魂魄消失事件の黒幕は藍染副隊長だった。昨夜、副隊長自身が言っていた。東仙五席は自分の指示に従ったに過ぎないと。あの場にいた、市丸くんと東仙五席は、彼の共犯者だった。
 予想外の人物の名前に、当時意識を失っていた人たちは動揺を見せた。無理もない。自分の上司という色眼鏡を通さなくても、彼は規範的な副官だった。まさか流魂街の住人を、同じ護廷隊の隊士を、自分の上官を、死ぬかもしれない実験台にする人だなんて思わないだろう。


「すまん。あいつが怪しいんはずっと気付いててん。防がれへんかったのは俺の責任や」


 隊長が頭を下げる。「たい…、」思わず、彼の腕に手を置く。やめて、そんなところ見たくない。隊長が謝る必要があるわけない。「気持ちはわかるけどよ」愛川隊長の言葉にビクッと肩が跳ねる。


「今はやめとけ。おまえも拳西も。責めたい奴なんかいねえんだから」
「……そうか」


「すまん。話続けてや」やるせなさそうに顔を上げる隊長にじわりと目が潤んだ。鼻がツンと痛くなる。隊を率いる人たちにしか感じない責任がある。わたしはフォローを入れられる立場じゃないのだ。この涙は無力感から来るものだった。





、お腹空いたやろ。食べ」


 縁側に座り外を眺めていると、リサがやってきた。差し出された握り飯をお礼を言ってお皿ごと受け取り、彼女が隣に座るのを横目で見る。
 今は一旦解散し、各々自由行動を取っている。とはいえ、今後の方針として当面の間霊力の使用は禁止されたし、極力この空き家に待機し、外に出る場合は必ず二名以上で行動するよう決めたため、思う存分羽を伸ばしているとは言い切れなかった。今も空を見上げると手前に結界の膜が見える。握菱大鬼道長と有昭田副鬼道長が交代で張ってくれているのだ。


「大丈夫?話し合いんときからぼーっとしとったけど」
「あ、うん……なんか昨日から目まぐるしくて」
「…そらな」


 浦原隊長から聞いた事件の顛末は衝撃的だった。浦原隊長と握菱大鬼道長は、虚化したわたしたちを十二番隊舎へ運び治療を試みるも失敗。翌朝、四十六室に連行された浦原隊長は藍染副隊長の虚化実験の罪を着せられ現世へ追放、大鬼道長はわたしたちを救うための禁術行使により投獄されかけた。危ないところを四楓院隊長に助けられ、その後全員分の霊圧遮断型の義骸を製作し、仮面を割り意識を取り戻したわたしたちを義骸に入れ、十一人全員で現世に移動した。大人数が寝泊まりできるこの空き家を見つけ一晩過ごし、今に至るという。
 気を失う直前も相当混乱していたけれど、目が覚めたらまさか、尸魂界に戻れない状況になっているなんて思ってもみなかった。人生何が起こるかわかったもんじゃないなあ、と、思う。


「あたしらは移動するときなんとなく聞いとったからな。このままやと瀞霊廷に殺されるから逃げるって。まさか虚としてとは思てへんかったけど」
「……ね」


 そう、虚化の実験台となったわたしたちは、本来であれば虚として処分されるはずだったという。そういう決定が四十六室から下ったのだ。そのための現世逃亡で、そのための霊圧遮断型義骸だった。
 両手で持ったままの皿へ目を落とす。今ごろ副隊長は、尸魂界でどんな気持ちで過ごしているのだろう。一緒に来ていた市丸くんは、九番隊で一人生き残ったように見える東仙五席は。副隊長の罪が暴かれる日は来るのだろうか。それまでわたしたちはここで、瀞霊廷の目を眩ませながら生きなければならない。気が遠くなりそうだ。

 仮面を割られた時点から意識のあるリサたちはここを拠点に決めたあと、周囲の家から食糧や衣類をかき集めてくれたらしい。どうやら村落一帯が逃げ出した地域らしく、家屋は残っているものの人っ子一人見当たらないのだそうだ。その原因は夜な夜な一人ずつ魂魄を喰らう悪趣味な虚だったらしく、八番隊の席官が討伐した報告を受けた記憶があるとリサは言っていた。なんでもこの地区は八番隊の管轄区域なんだそうだ。駐在も配置されており、定期的に巡回に来るはずとのことで、先ほどの話し合いで詳しい時間帯を全員に共有していた。
 ここは仮の拠点で、次の拠点が決まり次第移動する話になっている。いくら結界を張っているとはいえ、人気がないところでの集団生活は目立ってしまうと懸念してのことだった。今回のように駐在の目を盗むためにも、次の移動先もわたしたちが把握している区域にするつもりだ。思えば、六つもの隊の隊長格がいるのはなんと心強いことか。そんじょそこらの死神と敵対しても勝ててしまいそう。それこそ藍染副隊長なんて……。

