話し声が聞こえた気がする。隊長と、だれかが話している。リサかな、ひよ里かな。耳をすまそうとわたしは口を噤む。よく聞くと、女の人の声じゃなかった。かといって男の人の声でもない。だれ。隊長、だれと話してるの。真っ白の空間にはわたし一人しかいなかった。右も左も上も下もない不思議な部屋にぽつんと立っている、ようだ。よくわからない。
 気付けば隊長の声は聞こえなくなっていた。残されたのは女の人でも男の人でもない、言葉ですらない呻き声だけだった。姿は見えない。でもこの声を知っている気がして、辺りを見回す。遠くから聞こえてくる。でもそこにいる気がした。

 途端に心許なくなり腰に手を伸ばす。斬魄刀が差してあった。
 それに目を落とした瞬間、頭の中まで真っ白になる。急速に、世界が回り始める。





「――…!」


 天井のうねった木目の顔と目が合う。照明はなく、外から差し込む日差しが部屋全体を明るく照らし、今が早朝だと認識させた。
 夢だったと、瞬時に理解した。心臓が強く脈を打っており、仰向けに横たわる身体に響いてくる。背筋は凍ったまま、けれど思い出しても、悪夢というほどの内容ではなかった気がする。わたしは何に怯えたんだろう。
 それより起きないと。我に返って勢いよく上体を起こしてすぐ、怪我のことを思い出した。咄嗟に血の気が引く。けれど想像した痛みはやってこず、肩の傷口に手を当ててみるも同じだった。不思議に思い服をめくって覗き込む。包帯は胸から左肩にかけて巻かれていたけれど、まるでその下に傷口なんてないんじゃないかと思わせるほど、身体に違和感はなかった。今気付いたけれど、身に着けているのは死覇装でも詰所の白い患者衣でもなく、ごくごく普通の浴衣だ。わたしのではない。というか、そもそもここって……。


「お、起きたか」


 開けっ放しだった部屋の戸から顔を出したのは隊長だった。彼も同じように見慣れない着流しを身にまとっている。それでも、元気そうだ。ホッと全身の力が抜ける。


「隊長、ご無事で…!」
「おお」


 いつもと変わらずヘラッと笑い、部屋に入ってくる。改めて見回すと、今自分がいるのは四畳半の畳が敷かれた狭い和室だった。茶棚や床の間はあるものの飾り物は何もなく、人の気配を感じさせない。
 隊長はそばまで来るとゆっくりと腰を下ろした。「具合は悪ないか?」「はい。隊長こそ…」わたしの心配ばかりで隊長の容態がわからない。聞き返そうとして、ふと気付く。隊長の霊圧が感じ取れないのだ。そんなはずはない。思って何度探知しようと、目の前であぐらをかく隊長からは何も感じない。目を瞠り、思わず口を噤む。


「……」
「どした?どっか悪いんか」
「た、隊長……霊圧が…」
「霊圧?」


 隊長は目を丸くしたと思ったら、ああ、と肩の力を抜いた。


、自分が義骸入ったの覚えてんか?」
「え、あ、いえ…」


 この身体が義骸であることはわかっていたけれど、自分がいつ入ったのかは覚えていない。でも言われてみれば、混濁した意識の中、義骸に入るよう促されたような気も…。煮え切らない返事をするわたしに隊長は肩をすくめて「まァおまえ、入った途端また気絶しよったからしゃーないわ」と返した。


「これな、喜助が開発したモンで、中に入っとる魂魄の霊圧を遮断するんやと」
「霊圧を…?」
「まァ何でってなるわな。それも含めて向こうで話すから、来れるか?」


 反射的に頷くと、隊長はよしと頷き立ち上がった。わたしも布団から出、立ち上がる。少し立ちくらみをしたけれど、隊長のあとを追って部屋を出た。

 …この空気の霊子濃度は間違いない。隊長、わたしたちなんで現世に来てるんですか。聞こうとしたけれど、きっとそれも含められてるんだろう。背を向けて前を歩く隊長に、なぜか余計な言葉をかけるのはためらわれた。

 二つ隣の部屋は広間になっており、そこではリサたちが車座を作っていた。やはりこの部屋にも何もなく、日焼けした畳だけが年季を感じさせている。
 ほとんどが見知った顔の人たちの中、見たことのない人もいた。どういった面子なんだろう。漂う空気はどことなく重い。自然と表情が強張り、誰とも目を合わさないように入室する。


