急ぎの承認案件なので持ち回りで瀞霊廷内を歩き回らないといけなかった。十三名の隊長全員の承認が必要なため、隊舎にいる方々を掴まえては一人一人に事情を説明し、署名をもらう。立地的に近い隊舎から攻めているものの不在の隊は後回しにしたのでまた夕方訪ねるところが数件ある。でも今のところ全員今日中には戻ってくるって言ってもらえてるから、期限には間に合いそうだ。
 ホッと胸を撫で下ろしながら、次に到着した隊舎の敷居をまたぐ。隊長格と対峙するのは平子隊長以外誰であっても緊張するのだけれど、ここには特別仲のいい友人がいるので安心だった。執務室に行くのも慣れたものだ。開けっ放しの扉を叩き、中を覗き込む。


「失礼します」
。どないしたん」


 机上に目を落としていたリサが顔を上げる。クイッと赤縁の眼鏡を指で押し上げ、やや鋭い眼光がわたしを捉える。今日も細めのおさげが可愛い、八番隊の副隊長である彼女はわたしの数少ない友人だ。入室しながら、「持ち回りで隊長の署名をもらってて」と紙挟みを見せると納得してもらえたらしく、ああ、と椅子を引いて立ち上がった。


「ウチんとこ、今おらんよ」
「やっぱり?」


 苦笑いで肩をすくめる。部屋を覗いた時点で京楽隊長のご不在は明らかだった。それでもちょっと席を外してるだけとの回答を期待したのだけれど、リサの端的な返事で脆くも崩れ去る。ちなみにと戻りの時間を聞いてみると、「いつになるかわからん」とのこと。八番隊も再訪問だなあ。
 彼女はスタスタとこちらに歩み寄り、わたしの手から紙挟みをひょいと取り上げた。数秒目を通す。


「あたしが代わりに書いたろか」
「隊長案件なもので」
「そう」


 言ってあっさりそれを返すリサ。受け取り、六ヶ所ほど空欄のある書類に目を落とす。いないと言われてるのが八番隊含め三箇所。残り三箇所回らないといけない。「他んとこも回るん?」「うん」「ならあたしも手伝ったる」「えっ?」思わず顔を上げると、リサはわたしの横を通り抜け、執務室を出ようとしていた。慌てて踵を返す。


「えっ、リサ、手伝うって」
「丁度休憩したかってん。付き合うたる」


 一緒に来てくれるってことか。書類は一枚に集約されるから二手に分かれることはできないし、効率的な手伝う手段がないのは百も承知だ。でも、持ち回りのための移動時間がもったいないと思っていたのでリサがいてくれるというのは純粋に嬉しかった。隊舎を出、並んで歩く。次は二番隊だ。


、最近新しい銭湯できたの知っとる?」
「ううん。できたの?」
「結構評判みたいやで。銭湯の周りに店ぎょうさん建てて、現世の温泉街を真似た言うて」
「えー気になる。リサもう行った?」
「まだや。今度休み合わせて行こうて白と話してん。ひよ里も誘っといたから、あとあんただけやで」
「行く行く!やったー!」


 歩きながら飛び跳ねてしまう。やったー、楽しみだなあ!九番隊の白と十二番隊のひよ里を含め、仲良しな友人が揃っての銭湯なんて心踊る以外の何物でもない。思わぬタイミングで遊ぶ約束ができて嬉しい。それにしても、温泉街ができたなんて知らなかったな。瀞霊廷は広いし、いつもいろんな場所で新しい建物ができるから把握が追いつかないのだ。流行りは大体現世から取り入れられるので、建造物もどんどん現代的になっていく。昔より今の方が壊れにくい造りになっているらしいし、いいことだ。いつか木や漆喰を使った家屋がなくなってしまうと思うと寂しい気もするけど、現に現世ではレンガとかいう石でできた建物が建ち始めたらしいではないか。最近は向こうでゆっくり街並みを見る機会が減ってしまったので、あまりよく知らないのだけど。


「平子隊長じゃあないけど、やっぱ現世のものって興味湧くよね」
「真子……あーね」


 リサもよくよく存じ上げているのか、遠くを見るような眼差しで肯定した。それから、おもむろにこちらに顔を向ける。わたしを射抜くような神妙な眼差しに、思わずどきっとする。美人に見つめられると照れるなあ……。


、真子のことキショくないん?」


「えっ?!」予想外の問いかけに大きな声を上げてしまう。素っ頓狂なそれが空まで響いたような錯覚に陥り焦るも、聞こえたのは目の前のリサだけだったようだ。人通りがなくてよかった。ホッと胸を撫で下ろし、それから険しい表情を浮かべてしまう。……聞き間違い?今なんて?


「き、気色悪いかって、言った?」
「言うた。なんや、あんた平気なん」


 リサがどういった意図でそんな質問をしたのか、皆目見当もつかなかった。彼女は誰といてもツンとしているけれど、平子隊長とはどちらかというまでもなく親しい仲だと思っていた。顔を合わせたらしゃべってるし、相手が隊長だろうと物怖じしないのでお互い気兼ねない印象があったのだ。それは今も変わらない。
 でも、もしかしたら表面上だけで、内心気色悪いとか思ってるのか……今までちっとも気付けなかった。気付けなかったことにちょっと唖然としてる自分がいる。


「リサ、平子隊長のこと……」
「あたしはキショいとは思てへんけど」


 あっけらかんと返すリサへ顔を上げる。取り繕ってるようにも見えない。そもそも、彼女が歯に衣着せて物を言うことが今まであっただろうか。リサが平子隊長に直接そんなことを言ってる姿は見たことがない。自分の隊長にすらタメ口を利くツワモノのリサが、今さら平子隊長相手に言葉を躊躇うなんて、限りなく有り得ない気がする。だとしたら、そもそもこの質問は一体……。


「……わたしも、気色悪いとかはないかな…腹立つときはあっても」
「へえ、そ。ならええけど」


 一応自分の所感を述べてみたけれどあまり参考にならなかったようだ。欲しい回答と違ったのかなと頭を掻くものの、かといって隊長に対してそっち方面の後ろ向きな感情を抱いたことはないので答えに窮してしまう。
 今持ち回ってるこの案件に関しても、今朝わたしが期限を見落として放置していたことに気付き慌てていたら、隊長は必要以上に咎めることもなく、今からでも全然間に合うと送り出してくれたのだ。ああいうところ本当にありがたいと思う。やっぱり考えても、本当に、ないなあ…。

「よう隠してんねな」前を向いて呟かれた言葉はちゃんと聞こえていたけれど、どういう意味かわからなくて首を傾げるしかできなかった。


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