力が入らず崩れ落ちる。地面に倒れるのもいとわず前へ身体を傾けると、誰かに受け止められた。肩を支えられた拍子に仮面が外れ、カランと音を立てて足元に落ちる。誰が受け止めてくれたのか、わかっていた。けれどまぶたが異常に重くて開けていられない。声が出せない。汗まみれ血まみれで目も当てられないのに取り繕えない。


「よォやったな。お疲れさん」


 そんな労いの声を最後に、意識を手放した。





 目が覚めたのは昼過ぎだった。みんなはとっくに昼食を食べ終えたらしく、午後の虚化維持訓練に向かったらしい。わたしは今日は霊力回復に努めて明日から参加しろとのお達しだった。という話を、寝室の正面の縁側に座って待っていた隊長から聞いた。


「昼飯の分残ってんで。食うやろ?」
「はい…」


 腰を上げ目の前に立った隊長は目尻を下げ優しく笑っていた。わたしの傷はほとんど治療されており、着替えや身だしなみも整えられていた。誰がやったんだろうと考えたけれど、リサたちがやってくれたに違いないと思い込むことにして、間違ってもこの人の手が加わったとは考えないようにした。想像するだけで恥ずかしくて死にそうだ。
 地上の屋内には誰もおらず、浦原隊長たちの姿も見えなかった。無人の静まり返った家を二人で歩いていくと、なんだか不思議な感覚になる。広間に着き、蝿帳を被せた昼食の前に座る。隊長がお茶を淹れてくれ、ありがたく頂戴する。座卓を囲うようにわたしの九十度左に座った彼は昼食を済ませてあるらしく、自分の分の湯呑み以外何も置いていなかった。箸を取り、いただきますと手を合わせる。


「あ。腹大丈夫か?でっかい痣できとったて聞いてんけど」
「そ、そうなんですか?全然痛くないです」


 咄嗟に左手を横っ腹に当ててみるけれど傷も痛みもなかった。よほど重傷だったのか、有昭田副鬼道長に治療してもらったのだろう。と、同時にわたしを診たのが隊長ではないとわかりホッとする。ならよかったわ、と隊長も肩の力を抜いた。


「リサたちもおまえのこと心配しとったけどなァ、俺だけ残れ言うて気ィ利かせてんねんで。天変地異かと思たでほんま」
「そうなんですね……お待たせしてすみませんでした」
「ええよ」


 ゆるりと笑って返した隊長はそれから斜め下、何もない卓上へと目を落とした。口角は下がって表情は神妙に、何か楽しくないことを考えているようだった。「ええねん、そないなこと」呟くようにこぼれた台詞に、思わず口を開く。「たい、……」けれど一番に出てきた二人称に閉口してしまった。何を言おうとしたのか、もうわかっている隊長はわたしを一瞥したあと、再び目線を落とした。


「ここに来てからずっと考えててん。おまえがここにおることをどう受け止めるべきか」


 ふっと心臓が浮く感覚。途端に、身体のすぐ内側に薄い膜が張られたように触覚が鈍くなる。正座をする足や箸と食器を持つ手、今着ている服の感触がわからなくなる。にもかかわらず、首元に刃物を当てられているような、身動き一つ取れない恐怖に襲われる。まるで、今から悲しいことを言われる気がした。


「おまえをこないな目に遭わせるためにそば置いとったんとちゃうんに、守るつもりがこのザマでほんまどうしようもない男や思ててんけど」
「……」


 顔を上げる。左に座る隊長は依然悩ましげに表情を曇らせていた。けれど、一瞬感じた嫌な予感は、消え失せていた。


「けど、いくら俺のせいで巻き込んだゆうても、昨日も今日も、明日も俺んとこにおまえがいてる思うと、無条件で安心すんねや」


「ほんまはおまえの不幸を哀れんだり罪悪感に押し潰されへんとあかんのに全然や。悪かったとは思てるけど全然。おまえの責任なら何背負ったって構わへんから全然つらないねん。ローズに大変やなて言われてんけどなァ、そう思わなあかんねんなて思ても全然やった。それよりここにがおってよかったにしかならへんねん。もし尸魂界に残してって、誤解されて恨まれたり忘れられたりしたら敵わん。ほんましょーもない奴や。おまえつらい思いしてんのに」滔々と独白を語る隊長に、一つ一つ違うと言ってあげたい気持ちになる。あなたのせいじゃない。あなたが気負う必要はない。わたしが、わたしのことを必要以上に心配してくれるあなたの心をこそ軽くしたいと思っていることを、知らないのだろう。


「……すまんなァ。俺いま、おまえ幸せにしてやる自信あらへん」


 おそるおそる、息を吐く。目の端が熱い。鼻がツンと痛む。
 もし残されていたらどうなっていただろう。隊長や友人は朝になっても帰ってこず、浦原隊長の実験台となった彼らは虚となり消えたという報告を受ける、その衝撃と絶望は想像だけで気が狂いそうだ。絶対に嫌だった。
 ボロッと涙が落ちた。止まることなく二つ、三つと座卓に落ちる。手のひらでぬぐい、ズズッと鼻をすする。「わ、わた…」嗚咽が混じってちゃんとしゃべれない。でも言わないと、隊長の憂いがお門違いって言わないと。


「わたしも、ずっと、ここにいられてよかっ……て……いきなり離れ離れにならなくて、本当に……」


 ひくっと肩が跳ねる。泣きのツボに入ってしまったのか、深い悲しみを感じているわけでもないのに涙が出てくる。呼吸も震えて落ち着いてできない。みっともなくて余計焦ってしまう。
 ふっと隊長の手が伸びてきて、背中を撫でる。あやすような手つきが優しくて、ひどく安心した。

 ここにいられてよかった。置いてかれないでよかった。隊長の責任もよそにずっと思っていた。思ってもいいんだって、隊長が言ってくれた。

…」隊長が何か言いかけたタイミングで、遠くから足音が聞こえてくる。複数のそれは次第に大きくなり、ついに真後ろの障子が勢いよく開いた。


起きたっ?」


 白の声だ。背中を撫でていた隊長が固まったのがわかる。こんなとこ見られたらどうなるか、瞬時に察したのだろう。しかし、わたしも咄嗟に俯いたら不審に思われてしまい、「ん?」怪訝な背後の気配が右からわたしの顔を覗き込んだ。


「あーーっ泣いてる!真子が泣かせた!」
「あん?」
「ゲッ」


 ひよ里もいたらしい、凄むような声に隊長の手がバッと離れる。「コラァ!!休むよう見とけ言うたやろ!なに泣かしてんねん!」胸ぐらを掴まれた隊長を追うように振り向くと、ひよ里の後ろにリサも立っていたことに気付いた。「俺らも色々あんねや!口出さんといてもらえますー?!」「今やなくたってええやろ!内在闘争のあとで疲れてんねんぞ空気読めやハゲ!!」「こっちの台詞やボケェ!オマエらなんで戻ってきてんねん邪魔すなや!」「休憩中やボケ!!」彼女は取っ組み合いの喧嘩になった二人には目もくれず、ふうと一つ息をついた。


「よかったな、泣かせてもらえて」


 鼻をすすり、頷く。「……うん」最後の涙がほろっと頬を伝った。それを指の腹で払ったら、自然と笑顔になれた。


17│top