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今いる場所を伝えると祥吾くんは短く返事をし通話を切った。冷たい携帯をまたポケットにしまい、はあっと息を吐く。今はそれが白くなる季節の真っ只中だった。防寒対策は万全だったけれど、それでも寒さを完全に断つことはできていなかった。

ほんの数分も経たない内にまた足音が聞こえてきて、同じように首を向けると先ほどの予想通り祥吾くんが走ってきていた。柵から離れ道路に出る。彼を見る。白い息を弾ませわたしの前に立ち止まった祥吾くんは不機嫌そうに顔をしかめていたけれど、動揺は完全には隠せていなかったのだ。それを見てわたしはやはり、この人のことすきなんだなあと、しみじみ思うのだった。一度口をぎゅっと閉じてから、白い息と共に開く。


「女の人はよかったの?」
「…いいから、寮戻んぞ。寒い」
「うん」


頷いて、祥吾くんのあとを付いていく。途中、いきなり来てごめんと謝ると、祥吾くんはべつにとぶっきらぼうに返事をした。会話はそれ以外寮に着くまでなく、お互い黙って道を歩き進んだ。来た道より短く感じた。
管理室のおじさんには少し気まずく、祥吾くんの適当な挨拶に続いて会釈だけで済ませると、何かを納得したように柔らかな笑顔でそれを返してくれた。


「どーぞ」
「おじゃましまーす…」


部屋の前に着くと、鍵を開けた祥吾くんがドアを開き促してくれたので、お言葉に甘えておそるおそる玄関に入った。靴は何も出ていない。ここから見える室内は案外整っていた。正面の扉を開いたら部屋があるのだろう。後ろで祥吾くんがドアを閉め、そして鍵も締めたのは音でわかった。さっきの不用心はたまたまだったのだろうかと首を傾げたけれど口には出さず、靴を脱ぎ先導する彼を追いかけた。
適当に座ってろと言われその通りに絨毯に座る。もこもこしていて暖かい。どうやら暖房もついているみたいだ。快適だなあ。しばらくして祥吾くんが台所からマグカップを二つ持ってきて、差し出された片方をお礼を言って受け取った。無地の白いそれに入っているのは温かい緑茶でとてもありがたかった。一口飲んでほっと息を吐いたところで、もしかして静岡だからか、と気付いて一人で笑ってしまいそうになる。なんとか堪え、また一口飲む。それにしても、祥吾くんが緑茶とか、それ以前にお湯沸かしてあったのかとか、ていうか本当に一人暮らししてるんだとか、彼の生活的な一面を肌で感じてしまいむず痒かった。
絨毯に体育座りで小さく肩をすくめていると、同じ形で黒色のマグカップを片手に持った祥吾くんはすぐ後ろのベッドに腰掛けた。「で、何しに来たのおまえ」いきなりそう切り出され、ちょっと驚いてしまった。ゆっくりと振り返り、体の向きも変えて正座に座り直す。「言いたいことが、あって」「あ?なに、そんだけ?」片方の眉を上げ問うてくる彼に、本当にそれだけだと思った。…あと、君に会いたかった。それだけ。うん、と頷く。


「わたしにとって祥吾くんは大切な人だって気付いたから、それを伝えに」


驚くほど落ち着いていた。言葉は思ったことを的確に、するすると出ていく。彼が持っていたマグカップを視界の中心に置きそう言う。祥吾くんはどんな表情をしているだろうか。どう思っただろうか。「へえ…大切ってどういう意味で?」……ああ、見なくてもわかるなあ。意地の悪い顔をしているに違いない、全部わかっていそうだ。どうしてだかわたしも笑えた。


「すきだってことだよ」


顔を上げて伝える。祥吾くんは一瞬驚いた表情を見せたけれどすぐにそれは消えて、「だから言ったじゃねーか」と勝ち誇ったかのように笑った。実際、ほとんど祥吾くんの言う通りだったので何も言い返せない。でも、わたしだって、負けてないと思うのだ。


「わたしも祥吾くんのことで知ってることがあるよ」
「は?」
「女の人より友達優先させるなんてタイプじゃないよね」
「……うっせえ」


祥吾くんは苦虫を噛み潰したような顔をした。ほらね、わたしだって知っているのだ。何もわかってないと思ったら大間違いだよ祥吾くん。「…言っとくけど、話つけてただけだからな。おまえのタイミングが悪いんだよ」彼の弁明は嘘ではないだろう。このときになってわたしは、最初にここを訪ねたとき鍵が掛かっていなかった理由がわかったのだった。そして、焦りを滲ませた舌打ち、帰ると言ったときの瞳の動揺。全部、わたしのためだったのだ。「…うん」頷いて、そのまま俯く。頬が緩まずにいられない。

祥吾くんに言ったら自意識過剰だってバカにされるかなあ。何も言われてないのに、すきだって言われたみたいだ。

桐皇に行って、さつきちゃんと過ごす日々は本当に楽しかったけれど、何か足りないなあと思うことがあった。あ、祥吾くんがいればなあと、思ったのだ。変だよね、中学でだってわたしたち、そんな何回もしゃべったわけじゃないのに。しゃべるどころか、わたしは祥吾くんに酷い目に遭ったよ。もう、言うこと言うこと痛いのなんのって、その度わたし怒りたくなってさあ。
でも祥吾くん、昔からわたしを嫌いじゃなかったね。ひどいこと言ったり機嫌損ねたりしたけれど、よく考えたら君に本当に嫌われたことは一度もなかったんじゃないかと思う。それに気付いたから、もう怖いものなんてなくなったよ。無関心から蓄積された関心はじわりとわたしの心を侵食していった。祥吾くんもそうだったらいいと、思うのだ。「…祥吾くん、」


「わたしと付き合ってください」


下を向いたまま少しだけ頭を下げると、少し間を置いて息を吐く音が聞こえた。それはどこか、観念したような溜め息だった。


「…いーぜ」


ここまで辿りつくのに、長い道のりだったと思う。けれど無駄なことなんてほとんどなかったね。わたしが顔を上げると祥吾くんは一瞬きょとんとしたあと、「変な顔」と笑った。声を出して、楽しそうに。それが嬉しくてわたしも笑った。


おわり