瀞霊廷に警鐘が鳴り響いたのはその日の夜のことだった。 『緊急招集!緊急招集!各隊隊長は即時一番隊舎に集合願います!!』 『九番隊に異常事態――…』続く伝令が六車隊長と白の霊圧反応の消失を告げる。報告書を読み進めていたわたしの脳にも衝撃が走り、ガバッと顔を上げる。同じ空間にいた隊長と副隊長も例に漏れず、顔を強張らせていた。 「白と六車隊長…?!」 「魂魄消失事件か!」 隊長が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ席を立つ。隊長位の全名招集がかかったのだ。すぐにでも向かうのだろう。思わず立ち上がる。 「行ってくんで」 「は、はい、隊長…」 「…あいつらは殺したかて簡単に死なへんわ」 「安心しい」わたしの机の前を通る間際、頭をポンと撫でる。いつもの優しい手だった。……そうだ、何かの間違いだ。白たちがそう簡単にやられるわけない……。手はすぐに離れ、急ぎ足で執務室を出ていく隊長。さっきまであった手の感触を逃さないように、頭の上に自分の手を乗せた。手が震えている。根拠のないまま膨れ上がる不安に指先が冷えていくのを感じる。白、六車隊長、霊圧の反応が消失するとはどういうことか、わかっているつもりだ。だから怖い。 「生きたまま人の形を保てなくなって消滅した」今朝隊長から聞いた話が頭から離れない。流魂街の家族が消えてしまうのと同じくらい、同僚が死んでしまうことは恐ろしい。血の気が引いていくのがわかる。 ……隊首会では何の話をするんだろう。聞きたい。聞く権利は、ないのか、あるんじゃないか、だって白はわたしの友達……。 「くん?大丈夫かい」 「は、はい!……大丈夫です」 副隊長の声かけに反射的に返すも、全然大丈夫ではなかった。隊首会に行きたい。なんなら白たちに何が起きたのか知りたい。助けたい。思うと居ても立ってもいられない。目に見えてそわそわし出したわたしを、副隊長が心配そうな目で見ているのがわかる。 「…隊首会では今後の方針を伝えられるだろうね」 「そうですよね、なんか、気になってしまって……覗いたりしたら怒られるらしいんですけど」 肩をすくめて頭を掻く。前にリサが隊首会を覗いて京楽隊長に注意されたと言っていた。しかし彼女に反省の色はなく、今でもしょっちゅう覗き見しているらしい。そもそも隊首会の内容が今まで気になったことがなかったわたしは、リサの旺盛な好奇心に苦笑いを浮かべるばかりだったけれど、今なら気持ちがよくわかる。白、白、無事でいて。 「僕は聞かなかったことにするよ」 決め手はその一言だった。ガバッと顔を上げ副隊長を見る。彼は普段通り、書類に目を落としていた。――立ち上がる。 「お…お手洗いに行ってきます!」 椅子をしまう間もなく執務室を飛び出した。一目散に駆けていく。目指すは一番隊舎だ。心臓は嫌な脈を打ち、地に足が着いてない感覚にますます焦燥が膨れ上がる。それでも足を止めることなく、なぜなら脳裏にはお昼の白と六車隊長が浮かんでいて、引き寄せられるように身体は前へ前へと進んでいった。 ◎ 夜は更けていたものの見廻りの死神の姿はちらほらと目に付いた。宿直であればまだ仕事中だろう。 一番隊舎に着くと浦原隊長が駆け込んで行く姿が見えた。隊長は全員呼ばれているので当然だ。彼に気を取られた見張りの目を盗み潜入すると、案外簡単に入り込めた。隊首会の場所は把握しているため、目的地にはすぐに到着し、閉じられた入り口を確認したのち外から周り、窓を探す。 「?」 「! ……リサ!」 見つけた木の格子窓の下ではリサが座っていた。やっぱり今回も来てたんだ、と彼女の存在にホッとする。なるたけ足音を殺して駆け寄りしゃがむ。 「あんたが来るなんて珍しいな」 「気になって…」 「まあな」 リサは傍らに本を置き、隊首会が執り行われている部屋の壁に背を預けた。