放課後はと帰る約束だったが、優先させる順位は明白だろう。とりあえずそのことを伝えようと教室に戻り彼女を探すと朝と同じように自分の席で本を読んでいた。そこへ向かいながら、俺の方からこいつのとこに行くのは初めてだな、と思った。
多分、というか間違いなく、俺はこの期に及んでも諦めがついていない。の目の前に立ち、おい、と声を掛ける。ゆっくりと上げられた顔は真っ赤でもなんでもないのにどうしてこうも心臓を締め付けられるのか。痛いんだよ。まださっきの傷も癒えていない。自業自得だとわかってるけれど、おまえのせいだと丸投げしてやりたかった。


「放課後用事あるから」


だから帰れない。そこまでは言わずに、懲りずにのリアクションを窺った。少しでも俺に拘る態度を取ってくれれば俺は満足するんだ。嫌だって、行くなって言えよ。一緒に帰ろうっておまえが言うなら俺は。


「わかった」


おい、それだけか。





午後の授業は全く耳に入って来なかった。終始ぼんやりと椅子に座り、黒板の文字の羅列を眺めていた。七月に入り席替えがあったのでもうの後頭部が見えることはない。横に視線をずらすと、三列隣に行き一つ前に進んだところに彼女を捉えることが出来る。は五、六、七限すべて突っ伏していた。俺より酷い授業態度だ。

放課後、ばらばらに帰って行くクラスメイトの中で俺は一人教室に居座っていた。隣のクラスはもう全員掃けただろうか。ああいうタイプの子が人前で大事な話をするとは思えない。人が少なくなってきたのを見計らって向かうつもりだった。
は掃除当番で音楽室へ行った。先週もそうだったから聞かなくてもわかる。机にちらほら残っているスクールバッグは同じ音楽室当番のメンバーのものだろう。掃除自体は十五分程で終わるので、あと五分くらいで帰ってくるだろう。俺ももう行くか、と重い腰を上げた。
隣の教室は一人を除き誰もいなかった。静まり返ったそこにポツンと立っているその子は夕日をバックに綺麗なシルエットを作っていた。ゆっくりと、彼女の元へ足を進める。


「森山くん」
「……」
「ごめんね、わざわざ…」
「…いや、こっちも待たせたみたいで、ごめんね」
「ううん……あの、溜めると言いづらくなるから、もう言っちゃうね」


「…すきです」紅潮した頬とうるんだ目。一目でわかる、この子は俺を本当にすきなんだと。
それでもこんなに冷静でいられてしまうのは。もう答えなんてわかり切っている。こんなことをしてこの子を傷つけてまで保留にする必要なんてどこにもなかったのに。

俺はもう、ずっと前から、の心臓を動かしてやりたいと思っていたのだ。





カバンを持ち、去って行く女の子を見送ることもせず、人知れず溜め息をついた。安堵の息だったろうか。俺の謝罪に対する泣きそうな笑顔も、見た目だけでなく中身に至るまで、全部可愛い子だった。それは今でも思うけれど。
早く戻ろう。今日は情けない自分と反省会をしよう。反省する点はたくさんある。けれど、結果は間違えていないと思えた。


「、あ」


自分の教室には、カバンの数がずっと減った代わりに一人、人が増えていた。完全に、もう帰ったと思ってた。


、」
「あ、おかえりゆりこちゃん」


にこにこと笑う彼女を、今すぐに抱き締めてやりたい衝動に駆られた。意味がわからない。なんでいるんだよ。用あるって言っただろ。なのになんで。


「…俺のこと待ってたのか?」
「待ってたよ。だって一緒に帰ろうって約束したじゃん」


彼女は少しの躊躇いもなく、当然だと言うように笑う。そうだった、確かにおまえは、約束を反故にするような返事はしていなかった。相槌みたいな要領を得ない「わかった」としか言っていない。


「彼女できたらそんなこともうできねえよ」
「そうだね」
「…振ったけど」
「知ってる。女の子一人で出てきてた」


少しだけ目を伏せたを見て、前から不思議に思っていたことを思い出した。もう一月以上経つというのに、こいつはいつまで経っても黄瀬へのアプローチを仕掛けないでいる、ということを。俺がいくら非協力的だといってもやろうと思えば簡単に奴とのコンタクトは取れるだろうに、が何かしようとしている様子は全く見られない。すきな奴がいるならもっと積極的にアピールをするべきだ。現時点でおまえは、黄瀬に存在を認識されてすらいないんだぞ。「…この際だから、おまえに聞きたいことがあるんだが」詰め寄ったら自分の首を締めることになるんだろうか。思ったが、そうせずにはいられなかった。


「なに?」
「俺がおまえに協力する気ないのわかってるんだよな」
「うん」
「じゃあどうしていつまでも何もしないんだ」
「…じゃあわたしも聞くけど、ゆりこちゃんどうしてあの子振っちゃったの?」


はなんでも素直にべらべら話す奴だと思ったら、結構はぐらかすこともする。…答える気はなさそうだ。俺は今更もうはっきり自分の気持ちを自覚しているのでそれに伴う答えを出したにすぎないが、それを言ってしまうのはどうにもこいつに負けた気がするので教えてやらない。


「なんでおまえに言わないといけないんだよ」
「…そうだね」


止めていた足を動かし自分の席へ行く。机に置いてあるスクールバッグを手に取り、肩に掛けた。視線を感じていたに振り返ると彼女も倣ってバッグを持ち直していた。


「まあ強いていえば、おまえと約束してたからだな」
「…おお、ゆりこちゃんかっこいい」


どこか嬉しそうに笑うの口から出た台詞に目を見開いた。今まで何度も聞いてきて、しかし一度たりとも向けられなかったそれは、ずっと前から言わせてやりたいと思っていた言葉だった。やっと言ったな。にやけそうになるのを堪える。


「だろ。台無しだからゆりこちゃんやめろ」
「はは」


「本当は君がかっこいいってことくらい、とっくのとうに知ってたんだよ」はそう笑って椅子の背もたれから離れた。

俺の心臓は彼女に掴まれている。一方的にそれはあまりに癪なので、やはり本当の気持ちはまだ言ってやらない。いつか俺の言動がこいつの心臓を動かすような日がきた暁にはいくらでも言ってやろうと思う。


すきだ。