高校近くの並木道ということで、そこでは三年間で知り合いとなった学生もちらほら見かけた。見込み通り浴衣を身に纏った可愛い女の子はあちらこちらにいて、改めて夏だな、と思った。オレンジ色の提灯が一層彼女たちの美しさを引き立てているのだろうか。遠くから太鼓の音が響く。
祭りの雰囲気はすきだ。こういうイベントから始まる関係なんていくらでもあるだろう。それでも可愛い子たちを一目視界に入れるだけで何かしようと思わないのはやはり心境の変化だろうか。とりあえず、と入り口付近に構えていたフランクフルトを全員で買って頬張りつつ、河原に続く道を人混みに流されないようにゆっくり歩いていた。風もあって涼しい夜だった。


「ほら森山先輩、あの人とか先輩のタイプじゃないっスか」
「あ?あーそうだな」
「あれ、声掛けないんスか?」


ずいっと俺の隣に並んできた黄瀬に目もくれずそちらを見る。確かに俺好みの子がいた。しかし声を掛けてどうする、と一番に思うようになってしまった、その原因は知っている。軒並み美人が映り込む視界は逆に気が削がれてしまう、とかいう前に一人の存在がないということに物足りなさを感じてしまうのだ。そこら辺にあったゴミ袋に串を捨て、また辺りを見回す。やはり可愛い女の子はたくさんいる。視界の隅でフランクフルトと一緒にマスタードを多く食べてしまったらしい黄瀬が辛い辛いと騒いでいた。気の利く小堀がすかさず後ろから水を渡してくれたおかげで一命は取り留めたようだった。


「…黄瀬、今俺の中で可愛いが飽和状態なんだがどうしたらいいと思う」
「いや…ただ守備範囲が広すぎなんじゃ…」
「そんなことはないと思うんだが浴衣ってだけで三割増し可愛く見える」
「あ、それわかるっス」


人差し指を向けてきた黄瀬に同じように向け「だろ」と頷く。浴衣の何がその相乗効果を生むのだろうか。誰かそんな研究していないか、今日帰ったら調べてみようと思う。

そんなことを考えながら人の流れを眺める。そして黄瀬が小堀に水のペットボトルを返そうと後ろを向いた丁度そのとき、ふと、ある一点で視線が留まった。

喧騒が遠くなる。早川が「次何食べますか!」とか何とか大声で言っているのすらくぐもって聞こえた。とにかくこのとき俺の中の時間が止まったように感じたのだ。そして横で前に向き直ろうとした黄瀬の気配を察知し、反射的に彼の後頭部を掴んだ。


「へ?!」
「…いいか黄瀬、一年として全員分の飲み物買って来い。俺アクエリな」
「は、」
「ちなみに飲み物売ってる屋台もう通り過ぎてるから。逆走頑張れエース」
「ちょ、なんで」
「悪い笠松、俺ちょっと抜けるわ!」
「ああ?」
「あとで合流する!」


黄瀬の頭を軽く押して手を離す。こいつに見つかる前に、と逸る気持ちのまま一行から離脱した。


「な、なんなんスか一体…抜けるのにアクエリ買って来いとか」
「さあな…いい人でも見つけたんじゃないか?」


後ろで小堀がそんなことを言って穏やかな笑みを浮かべているとは露知らず、俺はひたすら足を走らせた。人混みの流れには沿っている。同じ方向へ動く目標を見失わないよう上手く掻い潜り、すぐに辿り着くことができた。心臓はバクバクとうるさい。かっこいい登場の仕方なんていくらでも知識としてあるのに、このとき俺は何も考えず、ただ早くこいつの視界に映りたいと思ったのだ。肩を叩く。



「、おーゆりこちゃん!丁度よかった」


やはりだ。こいつの浴衣姿も、高い位置に団子を作っている髪型も初めて見たが、横顔で見つけることができたのだ。ラッキーだった。多分後姿だけでは見つけられていなかった。にしても、「丁度よかった」?挨拶もままならずは俺に畳み掛けてきた。


「みかんとパイナップルどっちがいい?」
「は?…みかん」
「みかんね、はい!」


差し出されたのはモナカに乗った水飴だった。そこに缶詰のみかんが二つ埋まっている。ああなるほど、と思いながらそれを受け取った。


「貰っていいのか?」
「あげる。じゃんけんで勝っちゃってどうしようかと思ってたんだよ」


どうやら俺が見つけたのは水飴屋でこれを買っている彼女だったようだ。じゃんけんで勝つと二つ貰えてしまうその制度は、お得感は満載だが水飴ではそうもいかないだろう。ましてや一人が二つも貰うなんて、……一人?


