誰に何と言われようがだいじに思ってしまう。


 何十年も前、まだ席官だった頃。一体の虚の討伐任務を与えられ現世に降り立った俺は、手始めに地理を把握すべく座標区域の農村周辺を徘徊していた。城下町から随分と離れたそこに住む人間はあまり多くなく、とはいえ流魂街の上位区あたりの生活水準を維持しながら暮らしているようだった。現世の社会情勢には疎いため定かではないが、最近何か大きな変化があり港やお偉いさん周りの街並みがボコボコ建て替わっているらしい。近年の、外国の建築物や輸入品がどんどん増えていく港町を見物するのはすきだった。一方で、田舎の地域には仕事でもない限り足を伸ばさないため、城下町との落差には毎度驚かされる。貧富の貧に属する暮らしを目の当たりにすると世知辛く思ってしまうのも無理ないだろう。

 村落をうろうろしているうちに日が暮れ、月明かりが頼りの時間が来る。外を歩く人間の姿はいよいよ消え、家の中から話し声が漏れ聞こえるようになる。虚は魂魄の集まる場所に現れるのが鉄板。四方に森が広がり村落もぽつぽつとは存在するようだが、周囲で一番大きなここを張っていればそのうち出てくるだろう。そんな風に当てをつけていると、近くで虚の霊圧を探知した。


「――!」


 瞬時に駆け出す。早速か、お目当てかは不明だが、この地区の駐在死神の姿も見えない。虚の近くには魂魄の霊圧も感じる。見過ごすわけにはいかない。

 駆けつけたそこは村落の外れに広がる田んぼだった。その脇で、背を向けた虚を発見する。すかさず斬魄刀の鍔を押し上げ抜刀する。背丈は優に自分の五、六倍はあったが、背後から飛びかかり脳天から垂直に一太刀斬りこめばあっさり仮面まで貫通した。呻き声を上げもがく虚。すぐさま正面に回り、魂魄の姿を確認する。人間の少女だ。喰われる直前だったのか虚に握られて宙に浮いていた。それが、虚が消滅することで支えを失い落下する。瞬歩で移動し地上で受け止める。
 やがて、虚は完全に消えた。が、指令の標的ではなかった。まあ流石に来た初日に終わる任務だとは思っていなかったのでがっかりも何もない。あとで討伐料請求したろ。

 さて、と両腕で抱えていた彼女を覗き込む。悲鳴も聞こえなかったことから気絶でもしているのかと思っていたが、どうやらただ状況を飲み込めていないだけのようで、目を丸く見開き硬直していた。怖くて声も出なかったのだろう。かといって虚はおろか俺の姿すら見えないだろう彼女にかける言葉はない。……というか、見えない何かにいきなり掴まれて宙に持ち上げられて、したら急に落ちかけて、ぎりぎりのところで止まってって、普通に怖いわ。命があってよかったなとしか言えへん。
 ゆっくり下ろすと彼女も怖々と地面に足をつけた。かろうじて自分の足で立てているものの、青白い顔のまま微動だにしない。…生きてるか?あまりに動かないので一瞬心配になり胸元に目を落とす。大丈夫、因果の鎖は見えてへん。魄動も感じ取れる。


「おーい。大丈夫かァ?」


 戯れに目の前で手を振ってみる。どうせ見えないから意味ないんやけど。
 が、彼女の焦点が一瞬合った、ように見えた。「あ?」思わず目を見開くのと相手が一歩後ずさるのは同時だった。


「……だ、大丈夫です…」


 そらもう驚いた。まさか、死神のまま人間と意思疎通ができるとは思ってもみなかったのだ。「俺の声聞こえとるん?」つい問うと、「す、すみません、何て言いましたか?」とうかがうように聞き返される。たまたまか?いや、にしたって、声が聞こえたんは確かや。目線は合わないものの、俺が立っている方をしっかりと向いている。
 よくよく探知すると、彼女は人間にしては高い霊力を持っているようだった。整の魂魄を視認することができる人間はまま存在するが、死神の気配を察知し、ましてや声を聞くことができるとなるとだいぶ珍しい。死んで尸魂界に来たらええ死神になるんちゃうかな、などと不謹慎な想像をする。


「あの、助けてくれてありがとうございました…?」
「おー。俺は取って食ったりせえへんから、安心しィ」
「あは…」


 ぎこちなく苦笑いする彼女。今のんは聞こえたんか?判断難しいなァ。
 魂魄の無事も確認できたことだから、気ィ付けやと言って去ることもできた。だが、どのみちこの村落が滞在の中心になるのだし、住民である彼女に自分の姿がなんとなく見えているのであれば無視するのもどうかと思う。いや、というか、せっかくだから話し相手に付き合うてもらえたら嬉しいゆうのが一番の理由か。とにかく、俺は虚の討伐任務の傍ら、彼女との意思疎通で暇をつぶすことに決めたのだった。

 田んぼから帰ろうとしたところを襲われたという彼女を送る道すがら聞いたところによると、今俺の姿はおぼろげにしか見えておらず、なんとなく人の形をしているのがわかる程度らしい。声もぼんやりとしはっきりとは聞こえず、聞き返されることは多かった。そこそこの霊力を持っているにも関わらず虚に襲われたことはこれが初めてらしく、突然身体を締め付けられて宙に浮いたときの驚きと恐怖について熱く語っていた。
 虚からしたら間違いなく美味い魂魄なんに、よお今まで被害に遭わへんかったな。まあ村落の他の住人やうろついてる整の霊力を鑑みれば、浮いた虚がわざわざここに来ようとするほど美味い話ではなかっただけか。魂魄も虚も多く集まる都会なんかに行ったら一発やろ。ちなみにと聞いてみると、彼女には昨年死んだ家族がいるとのことだった。さっきのはそれだったのだろう。もちろん本人に伝えはしない。


「さっきは怖くてちっとも動けなかったんですけど、しゃべってると全然そんなことないですね」


 にこにこと朗らかに笑う彼女。「姿見えてへんのによう言うわ」隣を歩きながら見下ろす。警戒心を解くのが早すぎると思うが、物心ついた頃から幽霊が見えているとたとえ姿も声もおぼろげな存在を前にしてもすぐに順応してしまえるのだろう。さっきの幽霊は悪いヤツだから今度見かけたらすぐ逃げるよう言うと、彼女は素直に頷いた。


「…あ、そうだ。うち帰ったら何かお礼させてください。よく考えると命の恩人なので」
「いらんいらん。そん代わりしばらく話し相手になったって」


「え!もちろん」満面の笑みで頷く。相変わらず焦点は合わないが、それでも彼女とのやりとりは純粋に楽しいと思わせた。ちょうどええ、虚討伐が終わるまでこの子の家付近を拠点にしよ。その間、この子を狙う虚からも守ったろ。

 家の戸口を開け、兄弟に迎えられる彼女。草履を脱ぎながら玄関で子供の相手をする後ろ姿を、腕を組んで戸口に寄りかかり眺める。はあ、と人知れず息を吐く。

 かわいそうになあ。多分長生きでけへんで、この子。


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