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新幹線から降りたところでメールを打つ。今の時間、タイミングがよければもう寮にいるだろうけれど、もしかしたら練習試合で遠くに行っているかもしれない。もしそうだったらまだ帰ってきていないのだけれど、今日のわたしはいくらでも待つ意気込みなので大して心配はしていない。それに準備は万端だ。寮の場所はインターネットで調べたらすぐに出てきたし、そこまでの道のりは地図を印刷してきたのでばっちりである。まあその前にここから一回乗り換えをしないといけないのだけれど。快速に乗れれば二十分ほどで最寄り駅に着くだろう。
静岡に、来てしまった。ほとんど勢いだけだ。初めての土地だからか、目的が目的だからか、地に足が着いていない感じがする。それが逆に愉快で一人にやけてしまう。帰りの新幹線の切符を確認し、さて駅のホームへ、と足を踏み出した。
年の瀬は人も多いようだ。帰省ラッシュからは上手く外れたようで助かったけれど、さすがに大きい駅なので混雑は免れなかったみたいだ。祥吾くんには今送ったメールで初めて伝えたから、驚かれるだろうなあ。きっと会ってくれないことはないと思うから、うんざりした顔を拝もうと思う。上手く時間が合って快速に乗れ、やっぱりにやにやしながら道中のお供である本を開いた。

福田総合学園の最寄り駅に着き、さっきよりかはこじんまりしたホームに降り立った。とはいっても快速で止まる駅だから周りは充実していて、何か買って行こうかなあと思案する。夜ご飯、は、祥吾くんは寮で食べるかもしれないから、自分のは買って行った方がいいかもしれない。携帯を確認してみたけれど彼からの反応はなく、もしかして気付いてないのかもと思った。まだ部活中かもしれない。さつきちゃんと会った日に思いつきで新幹線の予約をしてぎりぎりまで内緒で来た自分の行動力に今更ながらちょっと後悔したくなった。せめて予定くらいは聞いておくべきだったなあ、思うように連絡が取れない。
寮は門限こそあれど来訪者には割と寛容で、用があるなら管理室前を通れば入れるのだそうだ。何かもっと女子禁制みたいな高い壁を乗り越えなきゃいけないのを想像していたのだけれどそんなことはないらしい。おいしそうなお菓子を祥吾くんに、夜ご飯におにぎりとお茶を買ってお店を出、ようやく出番だと言わんばかりにA4のコピー用紙を取り出した。

高校まで十分、そこからまた十分歩いたところにその寮はあった。迷わず到着できたことに鼻を高くしながら、気持ちを少しわくわくさせて管理室の前を通った。優しそうな管理室のおじさんはわたしが灰崎祥吾の友人で東京から会いに来たことを伝えると、学生手帳を確認したのち笑顔で通してくれた。穏和な人だなあと思いながら会釈をして、いい気分で階段を上っていく。部屋の場所は以前話題の中で聞いて覚えていた。201。わりと小さめの寮で、推薦で遠くから来た学生のみが借りているここにはそこまで住居人は多くないのだそうだ。規則の緩さもそれに起因しているのかもしれない。
タンタンと階段を上り二階に着いたところで、もし祥吾くんが不在だったらどこで待っていようという問題が浮かんだ。けれどなるようになれ、インターホンを押して祥吾くんがいなかったら考えよう、という結論にコンマ一秒で至り、果敢にそれを押したのだった。
……あ、物音が聞こえる。よかったいるみたいだ。次第にゆっくりとした足音が聞こえてくる。ガチャリとドアノブが下がった。あれ、鍵掛かってなかった?不用心だなあ、…。
ドアが開く。わたしは近すぎた距離に一歩下がり、それから部屋の主に顔を上げた。


「は?」


「え、」しかし予想外の驚き顔だった。素っ頓狂な声で思わずこっちまで驚いてしまう。目をいっぱいに見開いて凝視される。あ、あれ、反応、連絡したにしては、なんか変じゃないか…?