「ついさっき浦原が来てん。ひよ里を現場に向かわせてるらしいで」その情報にさらに緊張の度合いが増す。白だけでなくひよ里まで、危険な場所にいるというのだ。「続けるぞ」総隊長の声に耳を澄ませる。鳳橋隊長の名前が呼ばれる。 「五番隊隊長 平子真子」 ぎくっと全身が硬直する。――隊長。 続いて愛川隊長が呼ばれ、「以上三名はこれより現地へ向かってもらう」と指令が出た。隊長が現場に行く。リサ曰く、総隊長の判断で隊長格五名を始末特務部隊として現場に向かわせる話になっていたらしい。その人員に、隊長が選ばれたということだ。こんな不透明な状況で隊長が出る。嫌な予感はどこまでも増す。この先どうなるのかまったく予想がつかない。 残りの二名は鬼道衆の大鬼道長、副鬼道長が指名された。名前は存じていたけれど姿を拝見したことはなく、承知の声だけを耳に入れる。 「おーい、山じい」 ふと、京楽隊長の声で話の流れが変わったようだ。彼は鬼道衆の二人を向かわせるのはまずいと進言し、「代わりにうちの副隊長を行かせますよ」と――。 思わず隣を見上げる。リサはいつも通りの横顔だった。いつも通りの横顔のまま、腰を上げる。 「お〜いリサちゃーん」 「何や!」 すぐさま反応し格子窓から顔を見せる。わたしは彼女を見上げたまま頭が真っ白になって、動くことができなかった。 「話は?」 「聞いとった」 「頼める?」 「当たり前!」 「じゃ、よろしく」京楽隊長の頼みに親指を上げ応えるリサ。短い応酬に彼らの信頼が見える。格子窓から離れ、置いていた本を拾い上げるリサ。 「行ってくんで」 「……き、気を付けて……あの…」 声が震える。みんなが行ってしまう。忘れてたわけじゃないけれど、白もひよ里もリサも、歴とした副隊長で、瀞霊廷に何かがあったときに頼りにされる実力者なのだ。有事の際に駆り出されてもおかしくない。頭でわかっていても、一人取り残される孤独感に襲われてならなかった。 「心配しんときゃあ。あたしもひよ里も真子も、白たち連れてすぐ戻ってくんで」 「うん……」 「暇ならこれ貸したんで」 ぽいっと投げ渡されたのは一冊の本だった。リサが持ってる本は何冊かあるけれど、内容は大体決まっている。別の意味で身体が跳ねる。 「いっ…いやっ…?!」 「明日返してもらうから持っとき。ほな」 返却の声も聞かずリサは駆け出した。あっという間に見えなくなり、呆然とする。……これ、あれだ、絶対いかがわしい絵本だ。持つに持てず手のひらの上に乗せた状態でうろたえてしまう。まさか開くことなんてできない。 「?」 「?!」 慌てふためいていると背後から名前を呼ばれた。振り返ると、隊長がいるではないか。リサからの借り物で一瞬頭から吹っ飛んでいた。隊首会は終わったんだ。隊長はこれから現場へ向かう……。 「リサとおったのバレバレやで。隊首会覗き見なんて珍しいな」 「あっ…」 そうだ、わたし隠れてる身だった。「そない似合わんモン持って、何してん」呆れ顔で指を差す先、わたしの手の上の本に目を落とす。慌てて背に隠す。 「あのこれは…!」 「わかっとるわ。…俺もすぐ行くから、おまえは惣右介に声かけたら帰ってええからな」 「…は、はい…」 結局自分は何をしているんだろう。あのまま執務室にいた場合と何か変わったんだろうか。不安は増幅するばかりだ。白、ひよ里、リサ、そして隊長までも、危険な任務に駆り出される。わたしは待つことしかできないのに。 行かないでほしい。こんなことを思うのは身勝手だ。わがままだ。決して口にしてはいけない。 「……隊長も、お気をつけて、いってらっしゃい」 「おォ。おやすみ、」 頭をポンポンと撫で、去っていく隊長。……隊長、わかってそうだったな。 わたしも、わかった。たぶん、行かないでほしいじゃないな、これは。わたしも一緒に行きたい、だ。 背中に隠した本を握る手に力が入る。嫌な夜だ、本当に。 |