「ほい、王手」
えっと声を上げる。角をパチンと指したシカマルはにやにやと笑っていて、わたしはそんな馬鹿なと王将の周りのマスを一つ一つ確認する。が、周到に張り巡らされたシカマル包囲網に穴はなく、仕方なしにはあ、とがっくり肩を落とすのだった。「負けました…」ん、と短く答えた彼は余裕綽々の表情だ。それもそのはず、わたしは今のところシカマル相手に勝つことはおろか、王手と言えたことすらないのだ。シカマルがアスマ先生に勧められた頃からわたしも勉強してお父さんや友人を巻き込んで相手してもらっているのに、未だかつてシカマルの玉将に手が届いたことがなかった。 「もう一回!」 「あいよ」 「飛車角落ちで!」 「はいはい。それはいーけどよ…おまえはまず何でもかんでも玉で取りに行くのやめた方がいいぜ」 会話を交わしながらお互いの駒を元の位置に戻していく。今のもシカマルは飛車も角もなかったのにそれらを彼が持っているのはわたしのが綺麗に取られてしまったからだ。わたしからは何も返すものがないのにシカマルからはどっさり返ってくる中のそれだった。ここまで圧倒的だと自分にセンスがないんじゃないかと思ってしまうけれど、お父さんや友達には勝ったことはあるんだからそういうわけでもない、と、信じたい。 「そりゃあわたしだって他の駒使って詰めたいと思うよ。でもなくなってくんだもの」 「ふっ…」 「笑いごとじゃないよ…」 思わずといったように笑い声を漏らしたシカマルはわりーわりーと軽く謝った。大方今日最初にやった対局を思い出したのだろう。王手をかけられてから頑張ってあがいていたら最終的に王将を残してすべての駒を取られてしまったのだ。あれも結局王将でシカマルの玉将を狙いに行くことになったのだけれど、もちろん結果は言うまでもないだろう。 遠くにお出掛けしていたわたしの王将を最後に置き、自陣が完成する。初めて対戦したとき、王と玉どっちがいいかと聞かれ王将がいいと言ってから、わたしがこれを使うのが定着していた。 こんな弱い奴の相手をして、シカマルはさぞかしつまらないことだろうと思っていた。けれど彼は「限られた駒で戦略を練るのも面白い」と言って、根気強く相手をしてくれるのだった。 それを聞いたのは数ヶ月前のことだ。昔のわたしだったらそんなことにも怖じ気づいて聞けなかっただろう。はっきり何かがということではないけれど、わたしは確実に、シカマルに歩み寄れている気がしている。あの、一度距離を置いて、また会うようになってからだ。もう随分前のことのような気がするなあ。 「んじゃ始めんぞ」 「うん!」 あの日以来、なんなとなくだけれど会う回数が増えた気がする。この間はお見舞いにも来てくれたし、なんだか距離が縮まったみたいで嬉しいなあ。今日だって、シカマルのお誘いを受けてのことなのだ。今まで一度もなかったというわけじゃないけれど、滅多なことではなかったのも間違いない。それがここ最近で回数を増やしている気がするのは気のせいだろうか。純粋に嬉しくて、にやけてしまうのを抑えるので大変だ。 シカマルが歩を一マス進める。わたしは、シカマルが将棋を指しているのを見ているのがすきだ。目を伏せて思考している姿がかっこいいと思う。中盤になると将棋盤を見つめながら少し手を止めるときがあって、そのときわたしは顔を上げ、ぼんやりと彼を眺めるのだ。 駒が陣営の原型を留めないくらいに入り乱れてきた頃、シカマルは手を止めた。怪しまれないようにゆっくり顔を上げる。…ほらかっこいい。 シカマルにルールを教わったときに読んだ本は、彼がアスマ先生からもらったものだ。表紙に「将棋入門」と書いてあるそれは今となってはほとんど見ることもないのだけれど、わたしが王将を使うのと同じように、シカマルの家で将棋を指すときは脇に置いておくのがいつものことだった。それを手に取り、適当なページを広げ俯いた顔の前まで持ってくる。堪え切れない頬の緩みを隠すためだ。本の向こうでパチンと音がする。ああ、もうちょっと悩んでてよ、わたし今、きっと顔真っ赤だ。 「…?何やってんだ?」 「……はい」 こんな風にすぐ乱されてしまうんだから、きっと一生勝てないんだろうなと思うよ。 |