「コラァハゲ真子!!」


 鬼気迫るひよ里の剣幕に持っていた筆を落としてしまった。朝一番の出来事だった。

 咄嗟に拾い硯へ戻すだけして、書類に跳ねた墨は一旦そのままにする。ひよ里の霊圧は廊下を駆けてくる足音と共に感じていた。隊長も副隊長も何事かと顔を上げたので、誰も思い当たる節はなかったようだ。
 しかし当のひよ里が開口一番に隊長の蔑称を叫んだため、わたしと副隊長の視線は自ずと彼へ集まった。怒号と共に駆け足で入室したひよ里が、目を丸くした隊長の机を飛び越え胸ぐらに手をかける。


「ええ加減にせえよオマエ!!」
「ハァ?!なんやひよ里急に」
「隊首会や隊首会!!なに堂々とサボッてんねんこのハゲ!!」
「…は?」


 ひよ里の口から出てきた言葉に五番隊一同ぽかんと呆ける。……隊首会?


「…あっ。あれ今日やってんかブッ!!」


 ひよ里の拳が隊長の顔面にめり込んだ。そのまま抵抗する力を失った隊長の首根っこを掴みずるずる引きずって部屋を出て行くひよ里。一連の流れについていけず、ようやく我に返ったわたしは咄嗟に彼女へと声をかけた。


「ご、ごめんひよ里」
は悪ないで」


 振り返ったひよ里は不機嫌そうではあったけれど、言葉通りわたしたちに対しての憤りは見せなかった。定例の隊首会とは日付が違うから、緊急に入ったものだろうか。まるで知らなかった。通達文も見てないはず。
 それ以上引き留めることはせず、早々にひよ里と隊長は執務室を出て行った。嵐が去ったあとみたいに呆然としてしまう。残された副隊長をうかがうと、冷静沈着な副隊長といえど、さすがの怒涛の展開に呆気にとられているようだった。


「……ふ、副隊長はついていかなくて大丈夫なやつですかね?」
「ああ、そうだね。特に聞いていないから大丈夫だと思うよ」
「ならよかったです…」


 苦笑いを禁じ得ない。副隊長の耳にも入ってないということは、隊長たちだけの緊急の集まりだろうか。隊長の様子を見るに、聞いてはいたのに日にちを間違えていたようだった。わたしはともかくとして、副隊長に共有しておけばひよ里の鉄拳を喰らわずに済んだのに、今回は隊長が悪い、という辺りでまとめるとしよう。きっとひよ里は会場の近くにいたか浦原隊長に指名されたか、いずれにしても呼び出し要員として白羽の矢が立ってしまったのだろう。


「ところでくん、最近調子はどうだい?鍛錬は前より無理をしなくなったようだけれど」
「あ、はい…!いい感じです!その節はご迷惑をおかけしました…」


 申し訳なさに頭を掻く。任務をもらえるようになった最初の頃は同時に鍛錬に打ち込んでいたおかげで事務仕事が思うように務まらず、副隊長へと皺寄せが行ってしまっていたのだ。今は自分の体力と相談しながらにしているので、前よりは余裕を持って仕事ができていると思う。


「でもまだ三席の任務は早いと思われてるんですよね。もらえる任務、難しいけど遂行できないほどじゃないので…」
「それは当然だろう」


「え」副隊長から思わぬ辛辣な台詞が飛び出し硬直する。いや、副隊長にも駄目三席って思われてるのは、わかってたつもりだけど、面と向かって言われるのはつらい。


「隊士の力量と任務内容を鑑み采配するのは隊長の責務だよ。明らかに遂行できない人選で任務に充てた場合、咎めを受けるのは隊長だろう」
「な、なるほど、たしかに」


 言われてみれば当たり前のことだ。わたしは、失敗するほどの任務を充てがわれてやっと、席次に見合ったと満足できると思っていた。浅はかな考えに恥ずかしくなり身を縮こめる。副隊長はというと、そんなわたしを浅薄だとなじることはせず、落ち着かせるようにふっと笑いかけた。


「それはそれとして、三席の采配は隊長も慎重にならざるを得ないから、くんまで考え過ぎない方がいいと思うよ」
「…え」
「君も覚えているだろう、三年前のこと」


「あっ…はい…!」頷く。そうだ、前三席の件だ。先輩はちゃんと実力のあった人だったのに、夜間の任務で命を落としてしまったのだ。部下を殉職させてしまったことを当時隊長も気にしていたのを覚えている。
 そうか、そういう理由もあったのか……。自分の問題だとばかり思ってもどかしくなっていたけれど、事情はすでにいくつも折り重なって複雑になっていたのだ。それをわたしは、隊長を責めるみたいに…。数ヶ月前、三席の任務をくれない隊長に詰め寄った態度を思い出して申し訳なくなる。


「とはいえくんの向上心も理解しているはずだから、進言すればきっと応えてくれるさ」


 副隊長は柔らかく目を細め、口角を上げた。慰めるような優しい笑みだった。自然と安堵でき、ほっと胸をなでおろす。こないだ市丸くんにぐだぐだ言ったことが後ろめたくなるほど、副隊長は善良で、優しく、理想的な上官だった。


「ありがとうございます…」
「いいや。君の現状にとらわれず成長しようとする姿勢は、上官として誇らしく思うよ」
「あ、あは…」


 真正面から褒められて恐縮してしまう。やっぱり副隊長は完璧で、こんな人と一緒にいるのは緊張してしまうな。

 これからも自分のペースで頑張ろう。頑張るのは自分のためだ。わたしが周りに胸を張れる三席になりたいがために頑張る。
 でもきっと、隊長のためでもあるのだろう。わたしを推薦したのが隊長だから、自動的にそうなってしまう。そういえば隊長、鍛えてやるって言った割に鍛錬の相手はしてくれないな。まあ腐っても隊長だしなあ。そもそも隊長相手に気安すぎるのか。でも今さら距離を取れと言われても、やだなあって思うよ。


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