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目的地へと向かう道のりで、ついさっき会ったいのの言葉を思い出す。


「シカマル聞いた?、こないだの任務で倒れて今入院してるのよ」


それは初耳だった。彼女の姿は数日前、慌てた様子で正門へ走っていくのを見かけたきりだった。単に長期の任務なんだろうと思っていたが、まさか帰還早々病院に直行していたとは思いもしなかった。つーか倒れたって。


「すぐ退院できるらしいけど、一回くらいお見舞い行ってあげなさいよね」
「…おまえは?」
「昨日行ったわよ。で、これから任務」


はあ〜とだるそうに息を吐くいのにそうかと相槌を打つ。項垂れたと同時にピアスが日に当たり光ったのが目に入った。
先日の中忍選抜試験でいのとチョウジは見事昇格し、俺たち第十班は全員が中忍になった。このピアスは中忍昇格祝いにアスマから三人にともらったものだ。今回は小隊長というわけでもなさそうな彼女に「気ぃつけてけよ」と声を掛けると、いのは腰に手を当てはいはいと返し、それからにこりと笑った。


「それじゃあによろしくね、カレシさん!…あ、じゃなかった。ヘタレくん?」


「………」思わず口角を引きつらせる。返す言葉のない俺に満足したのか、いのはばいばーいと軽快な挨拶をして去って行った。 昔からあいつはをどう思ってるだのすきなんじゃないのかだのうるさかったが、数ヶ月前に(いの曰く)俺とが喧嘩をし仲直りして以降ますます勢いを増した。というか、あの日いのたちを置いてに会いに行ったとき告白でもすると思っていたらしく、何もしてねーよと言うと思いっきり叩かれた。いくらなんでも理不尽すぎんだろ。
第一、すきだの何だのなんて一言も言ってねーのになに盛り上がってんだあいつ。勝手に決めつけんなっつーの。めんどくせーな。

歩きながら、はあ、と疲労の溜め息をつく。ま、なんだかんだ言ったところで足は律儀に病院に向かってるわけだし、まるで説得力ねーんだけど。
面会時間にはまだ余裕がある。いのの家の前を通ると独特の匂いが鼻先をかすめ、店前に並ぶそれらを横目に歩を進める。花とかガラじゃねーし、いらねーよな。すぐにそう結論付け立ち止まることなく通り過ぎた。

受付で病室を聞き、何人かと相部屋らしいそこに迷わず辿り着く。廊下の表札での名前を確認してから、開けっ放しの入り口から顔を覗かせた。各ベッドがカーテンで区切られる中、一番手前のそこだけはすぐに捉えられるほど広く開けられていた。検診でもあったあとなのかと思いながら部屋に立ち入る。
と同時に、そのベッド脇に立つ人影に気が付いた。一瞬名前が浮かんで来ず、一呼吸置いて口にする。


「…チエ?」
「?おー、シカマルじゃん」


間違ってなかったか。同期といってもチエとはロクに関わったことがないためこいつ自身のことはよく知らないが、の班員であることくらいは知っている。彼女の話にもときどき出てくるこいつは明るい性格でいつもチームの雰囲気をよくしてくれる、らしい。そういやアカデミーでもほとんど話さなかった割にやたら砕けて話し掛けられた記憶がある。きっと昔からコミュニケーション能力が高いのだろう。突っ立って推測しているとチエは首を傾げた。


「どうしたんだこんなとこに。誰かの見舞い?」
「ああ、…の」
?」


目をまん丸に見開いた様子からして意外だったらしい。ああ、と二度目の肯定を示しながら近づく。チエの陰になっていて見えなかったが、予想通りこのベッドの主はだった。班員が入院したんだから見舞いに来るのは普通か。そう考えて、一瞬腹が熱くなったのを冷ます。まだ意識が戻らないのか目を閉じたまま仰向けに寝ている彼女を見て少し胸が痛んだ。外傷はほとんどないように見える。は下忍だからあってCランク任務のはずだ。いのからは詳細は何も聞けなかったことだし、こいつから聞くのが一番早いだろう。冷静になってきた頭で考え、問い掛けようとチエに顔を上げる、と、そいつはいきなりの額に手を乗せ始めた。思わず目を見開く。