「おまえ一人なのか」
「うん。友達と来たんだけど彼氏に取られた」
「…ああ」


そうか、一人なのか。……。にやけそうになるのを必死で抑える。には悪いけれど、ラッキーだと思ってしまう。今日の俺はついている。きっと一ヶ月部活動を頑張ったその報いだ。と、ここでやっと落ち着いてを見ることが出来たのだが、さっきも言った通り赤い浴衣と頭に団子を乗せた彼女はいつもの三割増しで可愛いと思う。そう思うのは浴衣の相乗効果か、惚れた弱みか。


「ゆりこちゃんこそ一人?」
「いや、…バスケ部の奴らと」
「あーいいねー」


朗らかに笑うにちくりと罪悪感が刺した。黄瀬とのやりとりが思い出されたのだ。浴衣女子三割増しの法則に同意したあいつに、がまだ好意を抱いているであろうあいつに、今の彼女の姿なんて間違っても見せたくなかった。嘘は吐いていない。けれど詳しいメンバー構成は言わなかった。それでもが突っ込んできたら終わりだったのだが、幸運にも彼女は部活仲間との祭りということに対してのみ羨望の意を発しただけで、黄瀬云々は何も言って来なかった。見上げてくるを直視できず左肩辺りを視界に入れていた俺に、彼女が首を傾げたのがわかった。


「ゆりこちゃん戻らないでいいの?」
「あー…おまえはどうするんだ」
「てきとうにぶらぶらする」
「……」


そうだ、早くしないとあいつらがここに来てしまう。黄瀬が律儀にパシられているかわからないから早く動かなければ。周りのやかましさと、そんな焦りが相まって咄嗟にの手首を掴んでしまった。


「一緒に回ってやるよ」
「え!ほんと?!」


見上げるの目が輝いた。五月半ばからの付き纏われっぷりから断られるとは思わなかったが、ここまで食い付きがいいとも思っていなかった。正直かなり嬉しくて、できることならばしばらく余韻に浸りたかったが、「ああ、だからちょっと来い」とりあえず今は、とそのまま腕を引いて屋台の並びから外れた休憩場へ向かった。おとなしく後ろをついてくるの顔が赤かった気がするが確かめる余裕はなかった。
一度流れから逸れてあいつらが俺らの前を行ってくれれば、下手なことをしなければ遭遇せずに済むだろう。奥に行くほど道は開け屋台がまばらになっていくが、そこを抜けると河原が広がっている。さっき黄瀬たちがこのあと河原で花火をやりたいと言ってたのでおそらく彼らは最終的に河原へ向かう。がどの程度居座りたがるかわからないが駅へはそこを通らず休憩場の方から行けるので、そこまで行けばもう心配はないだろう。携帯は随時確認しておこう、とスラックスのポケットの上からその存在を確かめた。


「ああ、食べるからね」


休憩場に逃げた意味を都合よく解釈した彼女は近くの空いていたベンチに腰掛けた。背中の帯を気にしているのか手前までしか座らずに姿勢良く水飴を口にする。隣に座っていいものだろうか、とらしくもなく考えあぐねていると「ゆりこちゃん座らないの?」と何も考えていなさそうなが聞いてくるのでああ、と気の抜けた気分で三人掛けのそれに彼女と十分に間を空けて座った。手に持っていたモナカは水飴の水分で徐々に湿ってきていた。早く食わないと手がべたべたになってしまうだろう。


「水飴んまー…」


隣で幸せそうに頬張るのなんと可愛いらしいことか。くそ、誰だ夜は涼しいとか言った奴。どう考えても暑いだろ。