12

 夏休み初日のランク戦ではそこそこの点数を取れた。もう1ランク上に上がったけれど夜の部の結果によってはまた最下位も有り得るだろう。試合の反省会をラウンジで昼食をとりながら行ったあと、チームメイトは各々個人戦や狙撃訓練へと向かった。わたしはすることがないので、オムライスの乗っていたトレーを返し一旦作戦室に戻ることにした。
 一人とぼとぼと通路を歩いていく。今日は、みんなに褒められた。タグをつけ間違えなかったし、欲しい情報をすぐあげられたし、相手の動きも見逃さなかった。もう滅多なことではテンパらない。十回を超えるランク戦の実戦経験と防衛任務、そして月見さんから教わったことが確実に培われている。ようやく最低限のことができるようになったレベルではあるけれど、わたしだって成長してるのだ。


「……はあ」


 頭とは裏腹に大きな溜め息をついてしまう。心臓が重い。おとといからだ。張っていた気が抜け、一気にすべてが億劫になる。作戦室にわざわざ戻るのも面倒なほどだ。このまま帰ろうかなあ……。
 ふと、通路脇に設置された自販機を見つけた。何となしに小銭を入れて缶ジュースを買う。そばのベンチが無人なのをいいことに座り込み、プルタブを引いて一口飲む。口の中に夏みかんの果汁が広がる。夏限定なので今のうちに心ゆくまで飲むべし。思いながらごくごくと嚥下する。ちょっと元気出たかも。
 夕方から三輪隊は防衛任務だ。毎週更新されるスケジュールをもれなく把握している頭には開始時刻と終了時刻がきっかりとインプットされている。今週もランク戦と被らなかったら行けるって、先週月見さんに言った。なのにここ二日、何かと理由をつけて行ってない。
 眠くないのにまぶたをこする。申し訳ないけれど、正直、とても行く気にはなれなかった。どんな顔して会えばいいのかわからない。おとといのままだったらこんな風には思わなかった、かなあ……。ちょっと気まずかったかもしれないけど、今までと同じようにできてたと思う。また溜め息をつく。
 このまま夏休みが終わりそう。嫌だなあ……。


「ここにいたのか」


 一瞬、水を打ったように静まり返る。ゆっくりと、声のした方に顔を向ける。

 ――三輪くんだ。

 間抜け面で声も出ないわたしに構うことなくコツコツと歩み寄ってくる三輪くんを、どこか別世界のように見ていた。先月のデビュー戦のときみたいだ。あのときもわたしがグズッてたところに三輪くんが来てくれた。それで、あのときもわたしは、三輪くんに会いにくかった。


「またランク戦でやらかしたのか」


 そばで立ち止まった三輪くんは見るからに落ちているわたしを見下ろして言った。その表情は、どう切り出せばいいのか迷っているようだった。斜め下に泳がせた視線がその証拠だ。三輪くんが思ってることはまだ、わかる。わかるのに。鼻奥がツンと痛くなる。


「う……うえ〜」
「泣くほど何をしたんだ」
「ちがうよお〜……」


 堪え切れず泣いてしまう。みっともなくボロボロ涙をこぼすわたしを見て三輪くんは、仕方のなさそうに息をついたあと、隣に腰を下ろした。泣いてる人の近くになんていたくないだろうに、いなくならないでくれる三輪くんの優しさにますます涙があふれる。嬉しいのと悲しいのとでないまぜになる心が痛い。
 三輪くんは口数が少ないけど、思ってることがわかるからいいと思ってた。でも実際わたしは三輪くんのことをちっともわかってなくて、彼の根幹に関わる重大なことに気付けていなかった。そして三輪くんも、わたしに伝えようとしなかった。これが今ここにあるすべてだ。


「うっ、うっ……みわ、くん……」
「なんだ」
「な、なんで、お姉さんが、亡くなってること、教えてくれなかったの〜」
「……!陽介から聞いたのか」


 こくんと頷くと、ぼやける視界の隅で三輪くんの拳が固く握り締められた。それを見たくなくて、ぎゅうと目を閉じる。一縷の望みなんてものは容赦なく滅び、米屋くんの言っていたことが本当だったと証明される。


