頬に違和感を覚えた瞬間、脳が覚醒した。同時に横から伸びる腕に気付き、抓られてる、と理解する。反射的に首を背けると二本の指はすぐに離れた。
 背筋が冷える。……やばい、うとうとしてた。就業中に何してんだ馬鹿…!失態に思わず一度俯き、それからおそるおそる右方向に顔を上げる。


「す、すみません…」
「……」


 頬を抓った張本人である隊長はわたしを見下ろしながら、どこか憂わしげだった。怒っているわけでも呆れている風でもなく、けれど何となく言いたいことはわかってしまい、ますます居た堪れない。


「おまえちょっと寝てき。今惣右介おらんし」
「いえ、……いえ、ありがとうございます」


 反射的に断ろうとしたものの、事実椅子に座っているのもしんどかったためお言葉に甘え、席を立った。副隊長がご不在の分わたしがやらねばならないのではと思ったけれど、少し休憩した方が効率がよさそうなほどだ。この絶不調は隊長の見立て通りただの寝不足なので、単純に自己管理がなってないことに情けなさを覚える。
 ソファに寝そべり、背もたれと向き合うように頭を座布団に埋める。身体中の力が抜け、脳の回転が急速に落ちていくのを感じる。すぐに眠ってしまいそうだ。
 隊長もこっちに来たようで、向かいのソファに腰掛けたのを気配で感じ取る。五分で起こしてくださいと声をかけようとした、寸前、数週間前の光景が脳裏に蘇った。暗い執務室の中、隊長がここで寝たふりをしていた。やっぱりあのとき、隊長はわたしの帰りを待ってたんだろうか。だとしたらどんな気持ちで待っていたんだろう。わたしが一方的にまくし立ててしまったから、隊長が何を考えていたのか聞くタイミングを逸してしまった。もし黙ってたら、何て言われてたんだろう。うっすら目を開く。ソファの背もたれが視界に迫る。


「……隊長」
「ん?」


 顔は向けずに呼びかける。わたしと隊長以外人はおらず、窓を閉め切っているため外の音は入ってこない。わたしと隊長以外完全に無音だった。


「こないだひよ里に、わたしが根詰めてるのが隊長のためみたいだって、言われたんです」
「……おお」
「もしそうだとしたら、隊長にとって喜ばしいことですか?」
「いや?全然」
「……」


 即刻否定されてほんのちょっとむかついた。お門違いだけれど。


「俺のせいでがそないボロボロになっても何も嬉しないで」
「……そうですか」


 そういう意味か。というかやっぱり、隊長からも無理してるように見えるのか。無理してる、自覚は、あるもんなあ…。それが表に見えてしまうのもいけない。連日の討伐任務と事務仕事と自己鍛錬の三連撃は単純に重かった。なぜか自室に帰ってからも目が冴えたままで、疲れているのにそれが取れないまま次の日になった。そこにまた朝から晩までの仕事と自主練。やりがいを見出していたのに、早くやらなくちゃいけないという気持ちばかりが逸って空回りする一方だった。
 このペースでやっていったらいつか居眠りじゃ済まないことになる。やっぱりひよ里の言う通り身体がついて行ってないのだ。もう少し考えながらやらないといけない。でも理想は全然遠いのに、このままでいいはずがない……。


「俺のためやったんか?」
「いえ、全然……言われて目から鱗でした」
「なんや」


 気付いたら目を閉じていた。人との会話中だと認識していながら、開こうという気になれず、むしろ深く深く沈んでいく感覚に身を任せたくなる。


「…でも、推薦してくれたのが隊長だから…その要素がまったくない、ことも…ないのかも……」
「……おまえ、」


 隊長の動揺した声が聞こえた気がしたけれど、反応はできなかった。意識はすでに遠く、ふわっと、至極あっさり手放してしまう。直前まで話していた人のことも気にせず。


「……寝てるんかい」


 隊長が立ち上がり、テーブル越しに顔を覗き込む。完全に寝息を立てて熟睡するわたしの横顔を確認し、はあ、と溜め息をつく。


「急に驚かしよんなァおまえは」


 当てつけのように頬を人差し指でつんつんとつつく、隊長の表情は呆れたようで、そのくせ嬉しそうでもあったのだけれど、それをわたしが知る由もない。


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