どうやらついに俺の時代が来たようだ。の言ったとおり、あの試合を見て大活躍だった俺に声を掛けてきた子がいたのだ。試合から二日後の月曜の昼に購買でパンを買っていたところをたまたま見かけたらしく、友達を連れた一人の女の子が「あの、森山くんですよね…?」と話し掛けきたのだった。どうやら隣のクラスの子らしく、背は低く顔も小さいのに目は大きくぱっちり二重で、かなり可愛い部類に入る子だ。その場でメールアドレスを交換し、少し話をしてお互いお昼もまだだしと別れた。
教室に戻るとがいつもの席に着いて弁当をもりもり食っていたのを見てなぜか罪悪感が生まれたが、いやいやおかしいおかしいと首を振り足を踏み出した。着席した途端差し出された紙を受け取ると夏合宿の案内で、ああもうそんな季節かと感慨深くなった。「で、なんでこれをおまえが」「さちおくんから頼まれた」伏し目を白米に集中させたままそう言うに、ああ、と相槌を打った。笠松と会ったわけか。思いつつ口には出さず、も何も言わないので黙って昼飯を食べた。その日もなんだかんだで一緒に帰った。

その日から毎日、女の子とのメールは続いた。メールと言っても途中でアプリに移ったのだが、今日あった何でもない出来事や部活のことを共有し合うやりとりは俺にときめきを与えた。耐え切れず、これこそがリア充!と部屋で一人拳を突き上げたものだ。ここのところはずっとに付き纏われてナンパもままならなかったからな。変な噂も流れるし、本当にあいつのせいで俺の青春は食い潰されかけているのだ。至急どうにかしてほしい。そういえばとは初対面の域を脱していないときにアドレスの交換は一方的にされたが、実際それを使ったことはなかったな。先週の試合だって、唐突に思い立ったとしたって来るならそう連絡してくれれば、…くれれば……


「じゃねえって!!」


拳をベッドに叩きつける。はどうでもいいんだよ。あいつが試合を見に来ようが来まいが何も変わらない。わかったか、俺。ぶれんな、これはチャンスだぞ。絶対モノにするんだ。この子と付き合えれば俺の高校生活は一気に薔薇色と化す。そうだ今週の試合に誘ってみよう。土日ガタガタだったけれど今週の午後練で結構調子は取り戻せている。相手校は先週よりかは強いと言われているのでもっと骨のある試合が出来るだろう。インハイへ向けての調整もぼちぼちしていく頃だし、楽しみだ。早く試合したい。


「じゃなかった。返信返信、と…」


起き上がり、文章を考えながらフリックする。ものの数秒で返って来た了承の返事にガッツポーズをしたのは言うまでもない。女の子らしい可愛い文面は部活で疲れた俺の心を癒した。

日曜の練習試合ではもちろん一試合目スタメンでフル出場をした。が、調子は悪くなかったものの可もなく不可もなくといったところで、素人目にはわからなくとも俺の本調子とはいかなかった。試合後外でその子に称賛を受け素直に嬉しかったが、やはりどこか変でしっくりこなかった。そのせいで、何時に終わるのかと遠回しに下校のお誘いを受けたのにも関わらずお断りする羽目になってしまった。いや、自分のせいなのだが。この日も笠松と小堀とで暗くなるまで自主練をした。

何はともあれ、俺はただ今勝ち組への道を踏みしめているわけだ。お誘いを断ってしまって申し訳ないと思っていたがやりとりは途切れず、むしろ気を遣えなくてごめんなさいとまで言われてしまった。なんて優しい子だろうか。日付が変わる前におやすみと挨拶をして終わった。ああ癒される、とベッドにうつ伏せになりながら目を閉じた。

そんないい気分で眠り、すっきり目覚めた今日は月曜、バスケ部の定休日である。いつも肩に掛けているエナメルバッグは家に置き黒のスクールバッグを持って登校すると、一番に目に入ったは自分の席に着いて本を読んでいたが、俺に気付くとすぐさま立ち上がり駆け寄ってきた。「ゆーりこちゃーん」「なあに三世」ネタに乗ってやったからか一層笑顔を咲かせたの話題を推測する。また今日も一緒に帰ろう、か?


「聞いて聞いて、今日ね、黄瀬くんに会ったの!」


は?

どくん、と心臓が波打った。まともな思考が出来なくなる。が黄瀬に会った?おまえ、あいつと話したのか?


「でもね、眺めてるだけで話し掛けれなかった」
「……へえ」


「あ、今日もオフだね?一緒に帰ろうね」悲しそうな表情を一転させにこにこと笑うに何と答えたかわからない。とにかく自分の席まで行くので精一杯で、机にスクールバッグを雑に置いたあと灰色の持ち手を握り締めながら、耐えきれず声を絞り出した。


「くそっ…」


乱された。こうも簡単に、ぶれるなんて。が黄瀬の話をするだけで他のことを考えられなくなる。今俺は本当に、と黄瀬のことしか頭になかった。バスケのことすら、ましてやあの子のことさえも、頭から吹っ飛んでいたのだ。

…紛らわしい言い方しやがって。そういうのは会ったとは言わん。見かけたと言うんだ。八つ当たりを心の中で呟いて、違和感の正体には気付いていない振りをした。





昼休みに廊下を歩いていると向かいからあの子がやってきて、あ、と目が合いお互い足を止めた。通行の邪魔にならないように廊下の端へ寄り、こんにちは、との可愛い声に同じように返した。何か話すことあったかな、と頭を軽く巡らせていると、俯いていたその子は突然顔を上げ、あの、と切り出してきた。顔は真っ赤だ。


「大事なお話があるので、今日の放課後、うちの教室に来てくれませんか?」


ついに来た。

俺は今まで、どちらかと言わなくても女の子を追い掛ける方の立場だったから、正直こういう展開には慣れていなかった。「あ、うん…」しかし断る理由はない。もっと歯切れ良く了承した方がかっこいいに決まっている。こんなところでヘタレてる場合じゃない、男を見せろ男を。そもそもそういうのは男の俺から言うべきなんじゃ……

と、逸らした視界に、一人の女子生徒が映り込んできた。


「(、)」


今日、珍しく俺のところに来なかったは委員会の仕事があると言っていた。教室に戻るのだろう、弁当を入れている手提げを持ち真っ直ぐ前だけを見て歩いてくる彼女を目で追う。だんだん近付く距離。にこの子の話をしたことはない。彼女がこの子との関係を認識するのはこれが初めてだ。俺はこいつが、この状況を見てどんな顔をするのかが非常に気になった。かっこいい返事を、なんてことは頭から消え去っていた。

だがは一度もこちらを見ずに颯爽と歩き抜けて行ったのだ。


「(……おまえはどこまで…)」


心臓から大事なものを取られたような、酷い虚無感に襲われた。わかっている。悪いのはじゃなく、もっぱら俺だ。文句を言える立場じゃない。大体何しているんだ。この子に対しても失礼極まりないというのに。


「わかった。放課後、そっち行くね」


ぱあっと輝く笑顔は誰から見ても綺麗だと思う。けれど俺の抉られた心臓は少しも癒されなかった。