「んーやっぱり起きなかったか」
「は…?」
「俺が帰るまでに起きてくれると思ったんだけどなあ、残念だ」
「……」


言ってること意味わかんねーけど、とりあえず、手ぇどけろよ。頭が真っ赤な物体に支配されたように働かない。身体が金縛りにあったように動かない。何もかも固まったみたいに俺はただ、チエがに触れているのを凝視するだけだった。そいつがふっと手を離したところでようやくそれは解けたが、今襲われた動揺に自分自身ショックを受け息を吐くのでやっとだった。そのまま頭の後ろで組んだ手を追いかけるように、大して背も変わらないそいつを目だけで見上げた。


「俺、別用があるからよ。人気者は大変だよな」
「…別用?」
「そ。でもま、シカマルがいるならいいよな!、今寝てるだけだからそのうち起きるぜ、多分」


そんじゃ任せた!笑顔で敬礼をしてみせたチエは何事もなかったかのように病室を出て行った。目で追い、遠ざかって行く足音を聞きながらに向き直る。さっきからうるさい心臓が治まらない。…一旦外出て落ち着かせるか、いやでも、今はここを離れたくねえ。
拳をきつく握りしめる。すると、目の前の白い掛け布団がもぞりと動いた。ハッとして顔を上げる。「…ん、…」眉間に皺を寄せたが、ゆっくりと目を開いた。それをじっと見ていると、彼女は数秒間視線を天井に彷徨わせたのち、こちらに首を向けた。と思ったら「しっ、シカマル?!」目を見開きバッと起き上がった。急いで髪を手櫛で梳かしなぜか布団を叩いて整え出す。あまりに唐突な、意味不明な慌ただしさにポカンとしてしまう。……あ、落ち着いた。慌てふためくを見ていたら逆に冷静になった。こちらに身体を向けてようやく居住まいを正したらしいは髪の毛を耳にかけながら肩をすくめた。


「あ、わ、来てくれたんだ、」
「おう。いのから聞いてな。…ついさっき来たとこ」
「そっか…なんかごめん、寝ちゃってて」
「いや、べつに。つか具合は大丈夫なのかよ」
「うん、もう全然。ちょっと張り切りすぎちゃったみたいで…はは…」


怪我とかは大したことないんだけど、と恥ずかしそうに俯いて話す彼女に耳を傾けながら、来客用のイスに腰掛ける。おとといの任務は急な要請で、そのため別ルートを使ったところそこで思わぬ戦闘に巻き込まれたらしい。なんとか倒し終えたもののチャクラをほとんど使い切ったせいでぶっ倒れたのだとか。目が覚めたときにはすでに病室で驚いたらしい。とは言っても軽症らしいから、明日には退院できるのだそうだ。
それはよかったな、と言うと眉をハの字にして頷いた。それからしばらく世間話をし、もうそろそろ面会終了時間だというところで席を立った。


「そんじゃ、帰るわ」
「うん、来てくれてありがとう。嬉しかった」


頬を赤くさせ笑うにつられて笑みを零す。そんな喜ぶんなら花の一つでも買ってきてやれば良かった。きっとそしたらこいつはもっと喜んだんだろう。思いながら病室を出た。

廊下を歩きながら、息を吐き出す。「さっきまでチエもいたぞ」言うべき台詞はあったが、たかが見舞い一つであんな嬉しそうにしてしまうには、とてもじゃないが伝えようとは思えなかった。いののにんまり笑う顔が浮かんでくる。ああちくしょう、そうだよ、おまえが思ってる通りだよ。
わかってんだよ。これが嫉妬ってやつだろ。めんどくせーから考えないようにしてんだよ、ほっとけ。