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八時ぴったりに校門をくぐり、一定のペースを保ち昇降口へ進む。遅刻にはなり得ないこの時間ではそこにいる生徒の数も多い。人の間をかいくぐりながら、上から数えても下から数えても同じ段数の靴箱にスニーカーをしまい、代わりに上履きを取り出し地面に置く。走ってもいないのに自然と逸る心臓は毎朝のことだ。落ち着かせながら、今か今かと上履きに足を入れた。そろそろ声が聞こえるはずなのだ。あの声を聞いてわたしの一日が始まると言っても過言ではないと思う。


「おはよ」
「!」


バッとすごい速さで顔を上げると待ち望んでいた人物がそこにはいて、耐え切れずに嬉しい気持ちを全面に押し出してしまったと思う。パアッと何か漏れ出すかの如く破顔してしまう。今日も朝から会えて、声を掛けてくれたのがものすごく嬉しかったのだ。彼女は笑顔を絶やすことなくわたしの挨拶を待っているようで、もちろん威勢良く返した。


「おはよう桃井さん!」


バスケ部のマネージャーをしている彼女と一緒に教室へ向かうため、何日も費やしようやくこうして、バスケ部が昇降口に来る時間を暫定的に見つけ出したのだ。出待ちと言えばまだ許される気がするけれど、ストーカーと言われても否定出来ないようなことをしている自覚はある。同じクラスになってオリエンテーションなどで仲良くなって以来、わたしは彼女に一方的な好意を抱いているのだ。

恋を、している。桃井さんの長所ならいくらでも挙げられる自信がある。


「今日のサッカーってまたチーム替えするのかな」
「どうなんだろう。あ、桃井さん先週すごい活躍してたよね!」
「そんなことないよ!ちゃんもシュート決めてたじゃない」


そんな話をしながら教室へ向かう時間が幸せだ。わたしより少し背の高い桃井さんの横顔をちらりと見るだけで緊張してしまう。綺麗だなあ、可愛いし、しっかり者だけどお茶目なところもあって、すごく魅力的な人だと思う。鼓動は彼女といるときだけ、はっきりと脈を打った。
桃井さんのことがすきだと気付いたのは早かった。きっと伝えることは一生出来ないだろうけれど、彼女はまだすきな人はいないそうなので今のところは安心している。とっくのとうにリサーチ済みである。

桃井さんとの前後の席まで行き、一度バッグを置いてからロッカーから教科書を出そうとすぐに踵を返すと、ふと、彼女の机に置かれた一枚のプリントが目に入った。どうやら名簿か何かのようで、そこには人の名前が縦一列にずらりと並んでいた。「それなに?」何となく聞いてみると桃井さんはためらうことなく「バスケ部でジャージ注文するからそのサイズをみんなに聞くんだ」と答えたので、なるほど、と頷いた。見出しに一軍と書いてあるからきっとこの一覧はバスケ部の中でも一部なのだろうと思う。
その中で、列の一番下にある名前だけが手書きで書き加えられて目立っていた。そこへ自然と目が行き、そのままその字をなぞる。瞬間、目を見開いた。……灰崎祥吾。


「祥吾くん?」
「えっ、灰崎くん知ってるの?」


驚きの声を上げた彼女に、うん、と頷く。記憶を探ることなくボールペンで書かれたその名前の人物が容易に頭に浮かんだ。こんなところで彼の名前を見るなんて思わなかった。いつの間にバスケ部に入っていたんだ。


「小学校一緒だったの」
「あ、そうなんだ」
「それにすっごく仲良かったんだよ」
「え!な、なんか意外だね…」


桃井さんの素直な反応に、だよね、と苦笑いをする。祥吾くんは出会ったときからやんちゃ坊主というか自分勝手なところがあったし、確かに運動神経は良かったような気がするけれど頭は悪くて、性格もいいとは言えないような奴だった。それでも小三のクラス替えで出会ったわたしたちは何故だか馬が合って、よくしゃべったりグループを組むときは一緒になったりした。中でも放課後、祥吾くんとの帰り道の探検は本当に毎回わくわくしたものだ。祥吾くんは冒険心が強く、いつも通ったことのない道を探しては究極の近道や日が暮れるほどの回り道を次々と見つけ出し、わたしは洋服はもっぱらスカートがすきだったのだけれど、彼の探検はなかなかにハードだったので次第にズボンやキュロットを履くようになっていった。
社会科見学も林間学校も修学旅行も同じ班になるくらい気におけない仲だったのに、中学に入ってクラスが両端になった途端まったくしゃべらなくなった。私立なのに同じ中学に行けるなんて珍しいことだと思っていたはずなのに、いざ蓋を開けてみたら一度もしゃべったことのないような赤の他人に変化してしまったのだ。ごくたまに廊下ですれ違っても目は合わない。タンスの中の洋服はスカートがどんどん増えていく。見かける祥吾くんは色気付いてピアスなんかつけちゃって、ほとんどいつも女の子と一緒に歩いている。わたしも入学してすぐに桃井さんに恋をしたから、あまり祥吾くんに気を向けることもなかったのだ。

でもあの頃仲良かったのは事実だし、楽しかったのも本当だ。だから時折見かけては前みたいに「最近調子どう?」って話し掛けようと思うのに、まるで実行に移せないまま、四月が終わろうとしていた。