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朝から演習場に向かい一人で投げ忍具の練習をしていた。昨日無心で磨いた甲斐あってクナイや手裏剣の切れ味はとてもいい。持ってきた手裏剣を一通り的に投げ終わり、ふうと一息つくと休む間もなく集める作業に入る。考えるな、考えるな。ひたすら体を動かしてれば考えずにいられる。演習場にはそのために来たのだ。雑念、なんて、早く頭から綺麗さっぱり消さなければ、いつまで経っても先に進めない。

今日はここに来る途中久しぶりにいのちゃんに会った。彼女は長期の任務に出ていたらしくそのことについて少し話して、お互い用事があるからとすぐに別れた。
ふとしたとき頭はあの日のことを思い出し、わたしが望んでなくても勝手に思考を始める。そのたびわたしは動けなくなってしまって、その上うまく吐き出せなくて、悶々とした気持ちは昇華されず溜まっていく一方だった。いのちゃんとおしゃべりをして少し気分は晴れたけれど根本的な解決にはならずすぐに重い何かが身体に蓄積していった。しかしそれもそろそろ限界だ。もうすぐ一気に爆発しそうな気がする。思いながらその発散方法もわからず、任務がないときはこうしてひたすら修業に没頭して気を紛らわせていたのだった。
けれど一人でやるのもマンネリ化してきた。誰かと実戦形式の演習したいな、チエくん暇かなあ。的に刺さったのと外れて草はらに落ちた手裏剣も集め終わり、これで全部かと立ち上がり辺りを見回す。
すると後ろからかすかに足音が聞こえた。誰だろうとロクに思考もせず振り返る。そして目を疑った。


「よ、」


そこにはなんと、シカマルがいたのだ。片手を挙げ短く挨拶する。わたしはというと、予想外すぎる人物の登場に目を見開き、固まってしまっていた。


「…シカマル…?」


やっとこのことで声を絞り出す。シカマルはこちらまで来ると立ち止まり、いつものように片足重心になっておもむろに手を首裏にやった。その一連の動作を呆然と目で追う。彼の姿を見るのは二週間ぶりだった。随分久しぶりのことに感じる。だってわたしは、心に蓋をして、もう当分は会わないようにしようと、思っていたのだ。
あの日わたしはシカマルから逃げたあと、一人で転んで泣いて、いのちゃんとサクラちゃんに助けてもらって、二人に話を聞いてもらった。いきさつを話すといのちゃんには怒られたけれど、そのときわたしはひどく落ち込んでいて、彼女たちにたくさん励まされても、シカマルのことはもう諦めるんだと思っていた。「アンタのネガティブよくないって言ったでしょ」いのちゃんの何度目かになる指摘を受けても人間そう簡単にネガティブからポジティブに考え方を変えられるはずもなく、わたしは首を曲げ力なく頷くしかできなかった。

そのときと同じように俯く。もう会わない。せめてわたしがシカマルを何とも思わなくなるまで会わないと決めてたのに。わたしまだ、あのとき勝手に付いた傷は癒えてないし、シカマルのことも全然吹っ切れてないよ。忘れようと今まで考えまいとしていたのが裏目に出た。いざシカマルと顔を合わせるとどうしたらいいのかわからない。整理が追いつかず身体中を混乱がぐるぐる巡り、解決策のないどうしようが脳内に敷き詰められていく。
「…こないだのことなんだけどよ、」彼の言葉にびくっとする。聞こえる溜め息が怖い。どうしよう。


「なんか誤解してるみてーだけど、俺おまえといんの嫌とか思ってねーからな」
「……、え、」


予想外の言葉に顔を上げる。息を吐いたシカマルはやっぱりといった表情で、呆れたようにわたしと目を合わせた。


「なんとなく思っただけだっつの。べつにおまえがしつこいとかめんどくせーとか思ってねーよ」


つか、普通に俺からだって話し掛けてんだろ。目を逸らし何でもないように続ける。わたしはそんな彼を見て、おそるおそる、息を吸った。そんなはずないのに、とっても久しぶりの呼吸な気がした。「…ほ、ほんと…?」途端にじわりと涙が滲みだす。今まで頭の中で溜まりに溜まっていたもやもやが一気に溶けて、それが涙として外に流れていく感覚だった。シカマルは一瞬驚いたようで、それからゆっくり目を細めた。


「ほんと。…なに、泣くほどショック受けてたのかよ」
「うっ…うう〜…」


そうだけど、そうじゃない。ほとんど嬉し泣きだった。いのちゃんとサクラちゃんにいくら励まされても信じ切ることができなかった言葉が、本人に言われてようやくすうっと飲み込むことができたのだった。
「泣くなっての」シカマルは足を踏み出しすぐ目の前まで来ると、わたしの頭にぽんと手を置いた。それから柔らかく撫でる心地よい感触にわたしは目を閉じる。ずずっと鼻をすすり、手の甲で涙を拭う。ゆっくり目を開けて見上げると、いつも通りの気だるそうな彼と目が合った。


「じゃあ、わたしこれからもシカマルに話し掛けていいの…?」
「いいに決まってんだろ。んな心配すんなっての」


今度は強めにわしゃわしゃと撫で回される。髪の毛がぼさぼさになるのは困ったけれど、心は隅々まで綺麗になっていくようだった。よかった、わたしまだシカマルのそばにいていいんだ。また目の奥が熱くなったのを、ぎゅっと閉じてなんとか引っ込める。「泣き止んだか?」こくこく頷くと手が離され、髪の毛を整えながら彼を見上げた。


「んじゃ行くか」
「へ?」
「ウチん家。いのとチョウジが待ってる」
「え、」
「早くしねーと全部食われちまうぞ」


にっと笑うシカマルに見とれていると、その隙に彼はわたしの手を取り歩き出した。それに驚きつつ引かれるがまま付いて行く。今朝シカマルの家にやって来た二人は四人分の和菓子を持って来ていて、わたしたちが帰るのを待っているのだそうだ。「気ぃ遣いやがってな」呆れたように話すシカマルに、けれどわたしは繋がれた手ばかり意識してしまって耳を傾けるので精一杯だった。なんで、こんな。思うけど、言ったら離れてしまう気がして、わたしは曖昧な相槌を打つばかりだった。