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準々決勝戦、祥吾くんはフル出場で福田総合が全体的にリードしていたけれど、終盤に黄瀬くんの巻き返しで逆転され、結果、負けてしまった。ああ、と落ち着かない気分になる。わたしはずっと祥吾くんを目で追って、ブザーが鳴り響いて試合が終了したあとも彼も見ていた。後ろ姿だけでも、虫の居所が悪そうなのがよくわかった。

祥吾くんは黄瀬くんと仲が悪いらしい。中学のときさつきちゃんから聞いたこともあったし、祥吾くんの退部を聞いたときにも彼の態度にはそのような節があった。だから今日の試合は因縁の対決だなんて心の中で密かに思っていたのだが、どうやら軍配は黄瀬くんに上がったようだ。とても個人的な願望だったら祥吾くんにぜひ勝ち進んでほしかったけれど現実はそう上手くいかないもので、わたしのそれは叶わず福田総合は準決勝に駒を進めることはできなかった。「これでベスト4が揃ったね」隣でさつきちゃんがそう零す。反射で頷きそうになったけれど今のは多分青峰くんに言ったものだろうから瞬時に首を止めた。ぎゅっと口を閉じる。…負けたから、会わない方がいいのかな。


「先帰ってろさつき」
「ちょっ…大ちゃん?!」


青峰くんはそれだけ言うと振り返らずどこかへ行ってしまい、三階席にはさつきちゃんとわたしだけが残った。そんなこと言われたって帰るわけにはいかないだろうに、青峰くんは無茶を言うなあ。心配そうな眼差しを彼に送るさつきちゃんを見、ふと目を伏せた。わたしは、どうしよう。


ちゃん」
「…ん?」
「ショウゴくんに会いに行かないで大丈夫?」
「……」


わかってる、さつきちゃんの言葉には善意だけしか含まれてない。本当にわたしを思って言ってくれているのだ。追い出そうなんて思われてない。喜べよ、わたし。唇を噛みたくなったのを抑えて、下手な笑顔を作った。


「じゃあ、行ってくるね。青峰くん戻ってきたら、先帰ってていいからね」


うん、わかった、たくさんお話できるといいね、そう屈託ない笑顔で見送ってくれるさつきちゃんはまだ誤解してるんだろうなあと思う。どうしようか祥吾くん、こんなこと知ったら君、怒るんじゃないかなあ。自嘲気味に苦笑いを浮かべると思ったより心臓を痛めず手を振ることができた。

一階まで降り、はて、祥吾くんとはどこで会えるのだろうかと考える。前会えたのは控え室近くだったから、またそこに行けばいいのかな。
そう思い前と同じ場所に行ってみたけれど、前と同じく福田総合の選手がぞろぞろ出て来るだけで祥吾くんの姿は見えなかった。負けたあとなだけあり暗い雰囲気のその人たちに声を掛けられる空気でもなくどうしようかとうろうろしていたのだが、ハッと携帯の存在を思い出し急いで電話を掛けた。十回以上鳴り続けるコール音に嫌な予感がしたけれど、辛抱強く待つとやがてそれは鳴り止んだ。『…なんだよ』携帯越しに聞こえる彼の声は、だるそうで、疲れが滲んでいるような、そんな違和感のある声だった。腹の虫はおさまったのだろうか。


「しょ、祥吾くん、今どこにいるの?」
『あ?…外だけど。会場の』
「外か、わかった、そこで待ってて!」
『ハァ?てめ、どういうつもり…』
「行くから、絶対!動かないでね!」
『オイ、』


誰かとの電話を一方的に切ったのは初めてだ。踵を返してから、祥吾くんの言う外が具体的にどこを指しているのかわからないことに気付いたけれど、とりあえずここから出ようと入り口へ走った。

祥吾くんは入り口の割と近くに座り込んでいて、思ったより手こずらずに見つけることができた。祥吾くん、と名前を呼ぶと彼はわたしの方をゆっくりと見上げた。冬の夜は静かで音が響く。近くまで行くと、祥吾くんの右頬が腫れていることに気付き、えっと目を見開いた。


