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「秀次と喧嘩でもした?」


 退屈すぎる補講が無事終わり、本部に向かう道で米屋くんにそんなことを聞かれた。ぎょっとして振り向くも本人は至ってナチュラルに頭の後ろで手を組んでいる。もしほんとに喧嘩してたら、そんなノリで聞くのはどうかと思うよ……。思いながら口にはせず、してないよと首を振る。


「そ?」
「……三輪くん何か言ってた?」
「いんや?でも今日補講があるって伝えたとき、もいるし待ってればっつったら」
「なんじゃそりゃ…?!」
「いや、ほんの冗談で」
「冗談は冗談でひどいよ?!」
「わりーわりー。応援はしてるって」


 わたし米屋くんと恋バナした覚えないんだけどなあ……?しかも応援されてたのか、初耳だよ。しかし残念なことに、今はそれを喜べる心境にないのだけど。


「んで、したら秀次、ちょっと驚いたあと顔しかめて「いい」っつって帰っちまってさ。あいつ嫌な感情すぐ顔に出るよなー」
「……」
「昨日の任務ンときも様子変だったからと何かあったんかなって思ったんだけど、オレの勘違いだったっぽい?」
「勘違い……」


「ではないと思う」連絡口の横を通り、警戒区域に踏み入れる。有刺鉄線をまたいで越えるのはもう慣れた。柵の支柱を使って3ステップで飛び越える。申し訳程度にスカートを直し、先に飛び越えていた米屋くんに追いついて歩き出す。
 喧嘩はしてないけど、米屋くんの勘違いでもない。でも詳しく話すつもりはなかった。誰だって自分の失敗談なんてペラペラしゃべりたくないでしょう。――昨日のわたしは失敗したのだろうか?三輪くんに告白して、遠回しに諦めるようなことを言ったあと、そろそろみんなが来るかもとか言って自分の作戦室に逃げてしまった。あれから三輪くんとは会ってない。
 わたしの告白を、三輪くんはどう思っただろう。あのとき君が何を考えてるのか、ちっともわからなかったのだ。

 突然、非常警報が鳴り響く。ハッと顔を上げる。――また?


『ゲート発生。ゲート発生。座標誘導誤差3.28。付近の皆さんは注意してください』


 少し離れたところに禍々しい球体が発生する。民家で遮られてよく見えないけど、割と距離のある場所で発生したようだ。


「任務中のどっかの部隊が倒すだろーな。オレらはさっさと基地行こーぜ」
「う、うん」


 球体から現れた小型の近界民を横目に駆け出す。米屋くんって好戦的な人だと思ってたけど、猪突猛進というわけではないのかな。てっきり他の部隊差し置いて倒しに行くと思ってた。遠くで破壊音が轟く。


 しばらく走り、もう大丈夫だろうと足を止める。米屋くんは走りながら握っていたトリガーをポケットにしまった。いざとなったら戦う気構えはしっかりあったらしい。頼れるA級隊員だ。


「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」


 ただでも暑い中全力疾走したものだから汗は止まらない。タオルで拭いながら、元のペースで歩き出す。ゲート発生前の話題は掘り返したくなかったので、何を話そうかと頭を巡らせ、結局今さっき思ったことを口にした。


「米屋くん、近界民倒しに行かなかったの意外だった」
「んあ?そりゃ下手に突っ込んで敵さんがおまえンとこ行ったら危ねーしよ」
「え!ご、ごめん……!」


 なんと、わたしを気遣ってくれてたらしい。途端に罪悪感に襲われる。わたしがいなかったら米屋くんは心置きなく戦闘に臨めたんだ。自分の邪魔者具合と浅はかさに申し訳なくなる。


「……あれ、でもこの前は」
「あんときはゲートがすげー近かったし、オレら二人いたからなー。それに敵の種類も……まあ、いろいろ条件あっから」


 暗にこの間の三輪くんは迷わず突っ込んでいったことについて疑問に思ったのを素早く汲み取ってくれたらしい。米屋くんはスラスラ答え、かつ、最後は面倒くさくなったのか適当にまとめた。
 それでもホッとできたからありがたい。一瞬、三輪くんはわたしのことなんて意に介してなかったんじゃないかと思ってしまった。


「秀次だってまずおまえの安全を確保すること考えてたろ?」
「そ、そうだった。ありがとう……」
「どーいたしまして?」


 首を傾げながら笑う米屋くん。お礼を言われた意味がわかってないのかもしれない。わたしは自分本位の発想が恥ずかしくて、俯いて前髪をいじってごまかした。


「三輪くんはわたしのことなんてどうでもいいんじゃないかとか、思ってしまった……」
「……」
「そうじゃなくて、ボーダーの務めとして近界民を倒すの全うしてるんだもんね、さすが三輪くんだ」
「……知らねーの?」
「え?」

「秀次の姉ちゃん、昔近界民に殺されたって。秀次に聞いてねーの?」


 ――え?「だから近界民への恨みは人一倍だし、目の前にいたら絶対逃さねーよ、あいつ」途端に、目の前が暗くなる。背筋が凍る。心臓が気持ちの悪い脈を打つ。

 米屋くんは、何の話をしてるんだ?


「……」
「……知らねーんだ」


 米屋くんの口角が引きつる。立ちすくんだまま動けなかった。嘘とか冗談を言ってるんじゃない。本当のことなんだ。
 知らなかった。三輪くんにお姉さんがいることも、その人が近界民に殺されてすでに亡くなっていることも、何も知らなかった。近界民を倒した三輪くんの横顔を思い出す。あのときわたしは彼を見て、何て思ったか。そんな大事なことも知らないで、三輪くんらしいなんて、とんでもなく失礼なことを、馬鹿か。

 おまえの考える三輪くんらしさなんて、たかが知れてる。


 そして気付かされる。三輪くんの世界に、元よりわたしはいないんだと。