「おはよっス。サン」
「お、おはようございます」


 一番入り口に近い場所に座っていた浦原隊長へあいさつを返し、隊長の隣に腰を下ろす。みんなの視線を集めている気がして身体を硬くしていたけれど、おそるおそる顔を上げると彼らは軒並み、隣の隊長や浦原隊長へ視線を注いでいた。


「では全員揃いましたんで、お話ししましょう」


 浦原隊長の台詞で、部屋に緊張が張り詰めた、気がした。さっきから不安な気持ちは落ち着かない。隣の隊長を盗み見るも、彼も眉をひそめて浦原隊長の方を向いていたので、わたしには気付かなかった。

 浦原隊長の話というのは、例の魂魄消失事件についてだった。淡々と紡がれる事件のあらましを、わたしは何重にも張り巡らされた緊張の糸に絡め取られながら聞いていた。
 流魂街の魂魄が次々と消えていった原因はある死神による人体実験だった。実験台にはまず流魂街の住人が選ばれた。しかし一般の魂魄では一向にうまくいかず、原型を留めぬまま消滅してしまう。次に黒幕である死神は、事件の調査に出た九番隊の先遣部隊を実験台にした。結果、先遣部隊の彼らがどうなったかは不明だが、おそらく流魂街の住人同様失敗したのだろうと、浦原隊長は予想にしてははっきりと悲観的な見解を述べた。それを聞いた六車隊長の表情が険しくなったのがわかった。あぐらをかいた膝に置かれた拳が強く握られる。
 続いて標的になったのは隊長格である六車隊長と白だった。先遣部隊が消失事件の被害者となったことが発覚し、現場で野営を張っていた六車隊長たちは、見張りの部下の悲鳴を聞き外に出ると、彼らが血まみれで倒れているのを発見したという。


「敵が近くに潜んでいると判断し迎撃しようとしたが、やられた。刺したのはうちの東仙だった」
「えっ!そうなの?!」


 六車隊長が苦く顔をしかめる横で白が覗き込む。「そうだよ。おまえはバカみてえに寝こけてたから知らねえだろうがな」白の頭を前から鷲掴みにして元の場所に座らせる六車隊長。いつも通りのやりとりなのに、六車隊長に覇気がない。それを白も感じ取ったのか、反抗せずおとなしく正座を崩して座り込んだ。
 浦原隊長曰く、六車隊長と白の二人は実験の第一段階を突破した。魂魄の霊力によるのだろう、消滅することなく虚となったのだ。昨夜、地面に倒れ伏した白と六車隊長を思い出す。仮面をつけた彼らはたしかに、まるで虚のようだった。


「死神を虚にするってのが黒幕の目的だったのか?」
「いえ。あくまで第一段階を突破したに過ぎません。…虚化についてはのちほど詳しくお話しします」


 二人は「虚化」し、うち六車隊長は浦原隊長が派遣したひよ里を襲った。さらに駆けつけた特務部隊は白を交えた戦闘をし、なんとか二人を無力化することに成功。しかし、今度はひよ里の虚化が始まった。
 無意識に身体が固くなる。もうない傷が疼くようだった。肩に手を当てようとして、なんとか踏みとどまる。あからさまにそんなことをしてはひよ里が気にしてしまう。もう治って無事だったのだ。だいたい、ひよ里は悪くない。六車隊長も白もひよ里も、あれが彼らの意思だなんて誰が疑おうか。だからそんな、申し訳なさそうに顔をしかめなくていい。


「そのあと俺らを斬ったのも東仙か?」
「この流れだとそうみたいだね。で、全員仲良く虚化したってオチかな」
「はい。あの場で傷を負ったあなた方は虚化を発症しています。……皆さん、それとなく感じているかと」


 愛川隊長、鳳橋隊長に答えた浦原隊長の宣告に飛び跳ねそうになった。虚化、ひよ里たちがなったやつ。浦原隊長の言ったことが本当だとしたら、わたしもああなったということか。想像がつかない。今、顔や身体に変化はない。自分の意思で身体を動かせている。や、というか、そもそもひよ里たちが元に戻っているんだから、虚化というやつは一時的なものなんだ。ホッと胸を撫で下ろす。


「で、虚化ってやつもそうだけどよ。肝心の黒幕が誰かわかってるのか?」
「あたしら斬った東仙やないの」
「……」
「違うで」


 それまでずっと沈黙していた隊長が口を開く。全員の視線が集まる。わたしは、さっきまでの緊張感がさらに悪化する感覚を覚えていた。喉が乾く。……だってちょっと、夢だったんじゃないかと、思っていたから。


「黒幕な。俺んとこの藍染や」


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