夢で聞こえていた声の主が虚だと気付くのは簡単だった。
 浦原隊長から聞いた虚化の話と合わせれば容易に察せる。夢の世界でのわたしは死覇装を身にまとった死神の姿をしており、ひとりぼっちだった。初日に聞こえた平子隊長の声は次の日から聞こえなくなった。得体の知れない恐怖に足がすくむ。あてにできるのは腰に差した斬魄刀くらいなもので、いつもそれに縋りながら逃げる。
 いつしか、声だけでなく姿まで見えるようになっていた。毎回舞台の変わる夢の中、物陰に隠れ息を潜めてそいつを盗み見たことがある。相対した虚の面に見覚えはなく、わたしが倒したことのある虚じゃないことは確かだった。黒い四つ足の胴体に円い仮面をつけている。虚の中には仮面だけで威圧感を放つ者もいるけれど、これに限ってはちっとも怖いと感じなかった。
 とはいえどうすることもできず今日も逃げまわるばかりだ。森の奥深くへとひたすら走り続ける。後ろから、名前を呼ばれてるような気すらする。嫌だ来ないで。
 木々の開けたところでは、平子隊長やリサたちが倒れ伏していた。またあの夜がやってきた。察した途端、背後から虚の気配を感じる。斬魄刀に手を掛け振り返る。


「――…!」


 開いた目は真っ暗な天井を映していた。目が覚めたのだ。心臓はバクバクと脈打ち、息が上がっている。額も汗ばんでおり、しばらく金縛りにあったように手足が動かせなかった。
 またあの夢だ。現世にきてから毎晩、必ず虚が夢に出てくる。どんなに楽しい夢を見ていてもそいつが現れた途端逃げ惑うことになる。まだ距離があると思っていたのに日に日に近くまで来ている気がする。いよいよ迫る危機感に、ぶるっと身震いした。
 起き上がり、変化のない自分の身体を確認して安堵の息をつく。隣に眠る白に目を落とすと、彼女の掛け布団がわたしの方に寄っていた。彼女へ掛け直し、音を立てないよう布団を出る。もう寝付ける気がしなかった。壁掛け時計は十二時を差している。交代まであと二時間あるけど、今日はこのまま起きていよう。
 離れたところではひよ里も熟睡中だったので、起こさないよう忍び足で部屋を出る。外廊下は月明かりが差し込んでおり、思ったより明るい。ここ最近は夜中に起きる生活になったので慣れたものだ。とはいえ今まで起床時間より早く起きたことがなかったのでどうしたものかと思いながら、足は自然と広間に向かっていた。男女の寝室から一番遠いのと、ほかの人たちが睡眠をとっている間はもっぱらそこで待機していることが多いから、そういう感覚だった。

 襖に手をかけようとして、ふと止める。今の時間、隊長が起きてるんじゃなかったか。


?」


 ビクッと肩が跳ねる。部屋の中からじゃない。外廊下の向かいから歩いてきた隊長に、わたしの身体は大げさに硬直してしまった。最大限殺した足音で歩み寄るその人の顔が見られず、顔を向けても足元へ視線を落とすことしかできなかった。


「こ、こんばんは…」
「こんばんはて、まだ交代の時間やないやろ。どないしてん」


 隊長の疑問の声に口を開いて、すぐに閉じる。言葉が出ない。

 同じ民家を拠点にする十一人のうち、結界維持のため独立したサイクルで休息を取っている鬼道衆の二人と虚化の研究を進める浦原隊長を除いた八人を男女混合の三つの班に分け、夜間のみ交代で見張る体制をとっている。班ごとに三時間ずつずらして睡眠をとっているため、わたしたち第一班が起きてから、入れ替わりで第三班の平子隊長と鳳橋隊長とリサが休むことになっている。見張りの意義は外敵からの警戒というより、睡眠中の人に変化が起きた際迅速に対処することにある。いつまた虚化が始まってしまうかわからないための対策だった。

 そのため、平子隊長とは睡眠時間が入れ違うものだから、ここしばらく会話をしていなかった。…いいや、昼夜問わず、ここに来た初日以来ほとんど会話していない。


「…いえ、特に何かあったわけでは…」
「そか。今リサがハッチんとこ様子見に行ってん。ローズもすぐ戻ってきよるから、こっちおってもええけど」
「い、いえ、大丈夫です。あとちょっと寝てきます」
「おォ。その方がええ」


 依然顔は見られず、ぺこっと会釈をしておもむろに踵を返す。
 わたしだって、隊長と話したいことは、色々ある。けれど何も言えない。だってどうしたらいいのかわからない。


(隊長……)


 わたしたちは虚として処分されるところだった。現世に逃げたことがばれているのか不明だけれど、少なくとも今瀞霊廷にわたしたちの居場所はない。護廷隊での身分は剥奪されたのだ。

 つまり、隊長は、今もう隊長じゃない。なのにどう彼に呼びかけたらいいのか、それすらわからなかった。


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