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 高校一年の修了式からしばらく経った日のことだった。


「わたし、てんこうするんだー」


 その言葉を理解した瞬間、喪失感に見舞われたのを確かに覚えている。

 たまたま本部で会ったが俺にそう言った。笑った顔はどこか不自然でぎこちなく、明らかに彼女らしくないと思わせた。


「……引っ越すのか」


 自分でも驚くほど呆然とした声だった。漠然と、自分の一部が抉られたような感覚。彼女らしかぬ表情を見たのはこれが初めてだった俺は、それを指摘する余裕もなく、ただ衝撃を受け止めることで精一杯だった。
 ――がこの町からいなくなる。


「……へ?」
「は?」
「……え!ちがうよー、オペレーターになるの!」


 その言葉でようやく合点がいった。そして自分が勘違いをし、とんでもないことを考えていたことに気が付く。決まりが悪くて咄嗟に目を逸らす。……クソ、紛らわしい言い方をするな。


「そっちの転向か」
「うん!……三輪くんには弧月の扱い方ですごくお世話になったけど、」


 すごくお世話をした覚えはない。最後まで言わなかったがおまえは弧月よりスコーピオンの方が合っていた。心の中で反論する。半ば八つ当たりのようなものだった。


「でも三輪くんはずっと、わたしの心の師匠なので!」


 だから師匠になった覚えはないと何度言えばわかるんだ。顔をしかめると、はそこでようやく本当の笑顔を見せたのだった。

 結局のところ、やかましい奴だと思ってはいたが、いなくなってほしくないと思うくらいには情が移っていたらしい。その程度には友人だと思っていたのだろう、俺は。それが程度の差はあれど、あいつも同じだと思っていた。


「三輪くん、すきだ」


 だが違ったらしい。





「うぃーす」


 期末試験の数学で赤点を叩き出した陽介が補講から戻ってきた。既に隊のメンバーは全員集まっているが、任務の時間にはまだ余裕がある。各自自由時間を過ごす中、テーブルに向かい報告書の確認作業を丁度終わらせたところだった。


「おつかれさまです」
「補講って何をするんだ?」
「ひたすら問題解いて先生が解説するだけ」
「へえ。案外普通なんだな」


 三人の会話を聞きながら、今度はスクールバッグから夏休みの課題が入ったファイルを取り出す。先に片付けておいて損はない。出された課題は英語、数学、古典、物理、化学の五科目。どれから手をつけようかと一枚一枚見ていると、ホチキスで留められた数学のプリントで手が止まった。
 昨日のとのやりとりが思い出される。一緒にやろうと誘われたことだ。だが俺は了承していないから、今一人でやってしまっても何も問題はない――そう思いつつも気が乗らないのは何故か。
 あの場の空気を変えたのは間違いなく迅の登場だ。奴の言うことにいちいち耳を傾けるべきではないと自分に言い聞かせても、奴の持つサイドエフェクトが無視をさせない。
 俺とが不安定で安定している、とはどういう意味か。考えても答えは出ず、無意識に顔をしかめていた。もっとも、それに気が付いたのはが俺を覗き込んできてからだったが。


「お?なに一人でやろうとしてんだよ。そういうのは手分けしてやった方が早いだろ」


 陽介に手元を覗かれ我に返る。手が止まっていた。動揺を隠すようにファイルから指を抜く。


「……おまえと手分けしたところで全部俺がやることになるだろ」
「それは否定しねーけど。でもほら、オレ化学はいけっから。適材適所」
「そんなにいい点数取ってたか……?」
「そこそこ。んで、出水は物理得意だし、も……あ、といやあ」


「……なんだ」嫌な予感がして無意識に眉をひそめる。陽介には何も言っていない。なら言うか、あいつも今日の補講に参加していたはずだ。本部に用があれば陽介とここまで同行していたかもしれない。そこまで考え、何を言われるかと内心身構えるも、想像に反して陽介は軽い調子で肩をすくめるだけだった。


「いや、おまえらに何があったかは知んねーけど」
「……」
「可哀想だなーとは思ったぜ」
「……誰が」


がに決まってんだろ?」淀みなく答えてしまえる陽介から目を逸らす。心当たりはあった。

「いいよべつに。三輪くんにすきになってもらえなくても」これか、と思った。こいつがずっと言っていたのは。
 の表情から伝わってしまった。とんだ強がりをしていたのだ、あいつは。言われなくてもわかってしまった。