「なんでおまえここに…」
「え、メールした……」
「は?」


見ていなかったのか。本当の本当にサプライズみたいになってしまったようでさすがに申し訳なく思った。よく考えたら祥吾くんの都合も考えずに何やってんだわたし。失礼にも程があるだろ。これは機嫌を損ねられても文句は言えない。急いで謝らないと、用件も伝えないと、


「ご、ごめん、あのね、祥吾くんに、」
「ちょ、待てとりあえずおまえ帰れ」
「え、」
「いいから早く、帰れ」
「待ってしょうごく、」

「祥吾ー?何だったのー?」


ピシリと、全身が固まる。女の人の声、だ。部屋の中から聞こえた。一瞬にして頭が真っ白になる。……え、と、つまり、…えっと……。バクバクと心臓が鳴り出す。「…チッ」祥吾くんの舌打ちが聞こえた。それを耳にした瞬間、わたしはハッと我に返った。


「わかった。帰る」


顔を上げてそう告げると、見下ろした祥吾くんの瞳が揺れたのがわかった。「…おお、早くしろ」それに頷き、言われた通り踵を返す。すぐに後ろでドアが閉まる音がした。

寮のおじさんにまた挨拶をしたら、さっきからあまり時間が経っていないからか少し不思議そうな顔をされたけれど気にならなかった。辺りはここに来たときからすでに暗く、明るい寮内にいたため目は慣れていなかった。とりあえずどうしようか、とあえて答えは出さないまま、蛍光灯が続く道に沿って右に歩いて行った。高校とは逆方向に、なんとなく。

祥吾くんの部屋に女の人がいたということは、つまりはそういうことなのかもしれない。地に足が着いていない感覚は静岡に来てからずっとだ。何かに掴まりたくて、バッグのショルダー部分をぎゅっと握った。口を結び、瞬きをする。足は止めなかった。
チカチカしている電灯を何個も通り越し、目についたそこは大きめの公園だった。さすがにこんな時間に人はいないらしく無人で、わたしはなんとなく立ち寄ってみることにした。遊具は豊富で、明るい時間だったら子供が大勢遊んでいそうな、公園になってからまだ新しいと思われる場所だった。入り口付近の四角く曲げられた銀色の柵に腰掛け、目の前にあったジャングルジムを眺める。

べつに、ショックを受けているわけじゃないのだ。祥吾くんの女遊びは高校に入ってもやめてないのを知っている、からとかではなく、そうじゃなくて、わたしは確信したのだ。ふと、後ろからスタスタと歩幅の狭いヒール音が聞こえてくる。早足のそれは急いでいるようで、考え方を変えれば怒っているようにも聞こえた。首をそちらに曲げ、歩いてくる女の人を見てみた。


「マジありえない……あっもしもしユウタ?ねえ〜今から会えない?」


携帯電話で誰かと話す彼女はとびっきりの猫なで声だった。それからすぐに相手から了承が貰えたのか、高い声をさらに高くしてありがとうと喜んだ。最初に呟いていた声と随分違うなあと思ったけれど、きっと恋する乙女とはそういう生き物なのだろう。赤いグロスはその人を学生には見せず、通話を切った彼女は長い茶髪を優雅に耳に掛けた。…少なくとも高校生ではないように見えるけれど。わたしは彼女が、今このタイミングで、わたしと同じ方向から歩いてきた意味がわかっているので、そんな彼女をじっと目で追っていた。一度だけ目が合って怪訝な視線でぎゅっと睨まれたけれど、そのあとすぐに逸らしたその人は公園を素通りしていった。

女の人の足音が小さくなり、また一人になる。それでもここから動く気はしなくて、足をぶらぶらさせながらやはりぼんやりとジャングルジムを眺めていたのだった。わたしは何をしているんだろう、とかも思わない。

さっき祥吾くんに言われたことに、何も傷ついていなかった。動揺を滲ませた祥吾くんの目を見たから全部大丈夫。彼が言ったことは本意じゃなかった。わたしだって祥吾くんのこと、全くわからないわけじゃあないのだ。じんわりと心臓に暖かいものがこみ上げてきて、スッと目を細めた。

突然、携帯が振動しだしたので思わずわっと小さな声を上げてしまった。コートのポケットからそれを取り出し、画面に映る名前を確認するとふっと安堵の息を吐いた。…ほらね、全然痛くも痒くもないよ。


「もしもし」


祥吾くんの息継ぎが聞こえる。走ってるのかなあ。やだなあ、祥吾くん、こんなことじゃわたしはめげないよ。


『おい、今どこにいんだよ』


殺せやしないよ。