「破局寸前て感じやな」


 部屋の入り口に立つリサへ顔を上げる。

 朝食を取り終えると約一時間後に修行が始まるので、それまでの間は各々外を歩いたり部屋でのんびりしたりとすきに活動していた。生活サイクルが同じなのはわたしを含めた八人で、浦原隊長はわたしたちが修行の段階に入った頃から完全に別行動を取っており、研究部屋は灯りが点いていたり真っ暗だったりとまちまちだった。鬼道衆の二人は片や浦原隊長の補佐、片や虚化制御の修行が加わり生活サイクルがややこしいことになっているようで、修行のとき以外ほとんど姿を見ることはなかった。
 有昭田副鬼道長とは面識がなかったものの、修行の組が同じなため休憩中に話すようになった。彼曰く、結界は術者が常に霊力を使わなくとも維持できる術式を組んだため、睡眠時間はちゃんと確保できているとのことだった。有昭田副鬼道長は虚化訓練もかなり順調で、コツや感覚をよく聞いたりしていた。他にも同じ組の鳳橋隊長や愛川隊長にはお世話になっているし、夜間待機の班が同じ六車隊長とはよく話していた。今まで私的な付き合いではあまり関わらなかった人たちとたくさん話すようになり、不思議な生活をしていると常々思う。

 そんな中、平子隊長とだけは常に透明な壁が隔たっていた。

 それをリサも気付いたのか、女性用の寝室で一人ぼーっとしていたわたしに声をかけてくれたらしい。内容は縁起でもなかったけれど、そういえば以前彼女は破局寸前の喧嘩をしてみるよう促していたな、と思い出す。


「破局しないよ」
「しないのにそない余所余所しいん。なんや、もしかしてあたしらの見てないとこでやらしいことして気まずいん?」
「してないよ?!」


 突拍子もない憶測に思わず大きい声を上げてしまう。それから我に返り、はは、と笑いが漏れた。冗談を思いっきり否定してしまった。余裕がない証拠だ。リサだってまさか本気で思ってるわけがない。
 現世に逃げてきてから、破局寸前の喧嘩どころか、必要以上の会話をしていない。もちろん避けてるわけではないし、険悪なわけでもない。何かあったら声をかけてくれる。なにより、言葉を交わさずとも、多分隊長はわたしを気にかけてくれているのだ。自惚れといわれてもわかってしまう。それが、ひたすらに申し訳なかった。


「何もしてへんかったらこないなとこに一人でおらんやろ。修行中に浮かれてたら引っ叩いたるけど、それ以外んときはすきなことしやあ」
「…ありがとう…」


 リサの気遣いにお礼を述べる。なんだかんだ世話を焼いてくれる彼女がありがたかった。きっと本当に隊長と喧嘩しても、こうして声をかけてくれるんだろうと思える。
 今朝も隊長は朝食を食べ終えると、鳳橋隊長たちと一緒に広間を出て行った。話を盗み聞いた限りでは気分転換に街へ繰り出しているようだけれど、自由時間に声をかけられたことは記憶にないし、わたしも何かに誘ったことはなかった。肩をすくめ、膝を曲げて足を抱え込む。


「自分の非に心当たりがありすぎて、今はたい、…一緒にいたいと思うのが申し訳ない」
「非?」


 そう、すっかり駄目だった。いろいろなことが駄目すぎて、一緒にいたいだなんて甘えたことを言う資格はないのだ。彼を呼ぶ言葉が見つからない。みんなより弱い自分がうつつを抜かしている場合ではない。なにより、あの晩、藍染副隊長の変事を伝えようと特務中の隊長の元に行ってしまった。そしてそれをまったく後悔していないことが、最大の非だった。

 にもかかわらず、隊長は、わたしがここにいることに責任を感じているというではないか。浴衣の裾をぎゅうと握り込む。滔々と連ねるわたしにリサは黙って聞いていた。こんなに申し訳なく思ってるのに、隊長と、みんなと同じ苦しみを味わえてよかったとも思う。どっちも本心なのだ。今のわたしが、一体どんな顔して隊長と話せるだろう。


「それ本人に言ってみやあよ。真子大喜びすんで」
「しないよ!隊長今大変なのに、わたしのこと気にかける余裕いらないよ。そんなことするなら少しでも休んでほしい」


 隊長は今、色んなことに気を張って頑張っている。ずっと、責任を感じて思いつめた顔をする隊長を見ていた。危うささえ感じていた。無茶しないでほしい。この内なる虚があなたの魂にも巣食っているのならなおさら、危ないことをしないでほしい。
 でもそうしないと事態は好転しないばかりか悪化してしまうのだとしたら、解決策のないわたしがとやかく言う資格はない。隊長を前にしてもきっと何も言葉が浮かばない。無力め、ずっとそうだ。


「…だからわたしは、今は黙って、隊長たちの判断に従うよ」


 立ち上がり、畳んだ布団の横に置いてある着替えに手を伸ばす。食休みもほどほどにして、先に地下の訓練場に行こう。虚に呑まれない程度に霊力を使って修行をするのだ。リサも来るかな。一緒に来てくれたら、心強いのだけれど。


「あんたが決めたんならええけど」


 振り返ると、リサも立ち上がり帯に手をかけていた。着替えを始めるようだ。みんな修行では動きやすい袴に着替えるのだけれど、リサは袴が気に入らないのか裾をジャキジャキ切って太ももが見えるくらい短くしていた。死覇装もそのくらいの長さにしていたので、彼女のこだわりなのだろう。
 なんとなく後ろを向き、帯を解く。浴衣の前を開く。……リサもひよ里も白も、距離感がちょうどよくてすきだな。


「心配かけてごめん。結構元気だよ」
「そう」


「さみしなったら、あたしらが相手したんで」後ろから聞こえる台詞に、もう一度お礼を言う。自然と笑えていた。本当にわたし、ここにいられてよかったな。

 部屋を出て地下室に向かう廊下を歩いていると、平子隊長と鳳橋隊長が戻ってきたようだった。二人は袴を着ているので時間になったらそのまま地下へ行くだろう。隊長と目が合い、迎えのあいさつをする。


「おかえりなさい」
「おォ。ただいま」


 口角を上げる、笑顔を作らせているんだと思う。彼の心情を推し量るとよくわかってしまう。自分で言ったことだ。隊長は藍染副隊長や虚化の制御のことで余裕なんてないはずなのに、恋人であるばかりにわたしを気にかけないわけにはいかないのだ。申し訳ない。本当に申し訳ないから、せめてこれ以上悩みの種にならないよう、邪魔にならないようにひたすら自分のやるべきことをする。だから心配しなくても大丈夫ですよ、隊長。


「二人もう地下行くん?」
「はい。今日も頑張ります」


 よかった言葉出てくる。


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