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奇跡のクラス発表を果たしたわたしはなんと、高校一年もさつきちゃんと同じクラスになることができたのだった。さつきちゃんは予定通りバスケ部に入部し、すぐに敏腕マネージャーとしてその力を遺憾なく奮い部活動に貢献しているのだそうだ。それをバスケ部の人から聞き、自分のことではないのにとても誇らしい気持ちになる。彼女は美人だからそのことでも学年の話題になっているのだそうで、ときどきさつきちゃんを見に他クラスの男子生徒がうちのクラスに来たりする。また来てるね、なんて話しながら彼女と共に過ごす日々を満喫するわたしは結局、部活動にはどこにも入らなかった。

夏に突入してしばらくした先日、バスケ部の大会であるインターハイの予選が終わり、本戦の出場校が出揃ったらしい。桐皇が出場を決めたことは聞いていたけれど、もう組み合わせも発表されているというのは今、さつきちゃんの机にそのトーナメント表が置かれているのを見つけて知った。と、同時にあっと思いついた。座っているさつきちゃんに話し掛ける。


「ねえねえ福田総合出る?」
「うん、出るよ。やっぱりショウゴくんは手強そう。予選のスコアも圧倒的」


さつきちゃんはそう言うと机からノートを出し、あるページを開いた。そこにはスコアらしきものや出場選手の名前だけでなく隅に細かい字で何かメモが書き込まれていて、どうやらこのページは福田総合学園の予選の戦績らしいということがわかる。三桁だったり相手と二倍の点数だったりと圧倒的な差で勝利を収めていく福田総合は確かにすごかったけれど、それよりもこれを全て情報収集したさつきちゃんもすごいのではないだろうか。改めて彼女の才能に感嘆していると、さつきちゃんは席の前に立っていたわたしに顔を上げた。その表情は困っているみたいに苦笑いで、わたしは彼女が何を言おうとしているのか瞬時に察した。


「ショウゴくんとはまだ連絡取れない?」


「……うん」気遣ってくれているのがわかり、口元に笑みを浮かべ目を伏せた。
春休み、初めて利用する番号を押した携帯電話から彼の声が聞こえることはなかった。代わりにスピーカーからは女の人の形式的な台詞が流れてくるばかりで、じゃあと手段を変更したメールも何通送っても全部自分のところに返ってきてしまった。それがなんだか、壁に阻まれているみたいで嫌な予感がした。携帯を持つ手が震えた。その、無音ばかりの向こう側の祥吾くんに、わたしは着信拒否というものをされている気がしたのだ。何も返ってこない画面を見つめながら、心臓がざわざわ揺れた。
それでもしつこく高校に入ってからも試してみたけれどもちろん繋がらず、今でもずっと心に引っ掛かって全然落ち着かないでいる。さつきちゃんより暗い表情をしたのだろう、彼女はわたしを励ますように「でも、」と声を明るくしトーナメント表の紙をノートの上に置いた。


「福田総合とはブロックが違うから最後の方まで当たらないけど、日程なら二回戦目が休日だからその日行けば会えるかもよ!」
「ほ、ほんと?じゃあ行こうかな…」
「うん、そうしな!試合時間教えとくね。たぶん終わってからの方が会いやすいと思うよ、ショウゴくん出るならきっとそんな簡単に負けないと思うし」


そう言ってメモ帳にさらさらと会場と日時を書き、はい、と渡してくれたさつきちゃんにお礼を言った。優しいなあ、ありがとうさつきちゃん。貰ったメモ帳を大事に両手で包み込む。さつきちゃんがくれたこれは、祥吾くんに会うための切符のように思えた。
そうだ、これで祥吾くんに会える。卒業式の日に会って以来、久しぶりだ。わくわくしてか、自然と鼓動が鳴りだす。……でも、会って、もし本当に着信拒否されていたなんてことがわかったらどうしよう。もう関わりたくないくらい嫌われているなんて事実、受け止めたくない。今度は心臓がざわざわしてきた。またこの感覚だ。メモ帳を包む手が震える。どうしよう、怖いな。…怖いけど。
手にぎゅっと力を込める。駄目だよ、このままでもいられない。わたし、春休みからずっと、繋がらない祥吾くんのことが気になってしまって仕方ないのだ。





第三試合に桐皇が控える中、第二試合に合わせて来たわたしは福田総合の試合を三階席で見ていた。最初どれが祥吾くんなのかわからないくらい彼の容姿は変わっていて、途中出場の彼が黒髪にしていたことに気が付いたときは大層驚いた。出てからの試合はほとんど祥吾くんの独壇場で、二倍の得点(ダブルスコアと言うらしい)とまではいかなくとも圧倒的な差で福田総合が勝利した。拍手をしながら、体育館から退場していく彼を確認してわたしも観客席をあとにした。
選手控え室の近くにいれば会えると聞いていたのでそこへ向かうと、その通り福田総合の人たちがぞろぞろと歩いているのに遭遇した。一人一人顔を確認しながら目的の人物がいないか探しているとその視線に気付いて何人かがこちらに目を向けてくるので少し気まずかった。しかもその気まずさも報われず、最後尾まで見届けても祥吾くんはその集団にはいなかったのだった。遅かったのかな、それとも見つけ損ねたのかもしれない。他に探す当てもないわたしはお先真っ暗な現状にがっくりと肩を落とすしかなかった。……今日が、チャンスだと思ったのになあ…「?」ん?聞き覚えのある声に振り向いた。


