回覧物として回ってきた通知で、他隊で席官の異動があったことを知る。隊から隊への異動はよくあることで、二つの隊であった詳細な取り計らいは不明なものの、突然あそこの席官があっちの席官になった、なんて話はざらだ。今回異動して空席になった三席の座には四席が就くらしい。これも順当だ。異動先の元三席がどなたか存じ上げないけれど、休隊か何かだろう、と思っておく。


「……」


 連想するのは自分の立場だ。隊長の慈悲で三席に就いたと知った今、それをどう受け止めるべきか悩んでいた。自分に三席の実力がないことは重々承知しているし、ひよ里たちにも言われたから謙遜でもない。更には下にいる市丸くんの方が間違いなく強いのだ。任務報告書に彼の名前を見ない日はないと言っても過言ではないほど、市丸くんはうちの主力として数えられている。任務の難易度も軒並み実力者が配置されるものばかりだ。小隊長のくせに報告書の作成者がなぜか毎度他の人なものだから余計印象に残っていた。

 そう、だから、三席の座を市丸くんに明け渡すべきなんじゃないか。謹んで辞退し、市丸くんを昇格させるのが本来の形なのでは、と思ってしまうのだ。

 もちろん、この居場所が居心地悪いかと聞かれたら首を横に振る。五番隊は入隊前に抱いていたイメージと、良くも悪くも違った。隊長は嘘をつくしダル絡みしてきてめんどくさいけれど部下をよく見てくれるし、真面目で何でもできる副隊長がいる執務室は適度な緊張感があって集中できる。いい職場だ、と思う。わたしが実力に見合ってさえいれば、こんなこと考えなかっただろう。


「三席さん仕事早なったなあ」


 突然降ってきた声にハッと我に返る。ずっと書類を見ていたようだ。俯いた視界の上あたり、机の前に立つ人物が意識の中に入る。顔を上げる。


「…あ、市丸くん」
「どーも」


 四席の市丸くんだった。いつの間に来ていたのか、問うより先に彼はわたしの手から書類を抜き取り読み始めた。
 微妙に気まずいなと思いながら別の書類に手を伸ばそうとして、ふと気付く。今日はまだほとんど仕事に手をつけていない。市丸くんはわたしが一枚の書類をずっと見ていたところしか見てないはず。にもかかわらず、さっきの台詞は、……嫌味を言われたのか。
 嫌な気分になり眉をひそめる。市丸くんの意地悪な言い回しはすきじゃなかった。加えて席次の後ろめたさもあるから、彼とは知り合って三年経った今でも、大して親交を深められていなかった。


「へー、あそこ変わるん」
「知ってる人?」
「全然」


 即答しわたしに通知文を返す。このあと副隊長に回すため、それ用の書類に重ねる。隊長は今朝の隊首会で不在だ。市丸くんが来るまで、副隊長と二人でここを切り盛りしていたのだ。厳密には市丸くんは事務仕事をしないので、今も二人で切り盛りしているのだけれど。その副隊長は今も黙々と書類整理をしているようだ。通知文はあとで渡そう。居住まいを正すように椅子に座り直す。
 藍染副隊長と市丸くんと、三人でいるのが苦手だった。藍染副隊長は、いい。市丸くんも、まあいい。この二人が揃ってしまうのは駄目だった。揃って、しかもわたしが一人なのがさらに駄目だった。居心地が最高に悪くなる。藍染副隊長が市丸くんに目をかけているのを知っているから、押しのけて三席になったことがこの上なく申し訳なくなるのだ。自分が隊長の推薦で昇格したことを知ってからずっとだった。


「…市丸くんさ、やっぱ三席になりたいと思ってるよね」
「何急に?思うてるよ。そやけど三席さんおるから無理やもん」


「そうだよね。ごめん」俯いて頭を掻く。予想通りの答えにダメージを食らうという愚かさよ。今隊長いないから聞くチャンスだと思ったのが馬鹿だった。自分で自分の首を締めてどうする。「くん?何か悩みでもあるのかい?」話が聞こえていたのか、副隊長が心配そうに声をかけてくれた。気にかけてもらって申し訳ない、けど、今さらどう引き下がればいいのかわからない。


「あの、副隊長は三席に市丸くんを推薦されたんですよね。わたしなんかが就いてしまって、む、むかつきませんでしたか」


 自分で言うなってな。目を見られず机の上に置いた自分の手元を視界に入れる。そのため、副隊長がどんな顔をしているのかわからなかった。


「自分の希望通りにいかなかったからといって必ずしも不満に思うとは限らないさ。事実、くんはここでとても力になってくれているだろう。ギンは現場で力を発揮するから、むしろこの形に収まったのは正解だと僕は思っているよ」


 声音はずっと、わたしを落ち着かせるように諭す、ゆったりと、深い海のようだった。だからわたしも、返す言葉がすらりと出た。「ありがとうございます…」優しい言葉に胸が少し軽くなる。本心はどうであれ、すらすらと言えるということは少なからず現状を受け入れてくれているということだ。副隊長に疑心があったわけじゃないけれど、はっきり言ってもらえてよかった。


「まだそないなこと気にしてたん?もう三年も経つのに」
「悪かったね」
「気にしいやね三席さん」


 細い目と笑みを浮かべた口元は通常運転だ。きっと周りの目とかどう思われてるだろうとか少しも気にならないんだろうなこの人。


「市丸くんはほんと大物になるだろうね。隊長も言ってたけど、空きが出たらすぐ副隊長とかなっちゃいそう」
「平子隊長が言っていたのかい?」
「あ、はい」


「…そうか」副隊長が神妙に返事をする。それを自分の席から見ていた。目を伏せ、口角はほんの少し上がっていたと思う。含みのある笑みだ。思った瞬間、ぞくっと背筋が粟立つ。副隊長の目線が上がるより先に逸らす、と、今度は市丸くんからの視線を感じ、おそるおそる顔を上げる。いつも通り感情の読めない笑顔だった。


「ねえ三席さん、今度一緒に任務しよ。楽しそうやわ」
「…え」
「ねえ副隊長、ええですやろ?」
「平時の決定権は隊長にあるから、直接言いなさい」
「なんや、つまらん」


 市丸くんの突拍子のない誘いに目を丸くする。今まで彼とこんな会話をしたことがないので動揺してしまうのだ。元から市丸くんのことを底知れない男の子だと思っていたので、彼の意図を探ることが難しかった。何を考えてるんだ。


「まあでも、ボクおったら隊長さんも許可してくれるやろ」
「? どういう…」
「五番隊で三番目に強いボクがおったら三席さんが危ない目に遭う心配もないから、過保護な隊長さんもええよって言わはるやろ」


 市丸くんの言葉に、次第に指先が冷たくなっていくのを感じる。頭の血の気が引いていく。まるで、恐怖や、羞恥や、怒りに脳が支配されたみたいに、声が出せなかった。身体の中がぐるぐる回ってるみたいに気持ち悪い。市丸くんはいつも通り愉快げな笑顔を浮かべていた。にもかかわらず、氷点下のような冷たさを覚える。

 さらに恐ろしかったのは、副隊長までも口を出してこなかったことだ。市丸くんを諌めることも、わたしをフォローすることもせず、彼はただ黙っていた。どんな表情をしていたかは見る余裕がなかった。彼らの本音を垣間見てしまった、と直感した。頭の中に四面楚歌の言葉が浮かび、消えない。


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