以前からもはや習慣になっていたとの昼食はこれからも継続らしい。四限が終わると弁当の入った手提げを持った彼女が特に何も言わず俺の前の席に座るのを、俺も特に何も言わず見ていた。月一で行われる席替えはきっと来週のホームルームでするのだろう。今の席は中途半端な位置でいろいろ不便だから、やはり窓側か、それか一番後ろの列がいい。そんなことをぼんやり思いながら、弁当箱を広げていく彼女を見下ろしていた。


「そうだゆりこちゃん、来週の月曜に楽譜配られるらしいよ」
「ああ、音楽祭の?」
「そうそう。笹田さんが言ってた」


へえ、と相槌を打ち、の向こう側に座っている笹田さんに目を向けた。彼女は仲のいい佐野さんと机を向かい合わせて座っているようで、談笑している横顔は四月から思っている通り綺麗だった。それから視線を戻すとは白いご飯を咀嚼していて、昨日自由曲のことになるとあんなに嬉しそうにしていたのに今そんな様子はなく少し不思議に思っていると、あ、と彼女が声を漏らした。


「ルーズリーフなくなったんだった。購買に行かないと」
「おまえルーズリーフ派だったのか?」
「うん、ノートかさばるからさあ。あれ、ゆりこちゃんもだよね?」
「ああ。…じゃあ飯食ったら行くか」
「うん。……?」
「ん?」
「ゆりこちゃん、一緒に行ってくれるの?」
「は?、……」


途端、カッと顔が熱くなった。やば、なんか普通に一緒に行く前提で話してた。んなこと誰も言ってない。いやでも、前に俺が購買行こうとしてたときこいつ当然のように付いて来ただろ。目を見開くに俺は平静を取り繕い眉をひそめた。


「いや、なに、一人で行きたかったらべつにいいけど」
「ううん。ありがとう!」


ころっと表情を変え嬉しそうに笑う彼女にあっさり気が抜けた。「……いや、べつに」敵わない。は何も変わらないのに、自分だけがやたら振り回されている気がした。惚れた弱みというのを、俺はここ最近ものすごく身に沁みて実感している。


しかしそんなときめきとは裏腹に、昼休みを残り三十分としたところで購買へ続く一階の廊下をと歩いていた俺は、彼女について来たことを後悔することになるのだった。


「あ、森山先輩」
「…黄瀬、」


向かい側から来たそいつに一瞬頭が真っ白になった。浮気現場を目撃された心情よろしく、俺はとっさに何を言えばいいのかまるで思い浮かばなかった。そのまま立ち止まらずすれ違えばまだどうにかなったのかもしれないが、動揺のあまり思いっきり足を止めてしまった俺は黄瀬との対峙を余儀無くされた。俺に合わせたのだろう隣にいたも二歩進んだところで立ち止まり、「あ、」また小さく声を漏らしたのが聞こえた。そこで俺はようやく、色々やらかした、と思ったのだった。
近付いて来た男はの存在に気付くと目をパチクリ瞬かせ、それから俺と彼女を交互に見た。だからおまえの間の悪さは一体何なんだ。当て付けのように心の中で悪態をつくのが精一杯だった。


「もしかして森山先輩の彼女っスか?!」
「……ああ」


その肯定に、視界の端でが俺を見上げたように思ったがその表情を確かめる余裕はなかった。…会わせたく、なかった。理屈じゃないその感情に支配され、早々に切り上げる術も思いつかない。黄瀬はそんな俺にお構いなく、へえーこの人が、と面白いものでも見つけたかのようにへ向き直り、人受けのいい笑顔を見せた。


「初めまして、黄瀬涼太っス。森山先輩の部活の後輩で、って、本人から聞いてるっスかね?」
「あ、初めまして、です。お噂はかねがね…」


二人して小さくお辞儀をする光景に軽く眩暈がした。「ところで、」黄瀬が何か言葉を続けようとしたが級友が彼を呼んだため仕方なくお開きとなるまで、俺は一言も口を挟めなかった。地に足が着いていないみたいだ。動悸がやばい。気まずい空気を感じるがようやく直視できたを見てもそんな様子はなかったから気のせい、というか、俺が一人で感じているだけだと思った。こいつはそんなことまったく思っていないのだろう。息を吐く、と同時に彼女が去って行った黄瀬の方を見ているのに気付き、途端に今度は嫉妬心が腹の中を占めた。「おいデレデレしてんなよ」の視線が俺へ向く。どこか驚いていて、俺の言ったことが理解できていないようだった。俺からだってそんな風には見えていないのだから無理もない。ただの余裕のない嫉妬だ。


「してないよ」
「…どうだか」
「……」


無言で首を傾げる彼女に何と続ければいいのかわからない。が珍しく眉をひそめているのに気付いたときには、彼女の口はもう開いていた。


「……ゆりこちゃんが可愛い子に目がないのと同じで、わたしもかっこいい人がすきなんだよ」


心臓がえぐられる感覚。久しぶりのこれは、できればそう何度も感じたいものではなかった。完全に自爆した自分のせいなのに俺の頭は依然冷えず、不安だけがやたら増していっていた。「…あっそう」小堀の言葉が脳裏に蘇る。


「なあ、おまえもう黄瀬はすきじゃないんだよな」


俺だって、はっきりさせたい。だから、肯定しろ。そう見据える俺の言葉をどう思ったのか、彼女はぱちくりと目を瞬かせ、それから前を向いた。視線の先は黄瀬が去ったのとは逆、購買がもう見えていた。


「……うーん」


は?