「…祥吾くん!」


そこにいたのは紛れもなく祥吾くんだった。ジャージのポケットに手を突っ込みたるそうに立っている彼を目で捉え、思わず駆け寄った。よかった、会えた。嬉しさを隠さず目の前で立ち止まり、彼を見上げる。やっぱり髪型が変わると印象も変わるなあ。それに、三階席からじゃわからなかったけれど、ピアスの数も増えているみたいだ。随分洒落込んでるようだ。小学生の頃前歯が抜けて間抜け面した祥吾くんも知っているわたしとしては、彼の変化に驚くばかりである。
祥吾くんはわたしがここにいるなんて想像もしていなかったのだろう、予想外といった表情でわたしを見下ろしていた。


「久しぶり!試合お疲れさま」
「あ?なんだ見てたのかよ」
「うん。ていうかおもしろい髪型になったね祥吾くん」
「うっせ。てめえのつまんねー髪型よりマシだろ」


そう言って、すぐに調子を取り戻した祥吾くんに頭をわしゃわしゃ撫で回されてぼさぼさにされる。うわあやめてよと髪を押さえると、手が離されたあと愉快気に笑う声が聞こえた。話すのも久しぶりだけれど、そういう笑い声はもっと久しぶりだ。言い知れぬ感覚が底から湧き上がって、俯きながらそれに堪えた。…嫌われたわけじゃ、なさそうだ。電話に出てくれないのは他に何か理由があったのだろうか。「…あ、あのさあ、け、携帯、着信来てる?」下を向いたまま髪を手櫛で梳かしながら問う。目を合わせるのはまだちょっとだけ怖かった。「…あー」祥吾くんは少し思案するように声を漏らし、それからまたポケットに手を入れた。


「前のは春休みに壊して替えたんだわ」
「あ、そ…そうなの?!」
「そーそー。ほれ、携帯出せ」
「う、うん」


着信拒否ではなかった。ものすごくほっとして、言われた通り携帯を出しあっという間に新しい連絡先を交換し終えた。なんということだろう。わたしの数ヶ月に及ぶ悩みの種が、ものの数分で解決してしまったのだ。携帯にはしっかり彼の名前が他の情報と共に映し出されている。…あっけないけれど、でもきっと、一番平和な解決だ。そのことにとても安堵した。無意識に頬が緩む。


「ありがとー」
「おー。……つかなに?このためだけにここ来たのかよ」
「あ、うん。このあと桐皇の試合も見てくけど」
「ふーん…」
「さつきちゃんが今日祥吾くんに会えるかもよって教えてくれて……あ!そうそう、さつきちゃんに名前で呼んでって言われたんだよ!進展!」


そう、実は高校に入ってから色々な人と自己紹介を交わしていくうちに、成り行きで呼び方の話になり、彼女に「ちゃんも名前で呼んでよー!」と言われてしまったのだ。突然のことに嬉しすぎてうん!との返事がひっくり返り、周りの友達に笑われたくらいである。でもそれくらい、わたしにとっては一大事だったのだ。「へー。で?」しかしこれ以上を要求してくる祥吾くんに、で?と首を傾げる。こんなこと前もあったなあ、とうっすらデジャヴを感じながら。


「おまえそんだけのことでまだ脈あると思ってんのかよ」
「……」
「つか、聞くけどさあ、おまえサツキと両想いになって何がしたいワケ?」
「え?」
「キスとか?それ以上のこと?」
「え、ちが……」


祥吾くんの問い掛けに、そういうこととは違う、とすぐに思った。じゃあ何がしたいのか……わたしは、一緒に出掛けたりたくさんお話したり、そういうのをすきなだけしたいと思う。さつきちゃんの一番が、わたしであってほしい。それ以外特別なことは望んでいなくて、やっぱり祥吾くんの言うことと全く違う。力なく首を振るしかなかった。
するとほれ見たことかと呆れたように、目の前の彼は息を吐いた。嫌な予感がする。肩に掛けていたカバンをぎゅっと握った。


「おまえのそれ、何かと勘違いしてんじゃねーの」


ハッと顔を上げた。かんちがい?心臓が浮く感覚だ、前もこんなこと、あった。どういう意味、とわたしが問い詰めようとする前に祥吾くんは「まいーけど」と言って話を切ってしまった。本人はただちょっと気になっただけなのだろう、じゃーなと言って横を通り抜けて行く。祥吾くんは、わたしの根幹に大ダメージを与えたことに気が付いていなかった。

君の言うようなことをしたいと思うのがすきということだとしたら、わたしのこのさつきちゃんへの気持ちは何だというのか。勘違いって、わたし何と勘違いしてるっていうの。さつきちゃんにだけしか感じない脈打つ心臓とか、熱くなる頬とか、そういうのを恋と呼ぶのは違うのだろうか。


「…祥吾くん!」


本当は言い返したかったけれど、上手く言葉にならない気がした。今祥吾くんと話を続けたらまたこじれてしまうと直感したのだ。振り向いた彼に頭が真っ白になる。


「なに?」
「…あ……か、帰ったら電話するね!」
「…どーぞご自由に」


何か言いたげで、けれど何も言わなかった彼の背中を見送りながらわたしは、桐皇の試合のアナウンスが聞こえるまでずっとそこに立ち尽くしていた。