 いいやでも今は、自分たちのことをどうにかしなきゃいけないんだよな。


「……虚化かあ…」


 いまいちイメージがつかなくて途方もない気持ちになってしまう。虚化という現象の説明は浦原隊長から受けたけれど、自分の身に発症した形跡がなくどこか他人事に感じてしまう。今わたしの中に虚がいる、と言われてもピンとこない。
 元は死神の魂魄の強化を目的とした研究だそうで、死神の魂魄に虚の魂魄を流し込み、二つの魂魄の境目を壊すことで魂魄自体の増強を期待されていたんだそうだ。ただ、現段階では二つの魂魄の混在を制御できず、常に危険な状態に置かれることになる。そして、一度混ざり合った魂魄を元どおりにする方法も、今のところない。


「なったもんは仕方ないやろ。霊力使たらあかんで」
「うん。おとなしくしてなきゃなんだよね。心もなるべく平静にって」
「何人かはできなさそうやけどな」
「あはは」


 思わず笑ってしまう。色んな意味で賑やかな人たちの顔が思い浮かぶ。さすがに身の危険があるんだから静かにしてそうだけども。
 虚化とは、虚の魂魄と元の魂魄が混ざり合うこと。その進行をなるべく抑えるために、霊力の使用を禁止されていた。また、興奮状態は進行を速めるらしく、平静を努めるよう言い渡された。縁側に座ってぼーっとしていたのもそのためである。

 そういえばひよ里は、珍しく話し合いのときずっとおとなしかったな。

 思った矢先、視界の隅に影を捉えた。顔を向けると、外廊下の曲がり角からこちらへ歩いてくるひよ里が見えた。
 無言でずんずんと歩み寄ってきた彼女は、わたしの目の前でぴたりと立ち止まった。見上げるも、彼女はしかめ面で口を尖らせ、斜め下を見下ろすばかりだ。


「……」
「ひよ里?」
「…はあ」


 リサが溜め息をついたと思ったら、腰を上げ立ち上がった。「言いたいんならちゃんと言やあよ」すれ違いざま、ひよ里の背中をぽんと叩いて去っていく。残された二人の間に沈黙が流れる。……。言いたいことが、わかったかもしれない。もっと早く気付けばよかった。


「ひよ里、わたし全然、大丈夫だよ…」
「! ……。……すまん」


 ビクッと身体を跳ねさせた彼女はさらに肩をすくめて、絞り出すような声で謝罪の言葉を述べた。俯く彼女の表情は、罪悪感や後悔の色でいっぱいだった。
 ほんとうに、もっと早く気付くべきだった。ひよ里がこんな顔をしてしまう前に、大丈夫だと言わなければならなかった。ぎりぎりと心臓が痛む感覚。嫌だよ、ひよ里、いいんだよ、あなたが悔やむことじゃあないよ。両手を伸ばし、身体の横で握り締められた二つの拳に触れる。


「怒ってないよ。ひよ里が無事でよかった」
「でもうち、あんたのこと……」
「ひよ里のせいじゃないよ、大丈夫だから、泣かないで」
「なっ…泣いてへんわ!」


 ガバッと顔を上げたひよ里の目は大層潤んでしまっていたし、鼻も赤くなっていたのでバレバレだった。あは、と笑うと、ひよ里は悔しそうに顔をしかめたあと、手を繋いだまま浴衣の袖を目に当てた。そのまま、しばらく肩で息をするひよ里。彼女を見上げながら、目の端がビリビリと痛むのを感じていた。
 きっとひよ里だけじゃないんだろう。六車隊長も白も、仲間を傷つけたことを悔いている。本人の意思でなくとも事実として捉えてしまう。そうしてしまう気持ちがよくわかる。ぽろっと、涙がこぼれた。

「すまん……」俯いたまま、涙声の謝罪を口にするひよ里。
 藍染副隊長、これがあなたのしたことですよ。


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