その日は満月だった。あいもかわらず村落を中心とした警戒に当たっていると、ついに標的の虚を探知した。当初の見込み地点から大幅に逸れ、警戒範囲ギリギリの座標だった。森の奥深くにそいつは現れ、駆けつけたときには一体の整の魂魄を取り込んでいた。それ以外周囲に保護の必要な魂魄はなく、躊躇うことなく斬り込む。
 腕を切り落とし、脚を切り落とし、最後に仮面を真っ二つにして戦闘は終了した。所要時間は約十分程度だったか。事前の情報通りの能力を持っており厄介ではあったが、思っていたほど手こずりはしなかった。

 ともかく、これで任務終了か。斬魄刀を鞘に収め、ふうと息を吐いて肩を鳴らす。それから、迷わず踵を返した。穿界門を開く前にに別れを告げようと思ったのだ。夜はもうすぐ更ける。眠る前に顔を見て、この十日間の礼を伝えよう。おまえがおったから退屈せえへんかった。楽しい時間を過ごさせてくれておおきに。そういえば今日までそういった類のことは言ってこなかったと思い至る。しょーもない話に花を咲かせるのが楽しくて、辿り着かなかったのだ。まあそれも最後に伝えたらええやろ。終わりよければすべてよし言うやつや。

 上から行った方が早いと判断し、足場を作りながら駆けていく。いきなし今日帰る言うたらあいつ、どんな顔すんねやろ。驚くか、悲しむか。何にせよ少しでも惜しんでくれたらええ。一応誰にも言わないように口止めはしておくか。俺も誰にも言わへん。この十日間は二人だけの秘密や。

 そういや聞いたことなかったけど、の歳の頃ならそろそろ嫁に出るんとちゃうか?嫁ぎ先とか、もう決まっとったら、相手の男の顔を見てみたい気もする。ブサイクやったら笑ったる。二枚目やったら、なんやおもんないな。
 気が付くと彼女の人生に首を突っ込もうとしている自分に自嘲が漏れる。たった十日、ときどき会話した程度でこんな入れ込むんは死神としてどうなんやろ。べつに俺、大して共感力高ないねんけどなァ。

 けどのそばが落ち着くのは確かだった。

 だからせめて俺がいる間は守ってやろうと思った。の霊力は虚の格好の餌食や。今はまだ良くても、この先もっと高まったり、都会に出たりしたら間違いなく狙われる。周囲の虚の気分次第では今でも十分危険はある。駐在の死神が助けてくれればいいが、人間の魂魄一人を気にかけるほどの余裕はないし、そこまでするほどの類い稀なる霊力というわけではない。だからこれは俺の勝手な決め事だった。





 違和感は、村落に近づくにつれ察知していた。の霊圧が不安定になっているのだ。この揺れの原因は一つしかない。魂魄の、存在自体が危ういのだ。


!」


 彼女は家の裏手にある薪置き場の陰に倒れていた。うつ伏せの彼女に駆け寄りそばに膝をつく。後頭部から血を流しており、辺りは血の海だった。こちらに向いているの顔からは血の気が失せている。意識はなく、魄動からしてすでに瀕死の状態だった。
 虚か。一番に思い浮かんだのはそれだった。俺は守れなかったのか。今もなお流れる血に現実から目を背けたくなる。周囲に人の陰はない。俺がの家族を呼びつけるのでは間に合わない。……は助からない。
 目の前に広がる絶望に打ちひしがれはしたが、すぐさま我に返り状況を打開する手立てはないかと辺りに目を向ける。と、の足元に転がる大きな石が目に入った。両手でやっと持てそうな大きさのそれは、満月に照らされ、一部に血が付着しているのがわかった。

 その瞬間、頭の中で何かが弾けた気がした。改めて慎重に霊圧探査をすると、虚らしき霊圧は一つも探知できなかった。そもそも、の魂魄自体はまだここにあり、虚が喰らった形跡はない。ということは、を殴ったのは人間か?

 ……いや、だから何やねん。守れなかったんはおんなしや。一つも良くない。自分の罪悪感物差しにの死を図るな。
 頭は冷静かと思っていたが、情けないことに手が震えていた。怖々との背に触れる。体温はすでに奪われ始めていた。懸命に生きていた人間の命が奪われる。こんな形で。


「……」


 手を離し、地面につく。死神の自分にこんな喪失感はお門違いや。罪悪感に苛まれるのも勝手な話。そんな資格すらない。
 俯く視界の中、握り込んだ自分の手に誰かの手が重なった。反射的に顔を上げる。


?!」
「……?」


 息を飲む。がゆっくりと目を開いていた。息を吐くような動作を見せ、緩慢な仕草で肘をつき、起き上がる。――小さく、金属の砕ける音が聞こえた。
 彼女の胸から、千切れた因果の鎖が垂れていた。起き上がった彼女はすでに身体と切り離された魂魄となっていた。


