翌日の朝練前、事情を教えてある二人に早速報告をすると小堀の方はよかったなと言って嬉しそうに祝福してくれた。まるで自分のことのように喜んでくれる彼の善良なところはやはり長所だと改めて認識すると同時に、これまでのストレートな助言も今なら感謝できるとしみじみ思った。昨日から浮かれ気味の俺は支度の終わった小堀に握手を求めそのノリのまま隣にいた笠松にも同じことをしようとしたのだが、しかしそいつは小堀とは打って変わり怪訝な顔で俺を見上げていたのだった。あれ?と思い目を瞬かせる。笠松は俺の話に良い感想を持っていないようだった。そりゃあ、完全に他人事だし、もともとこいつはこういう話題にあまり関心がないから仕方ないかもしれないが。そうだとしても彼の浮かべる表情は何か言いたげで、そしてそれは俺にとってとても不穏だった。伸ばした手をピタリと止める。「…笠松、俺の吉報を喜べよ」「あ?喜んでるけどよ」あ、なんか嫌な予感。


「でもそいつ、黄瀬のことがすきなんじゃなかったのか?」
「…あーあー聞こえない!」


心を砕く笠松の血も涙もない発言に耳を塞いだ。言われると思った。ちょっと予想はしてた。だってそこは俺も、すごく引っ掛かっていたのだ。
嫉妬心からの勢いで告白して、結果オーケーをもらって付き合うことになったものの、前からすきだと言っていた黄瀬に関してはそのあと一度も触れられることはなかった。向こうも何も言ってこず、昨日はただいつも通り一緒に帰って別れ際、これからよろしくお願いしますとお辞儀をした彼女に、こちらこそと返しただけだった。
顔を上げた彼女の柔らかい笑顔を思い出して一人でむず痒くなる。認めてしまえば彼女の一挙一動にときめいている自分がいる。それは本当に、数ヶ月前の俺には想像もできなかったことだった。
そうやって幸せに浸りつつ家に帰ったけれど、しかしふとした瞬間に考えてしまうのだ。黄瀬のことはもういいのだろうかと。耳を塞ぐという小学生のような逃げ方をしてみせた俺に笠松は呆れたように溜め息をつき、小堀は苦笑いを浮かべながら問い掛けた。


「そのことについては聞かなかったのか?」
「聞けるわけないだろうが…もしまだ黄瀬がすきだとか言われたらどうするんだ…」


塞いでいた手をおそるおそる離し、おそるおそる小堀を見遣る。我ながら女々しいとわかっている。どう思われていようが彼女は俺を選んだのだとどっしり構えていられればかっこいいのだろう、が、そうは簡単にいかなかった。昨日の放課後、の気持ちは多分よくわかったけれど、今までの言動が依然彼女の思考回路を読めなくさせていた。何を考えているのかわからないからこんなに余裕がないのだ。「自信持っていいんじゃないか?彼氏だろ?」「……小堀…!」しかし落ちていた俺をそう励ます小堀に感動し、オーバーに手で口を覆った。やはり持つべきは善良なチームメイトだ。
そんなやりとりを繰り広げていると、部室のドアが開いた。俺たちがいつも早いだけで今の時間に来ても練習の開始時刻には間に合うだろう。壁掛け時計に目を向け、それから入り口に視線を動かす。そして入ってきた人物が誰だか認識した瞬間、俺は顔をしかめざるを得なかった。


「おはようございまーす」


……おまえの間の悪さは一体何なんだ。
どこにいても大体目立つその男はのん気に挨拶をし、エナメルバッグを自分のロッカー付近に置いた。その一連の動作を何の感動もなく目で追う。べつに黄瀬がどうこうってわけではないのはわかっている。が、無性に腹立だしい。笠松や他の部員が挨拶を返す中、俺はジト目で奴を睨んでいた。


「あ、そだ。明日の練習試合ってー…って何スか森山先輩?!」
「何がだ」
「いやめっちゃ睨んでるじゃないっスか!怖い!」
「すまん元々こういう顔だ」


嘘だ、俺何かしたっスかとか騒いでいる黄瀬を軽くあしらい、身の周りの整理を再開する。本当に何もしていないから何も言えないだろう。それでもやはり気が収まらないので体育館に行ったらプロレス技を掛けてやろうと思う。「小堀先輩、森山先輩何かあったんスか?」俺がロッカーの鍵を掛けている隙に黄瀬が小堀に方向転換したことにハッとして振り向いたときには時すでに遅しだった。


「ああ、森山に彼女ができたんだよ」
「小堀!」
「え!マジっスか?!見たい!」
「うるさいモデルさまはお呼びじゃない!」
「なんで?!」


小堀がこれ以上余計なことを言わないよう割って入る。途端に騒がしくなった俺らに周りの部員が目を向けてくるが気に留めない。「もう隠さなくてもいいだろ」と言う小堀の言い分は間違っていない。俺の片想いだった頃とは違うし、それにこいつに隠したところでバレるのは時間の問題だろうとも思う。けれどだからといってこいつに知られらるのは、俺としてはまだ駄目なのだ。
「森山、小堀。準備できてんなら行くぞ。黄瀬は急げよ」この場を収集しようとしてくれたのか、その笠松の指示に従い渋々荷物を持つ。時計を見て焦り出した黄瀬は放っておき部室を出た。練習中質問攻めだろうなとこのあとのことを想像しそれが顔に出ていたのだろう、隣を歩く小堀は苦笑した。


「黄瀬コンプレックスになる前にはっきりさせた方がいいんじゃないか?」
「…わかってるさ」


罰の悪そうに小堀から目を逸らした。相変わらずこいつのアドバイスは単純ではないが明解だ。そのうえ正しいからたちが悪い。