「……人に言いふらすことでもない」


 三輪くんの声が降ってくる。見上げると、その横顔は静かで、前髪に隠れてしまいそうな眼差しはどこか、お姉さんを、思い出しているようだった。ぼたっと涙が手の甲に落ちる。――わたしは、また、何てことを。


「ち、ちがっ」
「……今度はなんだ」
「責めたかったんじゃなくて、わたし、そんな大事なことに気付けなくて、」


 三輪くんの気持ちを考えれば、言いたくないことだってすぐにわかるはずだ。なのにまるで三輪くんが隠し事をしていたみたいな言い草で彼を責めた。ばか、このデリカシーなし。俯き、スカートの裾をぎゅうと握り締める。「ご、ごめんなさい……」涙は引いた。代わりに罪悪感が押し寄せる。


「気付いてほしいと思ったことはない」
「でも、」
「……姉さんのことは、今の俺の行動原理だ。それはこの先一生揺るがない」


 成し遂げるには大変なことなのに、当然のように、じっと足元を見つめる三輪くんに、心の中でごめんなさいと謝る。結局わたしは自分のことばかりだ。三輪くんの大切なことに気付けなかった自分を許してほしいと思っていただけだった。
 できることなら、三輪くんの力になりたい。けど今さらそんな、何も知らなかった自分に何ができるのか。一緒にいて、三輪くんの悲しい気持ちを分けてもらうことが。そう思うことすら後ろめたいほどだ。
 三輪くんのことだ、お姉さん想いの弟だったんだろう。大切なお姉さんが近界民に殺されて、さぞ悲しかっただろう。助けられず無念だったかもしれない。
 ああ本当だ、君は今、近界民を倒すことがすべてなんだ。

 遠い遠い、どこか、知らないところに三輪くんが行ってしまったような気がした。でも、最初から近くになんていなかったのかも。なにかを錯覚してた。

 指の腹で涙を拭う。すんと鼻をすする。三輪くん、今までよくわたしのこと我慢してたなあ……。こんな考えなしが近くにいて、嫌だと思わなかったのかな。考えてまた涙がにじむ。自分で自分を傷つけて泣く。それでももう、金輪際近寄らないという決断は下せなかった。


「だが、それをおまえに踏みにじられたことはない」


 ハッとする。「だからおまえは気に病むな」三輪くんの赤い双眸が、わたしを映していた。淡々と述べられた言葉だった。けれど、それは確実にわたしを救った。

 まるで三輪くんの世界にわたしがいるみたいだった。


「……というか、それで泣いたのか」
「だ、だって、どうしてもわたし、三輪くんと話したいし、一緒にいたいんだよ……」


 半ば呆然としながら本音をつむぐ。自己中心的なわがままだ。結局わたしは、自分の希望を押し付けることしかできなかった。そんな言葉に三輪くんは少しだけ顔をしかめ、目を逸らした。手を首裏に回しそっぽを向く。――ああ、言いたいことがわかる。


「すきにすればいいだろ。今さら何を遠慮してるんだ」


 やっぱり君は、わたしのすきな人だ。

「わかったら行くぞ」「え、」ごまかすように立ち上がった三輪くんに目を丸くする。


「月見さんが待ってる。もしかしたら出水もまだいるかもしれない。さっきまで入り浸っていたからな」


 変わらず淡々と述べる彼は、わたしの防衛任務の同席を当然だと思ってくれてる。嬉しくて、ぶんぶんと大きく頷いた。じんわりと浮かんだ涙を指の背で拭い、まだ残ってるジュースを片手に二人並んで作戦室へ歩き出す。


「また出水くんたちに師弟コンビ復活って祝ってもらう〜……」
「それはよせ」


 しかめた顔の三輪くんに笑うわたしは、また隣を歩けることにこの上ない幸せを感じるのだった。