおそる一彰をうかがう。彼はまだ二人の背中を追っているみたいだったけれど、やっぱり負の感情が滲み出てくる気配はなく、淡々とした様子だった。気分は悪くないのだろうか。一彰は名前のインパクトと外見の華やかさで、新しい共同体に入るとまず必ず注目を集める。一通り話題になると周りは落ち着くものの、定期的に新入隊員が増えるここでは常に好奇の目に晒されているようなものだろう。
 そういう光景を目にするたび、密かに居た堪れなくなる。自分も小さい頃、同じような切り口で一彰に話しかけていた経験があるから、バツが悪いのだ。


「一彰、大丈夫……?」
「今の?気にしてないよ」


「そ、そう、よかった」あっけらかんと返され胸をなでおろす。一彰が気にしていないことで、昔のわたしも許されていると思えた。


「自分の名前、気に入ってるしね」
「そうなの?」
が褒めてくれたから」


 え、と口を開く。「がかっこいいって言ってくれたのに嫌にならないよ」にこりと笑う一彰は、間違いなく、心底嬉しそうに見えた。
 瞬間、記憶がフラッシュバックする。幼い頃、初めて一彰に話しかけたときのことは今でも覚えてる。「おうじってなまえかっこいいね」って言った。それで、一彰は笑って――。


?」
「えっ?あっ、何でもないよ!」
「ぼーっとしてたけど。大丈夫?」
「うん」


 大きく頷くと、一彰はそう?と首を傾げたものの、それ以上は追及してこなかった。「ならいいけど」よかった、あの頃のことをほいほい蒸し返す勇気はわたしにはない。自分から触れないようにしている話題のひとつだった。


「王子の苗字はあげるから絶対に結婚しようね」


 一彰はほいほい蒸し返してくるけれど。


「……あはは」
「はは、やっぱり照れた」


 一彰は楽しそうに笑ったあと、不意に、「そろそろ任務だから行くね」と腰を上げた。「えっ」前触れもない、唐突な切り出しに素で驚いてしまう。一切の名残惜しさも見せない彼を慌てて見上げる。


「かず、」
「うん、じゃあね」


 ひらひらと手を振る一彰。既視感を覚えて、固まってしまう。既視感、ちがう確かに見た。それも、ついさっきだ。
 あの男の子たち。一彰の陰口を吐いた彼らへ向けた笑顔と、まったく同じだったのだ。

 高揚していた気持ちは一瞬で静まり返る。俯き、寄る辺ない自分の指先に目を落とす。……これだ、こういうところだ。一彰のこういうところが、わたしはこわい。
 一彰はわたしをすきだという。昔した約束を果たそうとしてくれる。接する彼は優しい。なのに、本当にすかれている自信がまるで持てない。言葉とは裏腹に、一彰はおそろしいほどわたしに頓着してないように見える。
 思えば、彼のわかりやすい言葉以外で、特別に思われてると感じたことがあっただろうか。誰かに言ったら、付き合ってもない相手に何を求めてるんだって怒られそう。ごもっとも、ほんとうにそう、一彰はわたしのものじゃない。義務もなく、本来自由な人間であるべきで、わたしがどうこう言える立場じゃない。でも、いいや、だからこそ。


 かずあきこわい。




1│top