の家には多くの人間が住んでいた。祖母両親兄弟、中には血の繋がっていない子供もいるようだが、まるっとひっくるめて家族として暮らしていた。村落には他にも数軒の家屋が建っており、それぞれが農作物で生計を立てているらしかった。近所の子供の年齢層は幅広く、子供の中では上の方だったは両親の畑仕事を手伝う傍ら年下の面倒も見ていた。終日忙しそうにしている彼女に声をかける時間はさほど多くなく、もちろん俺も任務があるためそばを離れる時間の方が長かった。

 休憩にと村に戻ると、は一人畑近くの切り株に座っていた。親はおろか、遊び相手の友達も、ころっと丸いガキや赤ん坊もいない、まったくの一人だった。明るい時間に珍しいな。思い、そばへ降り立つと、彼女が握り飯を頬張っているのに気が付いた。思わず目を瞬かせ、真上を見上げる。明るい時間ではあるが日の頂点はとっくのとうに超え、傾いてかなりの時間が経っているはずだ。


「お疲れさん」
「わっ。いたんですか」


 は肩を跳ねさせ、こちらを向いた。相変わらず目は合わず、今は胸元あたりに視線が来ている。声は慣れて聞き取れるようになってきたらしいが、姿はずっと見ていたからといってはっきり見えるようになるものではないらしい。
 今回俺は義骸を用意していなかった。急な任務だったため申請をする時間がなかったというのもあるが、追って調達することもやろうと思えばできた。だが、霊体の状態を知る人間がいる以上、今さら義骸に入って人間のふりをするといらぬ混乱が生じるだろうと思い、今回はずっと霊体でいることに決めたのだった。
 まあ、一番の理由はとのふわふわしたやりとりが楽しいからなんやけど。焦点が合わなかったり意思の疎通が上手くいかない会話なんてなかなか経験でけへんやろ。


「今メシか?随分遅いなァ」
「ずっと切りが悪くて…」


 はにかんで肩をすくめるの足元に農耕具が置いてあるのに気付く。随分と働き者らしい。そらご苦労さんと労うと、彼女は照れ臭そうにはにかんだ。
 曰く、現世では最近カイゲンがあり、身分制度が変わった影響で庶民もてんやわんやらしい。それに加えて天候に恵まれず米や農作物の収穫が少なく、近所と協力しながら何とかしのいでいるらしかった。現世の問題に対し俺ができることは何もないので頑張れと言うくらいしかできなかったが、言った直後、こいつは結構頑張ってたなと少し後悔した。
 と話せるのは彼女が一人でいる時間だけだった。それは夕方の畑近くでだったり、夜の薪置き場の陰に隠れてだったりと、とにかく周りに人がいない時間と場所を選んで密会は行われた。日中働き詰めで疲れてるにもかかわらず、彼女は喜んで俺の話し相手になってくれた。また、誰かといるを離れた場所から眺めていると、俺に気付いた彼女が笑顔を向けてくれるのが、なんとなくよかった。

 には名前を聞いたが、自分は名乗らなかった。死神が現世の人間にそう簡単に教えるべきではないと思ったし、俺が尸魂界に帰ったあと別の死神とが会ったりして名前を出されたら、なんか恥ずかしい。というのもあり俺は一貫して、正体不明の幽霊としての周りをうろついていた。





 子供を寝かしつけたが音を立てないよう慎重に襖を開け、廊下に出てくる。正面の壁に寄りかかって待っていた俺の気配を察知するなりにへらと笑うに笑い返す。無論相手には見えていないのだが。
 開けたのと同じようにゆっくりと襖を閉めると、子供たちの気配は限りなく遠くなる。両親と祖母は別の部屋で眠っているらしく、真夜中のの不在に気付く人はいないだろうとのことだった。
 抜き足差し足で廊下を進むの隣を歩く。と、自分の足元でギシリと軋む音が立った。二人に緊張が走る。数秒の沈黙と静寂のあと、「すまん」短く謝ると、はふふっと笑って、ひそめた声で大丈夫ですと返した。あかん、連れ出してる俺が気ィ抜いてええわけないわな。認識を改め、踏み出した足からは霊圧を固め床から少し浮いた状態で歩いていった。

 外に出ると幾分か気が楽になったのか、は足音を気にすることなく大股で歩き始めた。台所の裏手に回り、誰もいないことを確かめるとついにホッとしたように家の壁に背を預けた。


「緊張しましたね」
「堪忍な、音立ててしもて」


 それは大丈夫です、とおかしそうに笑うに肩をすくめる。家族が寝静まってからの密会は今日が初めてだったため負担をかけたことだろう。にだけ危ない橋を渡らせて自分が安全圏にいることに今更申し訳なく思ったが、「なんだか悪いことしてるみたいでわくわくしますね」とはにかむ彼女を見たら謝るのも野暮に感じて何も言わなかった。もともと夕飯前に今日忙しそうやなと話しかけたら、「話すのは家族が寝たあとでもいいですか?」と聞かれたのだ。まあ二つ返事で了承した俺も同罪なんやけど。


「床鳴ったのって、歩いたからですよね。幽霊さんって物に触れるんですか?」
「触れるで。やないとのことも助けられてへんやろ」
「あ、そういえばそうですね」


 すぐさま納得の色を見せたに頷くだけする。多分整の魂魄には触られへんから気になってんのやろ。死神や虚みたいな霊子密度の高い魂魄ならともかく、整に触ろうとしてもすり抜けるからのォ。
 ふと、興味深そうな視線に気付き、を見遣る。……。


「触ってもええで」
「えっ!」


 腕を広げて見せるとはビクッと肩を跳ねさせた。なんや、てっきりそうかと思てねんけど、ちゃうんか?首を傾げると、はあたふたと目を泳がせ、それからおそるおそるこちらを見上げた。おしい、首あたりか。目ェ合うんはまだ先やな。


「い、いいんですか?」
「ええよ。ほれ、すきにしい」


 腕を広げたまま一歩近寄る。はたから見たらだいぶ頭のおかしい光景かもしれないが、あいにくと気にする人の目は今はない。
 は目を細め俺との距離を見極めているようだった。それから、恥ずかしそうにおずおずと手を伸ばす。そない照れることでもないやろと思いつつ、彼女の真っ直ぐ伸ばした手が腹あたりに届いた瞬間、ちょっと変な気分になる自分がいた。「わっほんとだ」感動したように目を輝かせたのが暗くてもわかる。


「やっぱり他の幽霊とは違うんですね」


 興味深そうに腹を何度もペタペタ触る両手にだんだんとくすぐったくなり笑いがこみ上げてくる。横を向き口を手で覆い堪えていると、しばらくして満足したのかは礼を言って一歩足を引いた。


「いるっていうのはわかるんですけど、やっぱりぼんやりしてて…」
「…ま、せやろなァ」
「死んだらちゃんと見えるんですよね」
「アホ。滅多なこと言うなや」


 口をついて出た諫言に自分で驚く。出会って真っ先に死んだあとのこと考えたクセによう言うわ。
 でも今は死んでほしくないと思う。が朗らかに、健やかに生きる姿を見るのが楽しかった。できれば今以上霊力が高まることなく、安全なところで生涯を終えてほしかった。それを俺が見届けることはできなくとも。

 二十年も生きとらん子供に何入れ込んでんねやろ。我に返ると到底正気とは思えなかったが、今だけ、許してほしかった。この任務が終わるまでの間だけでええ。そんなことを考えながら、標的である虚の気配を感じ取れないまま、明日で十日が経とうとしていた。


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