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久しぶりに話したあの日から、祥吾くんとは廊下ですれ違ったら手を振るようになった。立ち止まって話すことはないけれど、こちらが手を振ると向こうも手を挙げて返してくれるのが小学生の頃みたいな間柄に戻れたようでなかなかにほっとしたものだ。中学に入り色気付いたためか女の子にモテだした祥吾くんは女の子の扱いに慣れているのだと、桃井さんの友人のマネージャーの子が言っていた。
確かに祥吾くんは中学から突然女の子を連れ回すようになったけれど、わたしに対してはそういう意味での扱いはしていないと思う。当然だ、だって彼は、わたしにすきな人がいることを知っているのだから。それがなくても祥吾くんはわたしを女として見ていなかったと思うので、彼女の気をつけなよとの忠告は意味をなさなかった。


「よっ」
「わっ、あ、おはよう」


朝、桃井さんと時間がずれたため会えなかったことに若干落胆しつつ廊下を歩いていると、後ろから肩をポンと叩かれた。驚いて振り返るとそこには祥吾くんがいて、挨拶をすると向こうも「おはよーさん」と返してくれた。声を交わしたのは実に一ヶ月ぶりではないだろうか。
そのまま二人で教室に向かうのかと思いきや、祥吾くんは歩く速度を変えずわたしを追い越して一人で歩いて行ってしまったので、なんだあ、と少し呆気なく思っていると今度は後ろから名前を呼ばれた。「ちゃーん」その声にバッと振り向く。


「あ!おはよう桃井さん!」
「おはよう〜」


走ってきたらしく、暑そうに手で仰ぐ桃井さんに言葉にならない幸福感が込み上げてきた。「ちゃん見えたからさ〜」なんと桃井さんは、わたしを追い掛けてきてくれたのだ。…こんな嬉しいことってあるんだ。ふう、と疲労を吐き出すように息を吐いた彼女に大丈夫?と問うとうん全然と笑ってくれるので、もう、朝から本当に幸せな気持ちになれた。


ちゃん、今日髪型違うんだね」
「う、うん、時間あったから挑戦してみたんだ」


背伸びして買ったファッション雑誌に載っていた髪型アレンジの特集で、一番簡単にできそうなものを選んでやってみたのだ。朝一でしかも桃井さんに指摘してもらえたのが嬉しかった。


「いいなあ、すっごく可愛いよ!」
「あ、ありがと…!」


やってよかった!心からそう思えるくらいに嬉しかった。他の誰でもなく、桃井さんに褒められたことが嬉しかったのだ。人知れず心臓をどきどきさせていると、「そうだ、職員室行かなきゃなんだ」ハッと手を打った桃井さんはじゃあまたあとでねと手を振り、教室とは逆の方向へ駆けていった。それにかろうじて返事をしたわたしは、真っ赤になった顔をどうする術もなくその場に立ち尽くした。嬉しすぎて泣きそうだ。


「おまえマジですきなんだな」


その声で振り返る。ここで初めて、祥吾くんが少し離れたところでこちらに向いて立っていることに気が付いたのだった。わたしと桃井さんの話し声が聞こえていたのだろう、事情を知っている祥吾くんに隠す必要はどこにもない。涙目のまま「うん」と正直に答えると、へえ、と興味なさ気に相槌を打たれた。もしかして祥吾くんは、後ろから桃井さんが来るとわかっていたからさっさと一人で行こうとしたのだろうか。だとしたら、わたしの恋路の協力をしてくれているということだ。思っているほどこの人は悪い人じゃないのかもしれない。小学生の頃培ってきた友情は無駄じゃなか、


「いやー、やっぱねえわ」


……そんなわけなかった。ドン引きした彼の表情がその証拠だった。