「それどうしたの?!」
「…べつに。てめーには関係ねえだろ」
「……」


顔をしかめる。またそれか、と思った。きっといくら追求しても教えてくれないのだろう。殴られたあとだろうなと勝手な推測だけして、もうそれ以上触れないことにした。もしかしたら手当てとかすぐにした方がいいのかもしれないと思い一応聞いてみたけれど、それにははっきりいらないと拒絶の返事が返ってきたのでもういいだろう。今のわたしにとって、祥吾くんが時間に追われないでいてくれる方が都合がいいのだ。


「……あのね、言いたいことがあって」


「祥吾くんがインターハイのとき聞いてきたことなんだけどね、」そう続けると祥吾くんはスッと目を細めた。何のことか思い出してくれたのだろうか。君にとっては何てことないちょっとした問い掛けだったのかもしれないけれど、わたしにはあれからずっと悩むに匹敵する重大事だったんだよ。ぎゅうっとスカートを掴んだ。


「わたし、勘違いしてないよ。ちゃんとさつきちゃんのこと、すきだった」


聞かれて即答できなくて、何ヶ月もうやむやにし続けた答えを今やっと伝えることができた。勘違いなんてしてない、さつきちゃんに対するこれは、恋愛感情で間違いなかったのだ。……。「…あっそう」やっぱりどうでもいいらしい、祥吾くんの鋭い目つきは緩まない。変わらない彼のスタンスは傷つくこともあったけれど、救われることも間違いなくあった。ふっと目を伏せて、それから二回瞬きをした。
二年前からわかっていたのだ。さつきちゃんがわたしをすきになってくれる、未来のその可能性はちっともないということを。向き合うのが怖かった。けれど、やっと決心がついた。


「でも、もう諦めようと思う!」


バッと顔を上げ、宣言する。「は、」祥吾くんの目が見開いた。驚いているな、祥吾くんをこんなに驚かせたのは三年前の四月以来ではなかろうか。でも今、その声はわたしの頬を叩かない。馬鹿にもされない。けれど笑うこともできず、吐く息が震えた。もう今年も終わる、真冬の空は寒い。はあ、と祥吾くんがだるそうに溜め息を吐いた。ちっとも震えてなんかいない。


「やっとか。どんだけ諦め悪ィんだよ」


祥吾くんにあっさり切られ、ぐうの音もでない。…もう少し優しい言葉を掛けてくれてもいいんじゃないか、なんて期待は今更しないし、本当にその通りだと思うから仕方ない。「…そうだね」わたしは、そうするべきだという決断を下すのに、二年半かかった。さつきちゃんにすきな男の子ができたことを知ってから、気付けばもうそんなに時間が経っていた。
諦めることに対してのこの違和感。これがわたしの、すきだった証拠だと思う。でも桐皇に入ったことに後悔なんてしていない。さつきちゃんと過ごす高校生活は毎日が楽しい。ときどきふと何かが足りないなあと思うときはあるけれど、彼女といられる時間はわたしの幸せだった。諦めると決めてもきっとこの気持ちはずっと変わらないだろうと思う。さつきちゃんはわたしにとって、とても大切な人だ。


「俺に言わせりゃ、たかが恋愛一つに入れ込みすぎってだけの話だわ」


曲げた膝にひじを当て、頬杖をついて言う祥吾くんにパチパチと瞬きをした。言っていることは厳しいのに、慰められている気がするのはどうしてだろうか。まさか祥吾くんからそんな雰囲気を感じるとは思っていなくて驚いた。頭ごなしな否定なのに、むしろ肯定されているみたいなのだ。彼の優しさだろうか、寒いのに、心臓はほかほかしてきた。
思えば、君はなんだかんだ、いつもわたしの話を聞いてくれるね。逃げだしたいと思ったあのとき、祥吾くんは間違いなくわたしの逃げ先だったのだ。


(祥吾くんがいてくれてよかった)


思う、わたし、君のことも諦めないでよかった。いてくれてありがとう。