「……」


 が、重ねた俺の手を辿るように、徐々に視線を上げていく。顔を上げ、俺を見上げる。
 ついに、はっきりと、目が合った。


「……えっ」
「は、」
「え、あれ、もしかして幽霊の…?」


 手を離しおずおずと俺を指差す。そうか、魂魄になったから。鈍い思考で今さらそんなことに気が付く。頷くと、彼女は照れ臭そうにはにかんだ。


「わー、想像してたのと違った…」


 この場に似合わない、のん気な台詞が出てくる。「おまえな…」もしかしたら自分の状況がわかってへんのか。急な死で自分が死んだことに気づかず彷徨う魂魄の例は知っているが、その類いか。思ってじっと見ていると、はでもなんで、と疑問に思ったらしく目を落とした。すると当然ながら足元に横たわる自分の死体が目に入り、小さく悲鳴をあげた。血を流す頭を見てとっさに今の自分の後頭部に手をやり、致命傷である傷に触れる。魂魄の状態では肉体の痛みは引き継がれないが、形の変わった頭に不安を覚えても無理はない。の表情が曇るのを、俺はこのとき初めて見た。

 おまえを殺したんは誰や。喉まで出かかっていた。だが、聞いたところでどうする。おまえの無念を晴らす資格はない。必死に飲み込み、邪念を振り切るように斬魄刀を抜く。刀身が満月の光を反射させる。目を丸くしたに、なるべく落ち着かせるように言葉を発する。


「あの世に送ったんで」
「え、あなたが?」
「そういう仕事や」
「そうだったんですね、普通の幽霊じゃないと思ってたら、すごい」


 彼女は強張った顔のまま笑顔を作った。自分の身に起きたことをすぐに受け入れられるものでもないだろう。それにあの世、尸魂界がどんなところかもわからないまま、送ってやると言われたところで反応に困るのが普通だ。説明してやろうかと思ったが、そんな悠長な時間はない。


「家族に挨拶させてやれんですまんな。すぐにでも送んで」


 霊圧の揺れに誘われて魂魄のを狙う虚が現れてもおかしくない。近くにうろついていた虚はこの十日間であらかた片付けたが、虚は刻一刻と増える。このご時世ならなおさら、未練なく綺麗に死ねる奴はそういない。
 せやからおまえはすぐ尸魂界に送る。虚にいいようになんてさせへん。これ以上痛い目に遭わせたくない。尸魂界ではできれば幸せな時間を多く過ごしてほしい。


「最近、死んでもあなたが一緒にいてくれるからいいなとか思ってたんですけど、そんなうまい話はないんですね」


 恥ずかしそうに笑う。心臓が鷲掴まれたように痛む。……これは、あかんやつや。


「…悪いなァ。俺もあっちから来たモンやから、帰ったら会えるかもな」
「ほんとですか?ならいいです」


 斬魄刀を抜刀する。一緒にいられない。でもいたい。もっとおまえと話したかった。尸魂界でもおまえの笑った顔が見たい、と思う。勝手な願いを乗せた刀の頭を押し付けようと、掲げる。


「また会ってお話しましょう。楽しかったです」
「俺もや。…おおきに、


 刀の頭をの額に押し付ける。判が浮かび上がり、次第に光に飲み込まれていく。


 彼女の痕跡が完全に消える頃、俺の両手はだらんと力なく垂れ下がっていた。





 尸魂界に帰ってからというものの、暇な時間ができると流魂街へを探しに行くようになった。しかし一向に見つけることはできず、そのうち隊長に昇進すると自由な時間は多くは取れなくなった。さらには藍染惣右介の存在を知り副隊長に引き入れると、監視に注力しなければならず、のことは頭の片隅に追いやるようにしていた。魂魄が尸魂界に流れ着く期間は一概に言えない。うすぼんやり残っていた現世の記憶も流魂街で生活しているうちに次第に消えてしまう。だからはもう俺を覚えていないだろう。同じ尸魂界にいても会うことはないかもしれないと、半ば諦めの気持ちもあった。

 その彼女を真央霊術院の生徒の中に見つけたときの衝撃は想像に難くないだろう。感動のあまり声を掛けてそのまま連れ去ろうかとまで思ったが、流石に外聞や常識というものを知っているので遠くから見ているだけにした。は俺を見ても何も言わなかったあたり、記憶に関しては予想通りだったのだろう。
 規範的な副隊長である惣右介は霊術院の講師に招かれることもあり、ついでに五番隊の存在をアピールしておいたらがうちを志望してくれたため、卒業と同時に引き入れた。特進科ではなかったもののそこそこ優秀だったので数年で席次を与え、三席が殉職した際には彼の死に不信感を抱きつつも後任にギンを推挙する惣右介を跳ね返し、を昇格させた。奴を警戒してのことだったが、自分の願望を優先させたと言われても否定できなかった。

 死神の生活は現世とはまた違った危険がつきまとうものの、生前より自由の利く豊かな暮らしができる。ひよ里たちといるは楽しそうだからよかった。には幸せになってほしい。健やかに生きる姿が俺から見えたらそれでいい。ずっと笑っててくれたら俺は満足や。

 などという健気な建前を装備し、誰に何と言われようとのそばに居続ける。見守っていたいという感情の正体は、どうせ独占欲でしかないのだろう。単純に重いわ、わかっとる。でももう、何があってものことは手離したくない。


 仕事机に頬杖をつき、思わず自嘲のため息が漏れる。……リサの言うこと否定でけへんわ、こんなん。


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